キマイラ文庫

まものグルメ

蝉川 夏哉

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まものグルメ

蝉川 夏哉

二章 【マモのグルメ】と迷宮攻略大作戦

第十八話 大宴会

 慰労の宴会は城内ではなく広場で行う、という知らせをルシェオスは飛空艇の中で聞いた。

 戦いを終えた将兵を載せた飛空艇は、ゆっくりと〈浮遊城〉へ向けて帰還している。

 船内はこれまでにない充足感に満たされていた。


 参戦した全ての将兵を労うにはどのような宴会場を用意しても足りないであろうから、賢明な判断だと思える。

 竜王国には数千人を収める宴会場もあるという噂であるが、〈浮遊城〉の最も大きな部屋であっても、精々が一〇〇人といったところか。


 形式はどうするのだろうか。

 船倉の壁に身体を委ね、心地よい疲労感の中で想像を弄ぶ。


 一般的に、大規模な攻略作戦での慰労会は、幹部と一般の戦士や冒険者を分けて行われることが多い。

 ルシェオスはこのような区別が悪いことだとは思っていなかった。

 元貴族や元王族の混じっている幹部は普通の冒険者とは扱いが違うものであるし、冒険者の方でも、上役がいると騒ぎにくい。酒の席で醜態を晒した上司を敬いにくくなる、というような意味もある。

 ルシェオスも幹部の末席に名を連ねているから、出るとすればそちらの宴だ。


 ただ、今回は一緒に祝えればよいな、と思う。

〈歪み〉の、完全消滅。

 これは前代未聞の大戦果だ。

 偉大な功績は、参加した将兵の全てで分かち合いたいし、祝いたい。

 それだけの価値がある、とルシェオスは確信している。


「ルシェオス、休めているか?」


 横に腰を下ろしたのは、なんとゼレクスだった。

 慌てて居ずまいを糺そうとするルシェオスを、ゼレクスが片手で制す。


「お陰様で、ゆるりとさせて貰っております」

「それを聞いて安心した。ところで、宴席のことなのだがな」


 やはり、主君も同じことを考えていたのだ、とルシェオスは嬉しくなり、自然と片頬が上がった。


「畏れながら、今回の祝宴では、幹部と将兵の区別を付けずに、全員参加できる形にするのがよろしいかと愚考いたします」


 うん、とゼレクスが頷く。やはり、同じことを考えていたのだ。


「料理の準備などの負担もあるだろうから難しいかもしれないが、せめて乾杯だけでも一緒にできればよいと私も思っていたのだ」


〈城壁〉の幹部であり、元王族であるゼレクスがこれを言う意味は大きい。

 貴族と一般人の差というのは、それほどまでに大きいのだ。

 料理までは難しくとも、確かに乾杯だけなら一緒にできるかもしれない。


「これはあくまでも、可能であればなのですが」

「なんだ? どうせ異例続きなのだ。なんでも言ってみてくれ」

「……斧手や、後方で手伝っていた、荷運び、その他の人々も、乾杯に加えることはできないでしょうか。ああいや、無理ならばよいのですが」


 ルシェオスの言葉に、亡国の元王子は大きく目を見開いた。

 そして、臣下に過ぎないルシェオスに、深々と頭を下げる。

 異例なことだ。このようなこと、滅多にあるものではない。

 慌てふためくルシェオスの手を、ゼレクスが両手で包み込むように握りしめる。


「蒙が啓かれた。ありがとう、ルシェオス。君のような臣下を持てたことは、私の誇りだ」

「い、いえ、そんな」

「すぐに幹部と共有し、通信魔術師で先触れを出そう」


 どうやら、主君はルシェオスの提案が甚く気に入ったらしい。

 口には出さないが、二人とも誰を念頭に置いているかは、一致している。


「若、そろそろ〈浮遊城〉に到着します」


 甲板から降りて来たボルモントにそう言われると、ゼレクスは慌てて立ち上がった。


「これは急がねばならんな。ルシェオス、また後で!」


 主君は、風のように甲板へと上がっていく。船長室から通信魔術で幹部会議を開くに違いない。

 こういうところで独断専行しないのは、主君の美徳である。


 ルシェオスも、腰を上げて、甲板に出てみた。

 進む飛空艇の合成風に髪が靡くのが心地よい。

 雲海に浮かぶ〈浮遊城〉を見ると、故郷でもないのに、帰ってきたという気がする。


 故郷。

 思い出さないようにしていても、瞼の裏に浮かぶ、故郷。

 これまで必死に忘れようとしていたにもかかわらず、今日だけは思い出さずにはいられない。



〈歪み〉を完全消滅させることができるようになった。

 それはつまり、既に失陥してしまった島を奪還することができるかもしれない、ということだ。

 多くの人は一笑に付すだろう。

 今回の〈無限荒廃城塞〉ですら、これだけ大規模な作戦を必要としたのだ。

 完全に〈歪み〉に呑まれてしまった島の、王国の奪還にどれだけの兵力が必要になるのか、と。


 だが、常識の壁を、”彼女”は穿ち、壊した。

 絶対に消滅しないはずの〈歪み〉が消滅したのだ。

 島だって、奪還できる。

 否。奪還する。


 可能性がないのと、僅かでもあるのでは、全く違う。

 話は「できる、できない」から「する、しない」へと変わったのだ。

 この間には無限の隔たりがある。


 国土奪還を諦めて難民として逼塞した生活を送っていた者たちも、再び剣を手に取るかもしれない。

 新天地での生活のために蓄財に励んでいた者も、〈城壁〉に寄附をするようになるだろう。


〈城壁〉という、後ろ向きの名前も、変わるのではないだろうか。

 これまでは終わりなき撤退戦を少しでも有利に進める、という意味でしかなかった。

 しかしこれからは、攻勢の、奪還作戦が念頭に置かれるようになる。

 いや、そのように組織を変えなければならない。


 胸の奥で枯れかけて萎んでいた何かに、焔が灯るのをルシェオスは確かに感じた。

 これから、忙しくなる。

 すべきこと、した方がよいことは、無数に思いついた。

 それも守るためではなく、取り戻すためにできることなのだ。


〈壁穿ち〉とかつて呼ばれた戦士の腕に力が漲る。

 気持ちが湧きたつなど、いつぶりのことだろうか。

 今ならまた、槍一本で〈歪み〉の壁さえも穿ち貫くことができるかもしれない。



 飛空艇が滑るように〈浮遊城〉の港湾である湖への着水体勢に入る。

 甲板からは、出迎えに来ている人たちの姿がはっきりと見えた。

 今回の勝利は、将兵だけでのものではない。ここに集った、後方の支援あってのものだ。

 共に、祝おう。


 ルシェオスの鼻腔には、マモの調理する芳しい香りが漂ってきているような気がした。