キマイラ文庫

まものグルメ

蝉川 夏哉

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まものグルメ

蝉川 夏哉

一章 黒髪黒目の少女

第十二話 腿肉の炙り

 美味い。

 ただ美味いのではない。

 とんでもなく美味い。


 香辛料は単に刺激的なだけでなく肉の美味さを最大限に引き出しているし、表面はパリッと、中は肉汁たっぷりの焼き加減も絶妙だ。

 だがそれよりも、肉の質がいい。


 噛む歯を押し返してくるような肉の弾力の心地よさと、溢れ出す肉汁。

 噛みしめるたびに滋味が奥から奥から湧き出てくる。


「なんだこれは」


 口を突いて出た言葉に、豹人は誇らしげに胸を張る。


「骨付き鳥の香味焼きだ。マモの料理は美味い」


 自信満々に答える豹人には悪いが、料理名を聞いたわけではない。レオ・ブルカリンの讃嘆の呻きなのだ。


「お客人の口に合うか?」


 少し不安げな少女に、レオは大きく頷きを返す。

 本当に美味いものを食べた時、人は何も言えなくなるのかもしれない。

 これが魔物の肉だったなんて、信じられない。


 口の周りが脂でてらてらになるのも気にせずに、レオは腿肉を貪った。

 骨にこびりつく肉も少しも無駄にしたくない。

 焼き加減が、絶妙なのだ。


 普通に腿肉を焼いただけでは、こうはならない。

 一本目を骨格標本のように綺麗に骨だけにして二本目に取り掛かった頃、レオは妙なことに気が付いた。


 心の中に居座っていた哀しみの氷が、溶けている。

 寝ても醒めても、酒を飲んでも何をしても頭と心を支配していた悲愴感が、お湯をかけた氷のように消え去っていくのだ。


「ど、どうしたお客人!」


 ラクサーの声に、レオは自分の頬を涙が伝っていることに気が付いた。


「骨が喉に刺さったのか!?」


 狼狽するラクサーに、口元を袖で拭いながらレオは微笑みかける。


「あまりにこの肉が美味過ぎたんで、驚いて涙が出たんだよ」


 その言葉を聞いて、ラクサーは露骨に安堵の表情を浮かべた。


「よかった。マモの料理は美味しいから、お客人に何かあったら全部ラクサーの責任だ」


 どういう理屈か分からないが、ラクサーが給仕に並々ならぬ責任を感じていることにレオは好感を覚える。


「店に入った時から気になっていたんだが、マモって、誰?」

「マモはマモだ。この食堂の料理人。そしてラクサーの恩人だ」


 ラクサーが厨房の方へ向かって「マモー!」と声をかけると、中からひょいと少女が顔を出した。

 初めに聞こえた「いらっしゃいませ」はこの少女のものだったのか。

 黒髪に黒目というのはこの辺りでは珍しい。マモという名前もあまり聞かないから、遠方の世界から来たのだろう。


「恩人、っていうのは?」


 一本目でだいぶ腹もくちくなったので、二本目はゆっくりと味わいながらラクサーに尋ねる。


「うん。話せば長くなるんだが……」


 長くなる、と聞いてレオはラクサーに向き直った。これだけの鍛えられた肉体を持つ剣士を助けたというのだから、きっと壮大な冒険譚があるに違いない。


「ラクサーは遠征隊の応援任務に行って、とても怒りっぽくなっていた。全部壊したかった。でも、マモの料理を食べたら全部治ったんだ」

「……それだけ?」

「ああ。とても長い話だ」


 しみじみと頷くラクサーにレオは拍子抜けした。

 だが、短い説明でもおおよその状況は理解できる。

 遠征病、と呼ばれ恐れられる病気が存在した。


 ヤドリギ退治のために出撃した戦士や冒険者が突然、人が変わったようになる病気のことだ。

 ラクサーのように怒りっぽくなったり、笑い上戸になって致命的な楽観主義に陥り冒険者を続けられなくなったり、症状は様々。レオのように哀しみに囚われる者も多い。


 原因は、不明。

 毒や未知の菌によるという説もあったが、はっきりとしたことは何も分かっていない。

 とにかく、そうなってしまうと何をしても治らない。軽度の場合は前線に復帰することもあるが、重度の場合はレオのように後方勤務に回されることになる。


 もちろん、無理をして出陣して命を落とす場合もあった。

 不治の病である遠征病。ラクサーは、マモの料理でそこから回復した、ということか。


 これは凄まじい発見ではないか。

 レオは自分の掌を見つめ、握って開いてを繰り返してみる。

 この店に入るまで、いやマモの料理を食べるまでは心を支配していた哀しみは、本当に嘘のようになくなった。

 忘れていた様々な感情が、レオ・ブルカリンの心の中に押し寄せてきている。


「……マモは、オレにとっても恩人だ」


 そうだろう、そうだろうとラクサーが深々と頷いた。

 これならまた、前線に出られるかもしれない。

 忘れていた闘志が、胸の奥底から湧き上がってくる。


「お客人が元気になって、ラクサーも嬉しい」


 ぴょこんと跳ねるように

 揺れるラクサーの尻尾の後ろから、黒髪の少女が歩み寄ってきた。前掛けのような不思議な格好をしている。


「どう? 美味しかった?」


 マモの口調は自信に満ち溢れていた。


「この店はもっと知られるべきだ。特に、遠征病の人は全員ここに来るべきだな」


 レオは味の感想の代わりに、これからのことを口にする。美味い、なんてことは伝えるまでもなく当たり前のことだからだ。


「でも、魔物の肉を使っていると聞くと、皆、尻込みする」


 豹の耳がぺたんと伏せられる。ラクサーも同じことを考え、試してみたのだろう。

 聞けば、アナーシス王国出身の戦士たちはマモの料理の美味さを知っているらしく、常連のようになっているそうだ。


 だが、今は遠征中。

 彼らが遠征に出ている間は、見ての通りの閑古鳥というわけだ。

 宣伝してみればいいと思うのだが、ラクサーが巧みに宣伝するところはちょっと想像しづらい。


「宣伝の方法を考えないとな」

「アイデアを出してくれるの?」


 マモの顔が輝いた。ラクサーといいマモといい、ここの女性陣の表情は豊かだ。


「マモはラクサーだけじゃなく、オレにとっても恩人だ。それに、ここの料理は美味いしな」


 二本目も綺麗に平らげて、指先の脂を|手巾《ハンカチ》で拭う。


「ラクサーもそう思う」


 尻尾をぴょこぴょこと動かしながらラクサーが迫力のある笑みを浮かべた。


「酒があれば言うことなしなんだが」

「ラクサーもそう思う」

「私が未成年だから出せないのよね……飲んだことないものをお客様に提供できないし」

「なるほど。そこも含めて何とかしないといけないな……」

「レオは何か知恵があるか?」



 期待のまなざしを向けるラクサーに、レオはきっぱりと言い放った。

「ない」

「……ないのか」


 ラクサーが明らかに落胆した表情を見せる。


「なぁに。金も知恵も、ないときには、借りればいいだけだ」