まものグルメ
蝉川 夏哉
二章 【マモのグルメ】と迷宮攻略大作戦
第八話 大軍議(前編)
それは、椅子と机の行列だった。
〈浮遊城〉の中にこれほどの椅子と机があったのかと呆れるほどの数のそれらが、天覧練兵場に運ばれていく。
天覧練兵場とは、竜王国の国王が〈浮遊城〉に行幸した際、兵に親しく閲兵するための部屋であり、城の中では最も面積の大きい部屋であった。
使われずとも普段から掃除の欠かされることのないこの部屋に、椅子と机は運び込まれていく。
メイドや下人、あるいは雇われたオッティーたちのような移住者や避難者は、粛々と机と椅子を円形に並べていく。もっとも、机は長方形であるから完全な円にはならない。多角形、というだけだ。
それでも可能な限り円に近づけるように、という指示が城主たる〈平穏伯〉ゲール・オ・クランクランから発せられたのは、この会議には”上座”がないからだった。
参加者全員が、対等。
そんなことはもちろん、建前に過ぎない。
実際には厳然たる力関係があり、利害関係があり、恩讐関係があり、中には非公式な主従関係を結んでいる者さえいる。それでもこの形式にオ・クランクランが拘ったのは、今回の会議にとって平等であるということが何よりも重要であると考えたからだ。
大軍議。
後に歴史書にそのような名前で記されることになる会議の支度は、そのようにしてはじまった。
招待された者、声をかけられた者たちが、続々と天覧練兵場に集いはじめる。
〈浮遊城〉の関係者。
〈城壁〉の幹部と、戦士たち。
名のある冒険者と、その取り巻き。
ヤドリギを伐る斧手の代表者たち。
普段何をしているのか分からない|破落戸《ごろつき》まで紛れているが、それらもすべて招待者だ。
冒険者の中には、〈遠征病〉をおして来ている者も見受けられた。
全員が全員、不審げに周囲を見回し、状況の把握に努めている。
これほどまでの人数が一堂に会したことは、〈浮遊城〉が〈城壁〉に軒先を貸すようになってからはじめてのことだ。しかも、冒険者や斧手、破落戸までも集められている。何もかもが、異例づくめ。
「……さて、オ・クランクランは何を企んでいるのかな?」
ゼレクスは隣に座るボルモントに訊くでもなく、中空に独り言つ。
慎重で前例を尊ぶあのオ・クランクランらしくないな、という思いは顔に出さない。
ボルモントと共に伴っている〈壁穿ち〉のルシェオスなどはまるで戦場の真ん中であるかのように警戒心を剝き出しにしているが、あれはあれでよかった。
〈城壁〉の代表者として参席しているから、舐められ過ぎるのも、今後に障る。
特に冒険者たちは、〈城壁〉を軽んじはじめている節があった。
自分たちこそがヤドリギ災害に対する防壁であり、〈城壁〉は無駄に金を吸っているだけだ、という主張は冒険者には沁み入りやすい言葉だろう。
ゼレクス自身が、そう考えてしまうことさえあった。
そして最大の問題は、身分差だ。
〈城壁〉に加わっている面子、とくに幹部級はほとんどが亡国の王族や諸侯である。ゼレクスのように王孫ともなればまた違うが、領地を失った小領主などが冒険者に威丈高な態度を取ると、しばしば喧嘩になり、仲裁が必要なこともあった。
失ってしまった身分が、融和を妨げているというのは、何とも滑稽だ。
これでは、一致団結などできようはずもなかった。
士気も、上がるまい。
何せ、誰も〈歪み〉を完全に消滅させることができないのだ。
上手く攻略して、「新たに生えてくるヤドリギを定期的に伐る」だけの状態にすることができたとしても、そこに魔物が出る可能性を考えれば、なにかしらの戦力は置かねばならない。
つまり、ジリ貧だ。
