まものグルメ
蝉川 夏哉
二章 【マモのグルメ】と迷宮攻略大作戦
第十九話 勝利のハヤシライス
鍋というにはあまりにも巨大過ぎる鍋から、美味そうな香りがコトコトと立ち上っている。
「宴会の料理は、ハヤシライスです!」
腰に手を当てて大音声で宣言するマモ・コバヤカワを見て、レオ・ブルカリンは何だか泣き出しそうな気分になった。
〈遠征病〉がぶり返したわけではない。
ここでカレーを食べて出征してから、あまりにも長い時間が過ぎたような気がしたからだ。
慰労宴会の会場は、信じられないほどの人数でごった返している。
冒険者や戦士だけでなく、幹部も同じ卓を囲むというのは、前代未聞ではないだろうか。
それだけでも驚きなのに、斧手や|破落戸《ごろつき》、荷運び人夫までもが木の器にコメとハヤシをよそってもらって、嬉しそうにしている。
後方で作戦を手伝った船員や商人、鍛冶屋、洗濯婦に掃除婦、そして料理人も参列するなど、歴史上でも類例がないらしい。
レオの知る慰労宴会など二〇人も集まればそれで大規模、というものであったから、今回の宴席は新鮮を通り越して、驚嘆すべき規模だ。
出征式でも大した人数だったが、今はそれより遥かに多い。
片手には木皿のハヤシライスと、もう片方の手には陶製や|硝子《ガラス》製のジョッキ。中には葡萄酒や林檎酒、麦酒など、銘々に好きな酒を注いで貰っている。
普段は「|吝嗇《ケチ》のオ・クランクラン」と陰口を叩かれることもある城主が、今日は城の酒蔵を開放して樽ごとどんどん運び出させているから、よほど今回の勝利が嬉しかったに違いない。
珍しいと言えば、竜だ。
飛竜ではなく、竜王国の竜人が今回の宴席には招かれている。
さっき上機嫌でテテインの語っていた話によれば、竜人たちは今回の作戦は大失敗すると踏んでいたらしい。よくて、ほどほどの勝利、といったところだと見ていたようだ。
竜王国の支援を受けたのに失敗した、となれば〈城壁〉に対して精神的な優位に立つことができる。
〈城壁〉を列強は軽視しているが、国際組織であることは間違いない。
どこの国にでも基本的に立ち入ることができるし、旧王族にはそれなりの処遇がなされる。
竜王国はその影響力を、ちょっとした支援を代償として手に入れようとしていた、というのだ。
ところが、勝ってしまった。
オ・クランクランがこれみよがしに竜人の特使を慰労宴会の席に招いたのは、戦友というべき〈城壁〉を軽んじた竜王国本土に対する些細な意趣返し、といったところだろう。
城主殿もああ見えて、竜人の高慢さには色々と思うところがあるらしいというのは、テテインの言だ。
いずれにせよ、今日の慰労宴会はまぎれもなく、歴史に残る宴会だ。
はじめての完全勝利。
はじめての分け隔てない参加者。
そして、はじめてのハヤシライス。
カレーとはまた違った香りに、レオはもう空腹を堪えるのが限界に達していた。
『あー、あー』
拡声魔術を通じて、オ・クランクランの声が響く。
いつものどこか陰のある籠った声ではなく、どこか晴れやかさを感じさせる声音だ。
『ここにいる全ての皆さんのお陰で、我々は歴史に残る勝利を収めました』
演説がはじまる。
普段の慰労宴会なら、演説など早くやめろと野次の飛ぶところだが、今日は皆、神妙な顔をして耳を傾けていた。
『ここにいる誰か一人が欠けても、この勝利は得られなかったでしょう。〈城壁〉の戦士も、冒険者も、斧手も、破落戸と呼ばれる皆さんも、そして荷運び人夫、洗濯婦、掃除婦、料理人、全ての人々が、今日の勝利に貢献したのです』
竜人の特使が、面白くなさそうな顔をしている。支援者、という言葉が”全ての人々”に加えられていなかったからかもしれない。オ・クランクランがそのような言い間違いをするはずはないので、意図的に抜いたということだ。いやはや、とレオ・ブルカリンは首を竦める。お偉い人たちは仲良く喧嘩するにもいろいろな流儀があるらしい。
『今日、皆さん方は英雄です。そして、明日からも。失われた土地を取り戻せる、ということは、大きな大きな意味を持ちます。この中にも、故郷に対する想いを新たにした人もいるでしょう』
おおっ! と賛同の歓声が上がった。オ・クランクランはそれに嬉しそうな頷きを返す。
竜人の特使は、もっと渋い顔になった。この宴席に参加している以上、もっと大きな支援を求められることは間違いがないし、それを断れば……体面と矜持が傷つく。他の列強とも、見比べられることになるだろう。
『あなた方、いや、我々は、今日の勝利を祝います。そして同時にこれは新しい無数の勝利の前祝いでもあるのです』
歓声が大きくなった。
こういう演説をする人物だとは思わなかった。狸人というだけあって、上手く化けていたらしい。
『まだまだ言いたいことはありますが、今日の主役は皆さんです。大いに楽しみましょう! 乾杯!』
乾杯、の唱和が爆発した。
そこここでジョッキが打ち鳴らされ、酒精を注がれた喉がなる。
レオも、ジョッキを呷った。中にはよく冷えた林檎酒がなみなみ入っている。
美味い。
疲れた身体に、酒が染み渡る。甘みのある林檎酒が胃の腑に落ちていくのが心地よい。
ジョッキを脇へ置き、匙でハヤシライスを掬う。
口へ運んで、驚いた。
濃厚だ。
とろとろに煮込まれたルゥには、肉の旨味とタマネギの甘み、様々な野菜の滋味がしっかりと溶け込んでいる。出征式で食べたカレーも美味かったが、ハヤシライスもまた格別だ。
口の中に、幸せが広がる。
そこへ林檎酒を合わせると、これまた美味い。
芳醇な美味さの厚みがあるハヤシライスは、林檎酒に負けることなく受け止め、また林檎酒も口の中のハヤシライスを優しく洗い流してくれる。
『さぁ、どんどん料理が出ますよ!』
拡声魔術でマモが叫んでいるのが聞こえた。
オッティーたちが大量のカラアゲや揚げ芋、野菜の盛り合わせなどを次々と運び込んでくる。
破落戸たちは居ても堪らず皿に向かって突進しようとするが、それを戦士たちが〈城壁〉の名に恥じない堅陣で食い止めた。
楽しい。
実に、楽しかった。
きっと、今日のことは、一生忘れない思い出になるに違いなかった。