キマイラ文庫

まものグルメ

蝉川 夏哉

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目次

まものグルメ

蝉川 夏哉

一章 黒髪黒目の少女

第十九話 カワウソ、オッティー

 まもりは生まれてこの方、カワウソという生き物を見たことがなかった。

 こちらの世界はもちろん、日本でも。


 動物園に連れて行ってもらった経験はなかったし、野生のニホンカワウソはまもりが生まれる遥か前に絶滅していたから当然である。ついでに言えば、カワウソと触れ合えるカフェに行った経験もない。


 そういう生き物がいる、ということは小学校の夏休みの宿題で読書感想文を書くために絶滅動物を扱った本を借りた時にその中の文言で知っていただけだ。

 だから食堂にやってきたそれがカワウソであると名乗ったとき、ひどく面食らった。

 より正確に言うと、それ”達”が名乗ったときに、であるが。


「ここで働き手を探していると聞きました」


 消え入りそうな声で、代表と思われるカワウソの一匹(彼は自身の名前がオッティーであると丁寧に名乗った)がおずおずと尋ねる。


 そこでまもりは一匹、というのは失礼かも知れないと思い直した。

 ほとんど見た目はカワウソそのものだが、彼ら彼女らはれっきとした獣人の|獺《かわうそ》人であり、ただ単に種族の特徴として小柄で体毛が多く、見た目がきわめてカワウソに似ているだけなのだ。だから、一人というべきであろう。魔術が失敗して本当にカピバラになってしまった誰かとは違う。


 今日面接にやって来たのは、五人の獺人であった。

 名前は五人とも、オッティー。

 彼ら彼女らに言わせればそれぞれ違う名前なのだということなのだが、マモやラクサーの耳では全員がオッティーと名乗っているようにしか聞こえない。

 聞き分けられないので、全員をひとまずオッティーと呼ぶしかなかった。


 それにしても、かわいい。

 小さくて愛らしい両の掌を胸の前でもじもじこすり合わせながら尋ねるのはあざとさすら感じさせるが、これがカワウソの種族特有の癖だということを、まもりは後から聞かされた。


「ええ、今は猫の手でも借りたいのよ」


 猫、という言葉にモップで床掃除をしているラクサーの耳だけがピクリとこちらを向く。

 もちろん、猫の手とはラクサーのことではない。ラクサーは誇り高き豹人だし、手助けというよりはもう仲間の一員である。


「……カワウソよりも、猫の方をお求めですか?」


 カワウソの群れが、一斉に“きゅるん”と小首を傾げた。しかも上目遣いである。

 これは恐ろしい。この愛くるしさを見てしまうと、どんな人事担当でも一発で採用を決めてしまうに違いない。


「採用!」


 親指を上げてまもりが宣言する。

 いずれにしても人手は足りていないから、誰かを雇わねばならないことに変わりはない。

 オ・クランクラン伯も探してくれるとは言っていたが、あまり期待をしないで欲しいと言っていたから、こちらで採用してしまってもいいだろう。


〈浮遊城〉は、小さな世界なだけあって、人の出入りが激しい。

 ヤドリギに浸食された世界からの難民や〈城壁〉の関係者が次々にやってくる一方、去っていく人間も少なくないし、仕事は無限といっていいほどにある。

 おまけにこれまでは重労働を担っていた〈遠征病〉で戦いに出向けなくなった冒険者たちにも回復の可能性が出たことで、労働力はどこもかしこも不足気味なのだ。


 その辺りの事情をまもりが十分に理解できているかは自分でも甚だ怪しかったが、自分たちから来てくれるのなら有難いことこの上ない。

 ましてや、これだけ愛らしいのだから、言うことなしである。


 条件面についての話を切り出そうとしたその瞬間、オッティーがその愛らしい掌をバッと広げて突き出し、まもりを制した。


「待ってください。私たちの賃金以外の条件も聞いてください」


 オッティーの言うことももっともだな、とまもりは椅子に深く座り直す。

 労働契約は双方の合意によって成り立つものだ。

 こちらは賃金と福祉と可能ならば満足を。あちらは労働力を。見合わなければご破算なのは他の取引と何ら変わるところがない。


「お伺いしましょう」


 まもりは両肘をテーブルに突くと、顔の前で手指を組み合わせた。

 秘密組織の司令官のような表情を精一杯作って見せるが、オッティーたちは気にする様子もない。

 五人で小さな頭を突き合わせ、ひそひそと何かを話し合うと、意を決したように宣言した。


「うちの管理者様を、ここでも祀らせてください!」


「えっ、それって、いいの?」


 突然の要望に、今度はまもりが首を傾げる。

 祀る分にはまもりとしては一向に構わないが、そういうことをしていいのかが分からない。

 ラクサーの方を向くと、よく分からないという風にこちらも絶妙な角度に首を傾けている。



「で、儂のところに来た、と」


 小さな眼鏡をくいっと上げながら、カピバラのテテインはやれやれと小さく溜息を吐いた。

「困ったときはテテインに聞く。ラクサーはそう決めている」

「考えるのが面倒くさいだけじゃないのか、まったく……」


 テテインが椅子に身体を収めている図書室の一角は、テテイン、ラクサー、まもり、そして七人のオッティーたちで一杯だ。司書はもう諦めたのか、何かを悟ったような表情で、見て見ぬふりをしている。オッティー二人はいつの間にか合流した。本当はもっと多いのかもしれない。


〈浮遊城〉に避難してきたオッティーたちの元々いた世界は既にかなりヤドリギに浸食されており、そこら中に〈歪み〉ができている。必死に逃げてきたオッティー達が心の拠り所が欲しいという気持ちは、まもりにも何となく想像できた。


「で、可能なの? テテイン」


 魔術師カピバラは読みかけで閉じた本の装幀を撫でながら答える。


「可能だ。管理者の分祀は世界を超えて行われることもあるし、珍しいことでもない。〈浮遊城〉ではあまりやっていないようだが」


 テテインの言葉を聞いて、オッティー達がぴょんぴょんと跳びはねながら手を取り合った。司書は呆れたように眉根を少し動かし、もう何も言わない。


「マモの食堂は貸店舗だから、権限のあるオ・クランクラン伯の許可が必要だが、ま、断ることはないだろう。ちょうど会う用事もあるから、頼んでおこう」

「何から何まで、すまない」


 ラクサーとまもりが頭を下げると、テテインは何を今更といった風に手を振った。


「今度食べに行ったとき、美味いものを食わせてくれればそれでいいよ」