キマイラ文庫

まものグルメ

蝉川 夏哉

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まものグルメ

蝉川 夏哉

一章 黒髪黒目の少女

第九話 〈管理者〉様?

 薄暗い部屋に青白く浮かび上がるように見える“それ”は、明らかに人間ではなかった。

 この島に来て、人間ではない直立二足歩行する動物やトカゲはたくさん見てきたが、そういう人々とも違う。

 まもりの脳裏に浮かんだ言葉は、“幽霊”か“精霊”、いや“神様”の方が近い。

 大きさは小学校低学年くらいの中性的な顔立ちの“存在”が、浮かんでいる。

 赤く透き通るような長髪には鹿のような角が生え、中国の皇帝が着ていそうなぶかぶかした服に身を包んだ姿は、普通の存在とは思えない。


「す、すみません! 騒がしくしてしまって!」


 両手を合わせ、拝むようにして詫びる。


「よい。久方ぶりに寝床を掃除する関心な者がおると思うたら、この城の者ではないとはな」


 言葉に、威厳というのだろうか、重さというか、圧力がある。

 一言一言が、魂というか、まもりの存在そのものに響いてくるのだ。


「す、すみません。少し、声を落として頂けませんか……?」


 ほとんど平伏するようにまもりが頼むと、青白く浮かぶ子供は「あ」と手を叩き、輝きを落とす。

 ほとんどただの人と変わらないほどの輝度にまで光は弱まったが、やはり尋常の存在ではない。何故なら、反対側が透けて見えるからだ。


「すまんすまん。人間の前に姿を現すなど……随分久方ぶりでな。加減というものを考えておらなんだ」


 詫びる口調でいいながらも、まもりには「いやー、しくじったなぁ」と小声で呟くのが聞こえる。

 意外に、親しみやすい存在なのかもしれない。


「私の名前は小早川まもり、と申します。ここではないどこかから気が付いたらやってきておりました」


 まずは名乗った方がよかろう、とまもりはなるべく丁重に氏素性を告げた。

 霊感の類いはないが、祖母に連れられて神社に詣でるのは嫌いではなかったから、人ならざる存在にはそれなりの敬意がある。


「自分から名乗るのはよい心がけ。それもできん奴が結構おるからな……」


 うむうむと頷く姿の後ろでちろりと鱗のある尻尾が振れるのが見えた。人型に見えて、単なる人型ではないらしい。


「吾はこの世界の管理者である。名前は……人間の声帯と魂では精確には発音できんからな。敬意を籠めて好きに呼ぶとよいぞ」


 ふふん、とどこか自慢げに宣言する管理者に、まもりはははぁと平伏して見せた。

 ただ、確認したいことは確認するのが、小早川まもりという人間である。


「この世界というのは、この島のことですか? それとも、浮かんでいる島全部のことですか?」

「む……お主、本当に豪く遠くから来たんじゃな……お主の言う、島の管理者じゃ。〈浮遊城〉と呼ばれておるこの島のな」

「なるほど。この世界には他に管理者さんはいらっしゃるんですか?」

「おらん。基本的に一つの世界に、管理者は一人きりじゃ」


 なるほど。やはりこの島の神様のような存在のようだ。

 あちらでもこちらでもいろいろ変な人には会ってきたつもりだが、神様に会うのははじめての経験だった。

 小早川まもりは向こう見ずだと思われがちだが、弁えるべきは弁えている。

 神様を名乗る相手に不遜な態度を取るような無意味なことはしない。


「実はこの部屋で食堂を開きたいと思っておりまして」

「食堂、ということは皆に食事を振る舞うところのことか?」


 はい、とまもりが恐る恐る答えた瞬間、管理者様の尻尾が目に見えて激しく動いた。


「ふむ。予め吾に申告するのはよい心がけじゃな。前に酒場をはじめたときは何の挨拶もなかったことであるし……但し」

「但し……?」


 どんな条件を出されるのか、不安に声が裏返りそうになる。

 何といってもまもりは身一つであるから、相手にとってはちょっとした条件であっても、答えられないかもしれない。

 ましてや相手は神に近い存在のようであるから、人の常識が通じないという危惧もある。

 ちょっと人身御供を十人分、と言われる可能性もないではないのだ。


「……ここで食堂をするのは構わんが、何か吾の社にもときどき食事を供えるように」

「えっ」


 思わぬ条件に、まもりは拍子抜けの声を漏らした。


「やはり難しいか。酒場をやっていたときは祭の時くらいしかお供えはなかったしな……」


 目に見えてしょんぼりする管理者様に、慌ててフォローを入れる。


「いえ、違います違います。お供えは毎日するつもりでしたから……」

「毎日!」


 ぴょこん! と管理者様の尻尾が立った。

 表情も子供がお菓子をもらった時のように嬉しそうだ。


「こ、こほん。毎日、というのは流石に言い過ぎではないか。それではそなたにも負担が大きいだろう。時々、でよいのだぞ?」

「いえ、可能な限り、毎日させて頂きます。それが場所を借りる者としての礼儀ですから」


 まもりの答えを聞いて、「毎日、毎日かぁ」とほくほく顔で管理者様が見悶える。

 これは腕の振るい甲斐がありそうだ。

 さっそく何か作ってさしあげたいが、さすがにまだ埃塗れの調理場では何もできない。


「む。誰か来たようだな」

「そうですか?」


 まもりには足音は聞こえないが、外での話し合いが終わったのだろうか。


「マモ。そなたの食事、楽しみにしておるぞ」


 そう宣言すると、返事も待たずに管理者様は空中に溶けるように消えてしまった。

 まだ気配が完全に消えない内に、ゼレクスが二人の家臣を連れて顔をのぞかせる。


「声が聞こえたようだが、誰かと話していたのか?」

「あー、独り言がちょっと大きかったかも」

「いろいろあったろうからな。独り言もいいたくなるだろう。あまり大きな声で独り言つと管理者様に聞かれるそうだから、気をつけてな」

「管理者様、ですか?」


 話をゼレクスに聞かれていたのかと一瞬、ドキリとしたが、どうもそうではないらしい。


「管理者様は管理者様だ。滅多に姿をお見せにならないが、すべての世界には管理者様がいらっしゃる。誰にも聞かれたくないことは胸に秘めておくことだな」


 日本でいう、誰も見ていなくてもお天道様は見ている、というようなものだろうか。


「ところで、話し合いは上手くいった。ここで食堂をやってもらった構わない」

「ほんとですか? やったー!!」

「手伝いも付くだろう。美味しい料理を期待しているぞ」


 ゼレクスの声音には、本当に期待している色がありありと感じられた。


「分かりました! 任せてください!」

「そうと決まれば、まずは掃除だな」


 ゼレクスが宣言すると、ルシェオスが武人らしく機敏な動きでテーブルを動かしはじめる。

 それに倣おうとするゼレクスをボルモントが制した。


「ゼレクス様。王子ともあろうお方が掃除などと……」

「よい。それよりもボルモントははやく応援を呼んできてくれ」


 はい、と渋々ボルモントが人を呼びに階段を上っていく。

 こうして、〈浮遊城〉に第二食堂の開設が決まったのであった。