まものグルメ
蝉川 夏哉
一章 黒髪黒目の少女
第二話 ハンバーガー
歯が|麦麭《パン》を突き破り肉に辿り着くと、ルシェオスの口の中に肉汁が「じゅわっ」と広がった。
なんだ、これは。なんなのだ。
噛みしめるたびに、|麦麭《パン》、|萵苣《レタス》、|赤茄子《トマト》、そして肉の食感と味とが渾然一体となり、口の中に饗宴が繰り広げられる。
ひと言で言えば、美味い。
ふた言で言えば、とても美味い。
|麦麭《パン》が甘く感じられるのは、脂の味だろう。
|脂瘤牛《コブウシ》の脂がたっぷりと引かれた鉄板で両面を焼かれた|麦麭《パン》の表面には脂の甘みが沁み込み、肉の味との接着剤となっている。
「……どう?」
あれだけ勝気な態度を見せていたマモが、小首を傾げてルシェオスに感想を求めてきた。その目にはほんの微かに、不安の色が見て取れる。
「……まぁまぁだな」
最後のひとかけらまで余さず食べ、まだ指先に残る脂を舐り、更に余韻までしっかりと愉しんでから、ルシェオスは答えた。
何がまぁまぁなものか。この城へ転がり込んできてから今までに食べたものの中で、最も美味しいものを挙げろと言われれば、このハンバーガーを選ぶ。
要は照れ隠しなのだ。
「よかった!」
マモの笑顔が、また咲く。
一瞬、見惚れそうになって、ルシェオスは鼻を鳴らした。
「まぁまぁだ、と言ったはずだ。だが、十分ではある」
「素直に美味しかったって言えばいいのに」
ニヤニヤとしながらも次の客の分の肉を焼くマモに、ルシェオスは革袋から一握りの銀粒を取り出し、突き出す。
「頼みがある」
「報酬がその一つかみの銀粒ってことは、碌でもないお願いってことよね?」
ルシェオスは答えに窮した。
今の今まで、銀の粒さえ見せればどんな依頼でも請けてもらえると思い込んでいたのだが、あれだけの美味い料理を作ることのできる人間相手に、自分の常識が通じないような気分になっている。
何せ、銀粒よりも行列に並んだ者たちとの信義を取る少女なのだ。武人としてこれまでの生涯を歩んできたルシェオスにとって、理解の範疇の外にいることは間違いない。
だが、ここで怯んでは〈壁穿ち〉の名が廃る。
「……碌でもない、ということはない、はずだ。少なくとも、オレの感性では」
「じゃ、話だけなら聞いてあげる。でも、その前に……」
「その前に?」
マモはずいと掌を突き出した。
「銅銭二枚。それと、話を聞くのはこの行列を捌いてからね」
ルシェオスは財布から銅銭を摘まみだすとマモの手に押し付けるようにして渡すと、何も言わずに列の整理をはじめる。
「あ、ちょっと!」
「この行列が捌けるまで話を聞いてくれないんだろう? それなら、少しでも手伝うべきだ。マモは早く肉と|麦麭《パン》を焼け」
人より頭一つ背の高いルシェオスが整理しはじめると、群衆はこれまでの混乱が嘘のように列を作った。
それを見るとさしものマモも何も言えないらしく、鉄板に専念する。
「列を乱すな。割り込んだ奴はオレが責任を持って、一番後ろに回してやるからな。先頭の奴は銅銭二枚を用意しておけ。手間取るなよ」
はじめこそ列に割って入ろうとする不届き者もいたが、ルシェオスの手際を見てからはすっかり大人しくなった。
空は高く、青い。
ルシェオスが列の整理と金銭の授受を受け持つようになってからマモは料理に専念できるようになり、回転も速くなってきた。
はじめはどうやって材料費を賄っているのか不思議だったのだが、列整理をしている内にカラクリがルシェオスにも見えてくる。
マモはこの屋台の主ではない。もっと言えば、この屋台そのものが独立していないのだ。
鉄板一枚の屋台の隣には茶店があり、|肉挟み麦麭《ハンバーガー》を買った客に甘い茶を売っている。銀粒で支払うような店だ。
|肉挟み麦麭《ハンバーガー》は、実は茶店の客寄せに過ぎない。
マモはここで場所と材料を提供され、美味くて香りのいい料理を作って客寄せをする。
それが証拠に、肉や|萵苣《レタス》、|麦麭《パン》などの材料が足りなくなってくると、見計らったかのように隣の茶店から下男が現れ、補充していくのだ。
茶店の経営者にとって予想外だったのは、マモの料理が人気になり過ぎた、ということだろう。
本来なら茶店の暇な時間にちょっと客を増やすくらいでよかったのだ。それがマモの|肉挟み麦麭《ハンバーガー》の異常な人気は茶店への入り口を群衆が塞いでしまうほどであり、ルシェオスがもし茶店の主人なら、苦虫を噛み潰しても足りぬほどの誤算を悔いたに違いない。
ルシェオスは行列を整えてやりながら、金を持っていそうな客をさりげなく茶店へ誘導するようなこともしてやった。これから頼むことに、茶店を敵に回さない方がいいと判断したからだ。
茶店の方でもルシェオスの思惑に気付いたようで下男に椅子などを運ばせようとしたが、これは固辞した。
誇り高き武人である〈壁穿ち〉にとって、今の命令権者であるマモが立って仕事をしているのに、自分だけ座るなどという選択肢はなかったからである。
「いやー、売った売った!」
客のいなくなった鉄板の前で、マモは実に気持ちよさそうに伸びをした。
「雇い主には違う感想もあるようだが?」
ルシェオスが悪戯めかして尋ねると、マモはにやりと実にいい表情を浮かべる。
「あいつ、「どうせ売れないだろうが、精いっぱい客引きをしてみることだな」なんて私に言ったからね。お望み通りにしてやっただけよ」
なるほど、マモの実力を大いに見誤っていたのはルシェオスだけではなかったらしい。
「それで、お願いって何?」
「ああ、実はもうすぐ大規模な遠征隊がこの城に帰還する」
遠征隊、という言葉を口にするとき、ルシェオスには忸怩たるものがある。
本当なら自分もそこに加わっていたし、責任ある立場を担っていたはずだからだ。
しかし現実のルシェオスは、鉄板一枚の屋台ともいえない屋台で少女と向かい合っている。
ここにいるのは罰ではない。ルシェオスの力不足でもなかった。
力不足なのは、彼の祖国、いや、祖国だったものの方なのだ。
ルシェオスは頭を振って、意識を現実へ引き戻す。
「その遠征隊は腹を空かせて帰って来ることになる。そいつらに、|労《ねぎら》いの飯を食わせてやりたいのだ」
「分かった」
二つ返事で応じるマモに、ルシェオスは驚いた。
条件も何も聞かずに応じてくれるとは思っていなかったのだ。
「腹を空かせた人がいるなら、何か食べさせてあげなきゃ」
そう言って笑うマモに、ルシェオスの頭が自然に下がる。
「ありがとう」
「いいってこと。ところで……」
悪戯っぽい笑みを浮かべて、マモは背中に手を回した。
取り出したのは肉挟み麦麭が、二つ。
「話を聞くのは、これを食べながらってことでいい?」
ルシェオスに、異論のあるはずもなかった。