終わりなき撤退戦ほど、人々の心を蝕む物はない。
何か一つでも、明るい勝利があればいいのだが。
若い冒険者が一人、ゼレクスに敬意の籠った会釈をしてきた。
記憶の底から、カンピュール家の次子、キーオだとあたりを付ける。王族に連なるものは常人の数十から数百倍も人の顔と名前を憶えねばならない。
ゼレクスは失礼にならない程度の会釈を返す。
相手の意図が、読めなかった。
実を言えばゼレクスとボルモントは、〈浮遊城〉に帰還したばかりなのだ。
ルシェオスからの不在時の報告もそこそこに、天覧練兵場に呼び出された。
それもまた、異例のことである。
普通なら大きな会合の前には数日間の調整を挟むものだ。今回、それすらなく、有無を言わさぬ招待をしたこと自体が、オ・クランクランらしからぬ判断だった。
あるいは、竜王国そのものの差し金だろうか。
竜王国は十大列強の中でも特に鷹揚に構えた国で、界外領土に直接何か命令を下すということは稀だとゼレクスは聞いている。その慣例を覆した、とすると……
自嘲の笑みが口元から零れた。
考えても仕方がない、という微笑だ。
どうせもうすぐ明らかになるのだ。
「九等級の〈歪み〉を、攻略する」
大軍議の開幕劈頭、〈浮遊城〉城主、ゲール・オ・クランクランはそう宣言した。
普段の柔弱な様子は一切ない。有無を言わさぬ迫力に、この男にはこういう表情もできるのだな、とゼレクスは感心したほどだ。
当然ながら、紛糾した。
怒号と詰問が飛び交い、収拾がつかない。
その中にはルシェオスも加わっているが、ゼレクスもボルモントも敢えて制止することはしなかった。
様子を見るには、こういう手管も必要だ。
激烈な反対の声を上げているのは、冒険者たちだった。
無理もない。〈城壁〉の戦士よりも練度が劣る冒険者たちは、高等級の〈歪み〉に突入すれば、最も損害を被ることになるからだ。
対照的に、斧手の代表は静かに感じられる。
要するに今回の攻略作戦そのものの実施を信じていないのだろう。
「(そろそろですか)」
口の動きだけで、ボルモントが伝えてくる。
ゼレクスは頷きも返さず、両の掌で、思いっ切り、机の表面を叩きつけた。
音と衝撃に、一瞬、辺りが静まり返り、視線がゼレクスに集まる。
「伯に聞きたい。何故、今そのような無謀とも言える攻略戦を立案するのか」
そうだそうだ、と声を上げた冒険者が隣の先輩格に殴られて黙った。
代表としてゼレクスに質問させた方がいいと、皆が思っているのだろう。
「まずこれは、竜王国からの、”命令”だ」
言葉にならない溜息が、会場を満たした。
厳密に言えば、この場で竜王国の命令に従わねばならないのは〈浮遊城〉の面々だけだ。
しかし、竜王国からの支援がなければ〈城壁〉は立ち行かないし、冒険者もまた、仕事が請けられなくなる可能性がある。列強とは、それだけの力を持っているのだ。
「そして、これは私、つまりゲール・オ・クランクランの意見なのだが……」
狸人である城主は、一拍置いて円形のテーブルに並ぶ面々の顔を眺めまわした。
「この作戦には、ほんのわずかだが、成功の可能性がある」
会場が、爆発する。
もちろん、実際に爆発したわけではない。様々な感情が怒声や歓声に乗って、迸っている。
怒っている者は、勝利の可能性がわずかだということに。
喜んでいる者は、わずかでも勝利の可能性があることに。
ゼレクスは、問うた。
「そう判断した根拠は、何か?」
その時。
天覧練兵場の最も大きな扉の向こうから、何か、美味そうな香りが漂いはじめた。
オ・クランクランが、にまりと口角を上げる。
「これから皆さんに、それをご賞味頂こうと思う」