まものグルメ
蝉川 夏哉
一章 黒髪黒目の少女
第七話 少女の要求
「そんな荒唐無稽な……」
絶句するゲールの目の前で、ルシェオスが「失礼」と、炒めたタコを一つ、口にする。毒見というわけだ。
「御覧のように、食べてすぐに効果を発揮する毒はありません。薬師に調毒魔術を使わせましたが、少なくとも既知の毒は含まれていないようです」
「しかし……」
まだ信じられないゲールの様子を察してか、ゼレクスがマモという少女に頷きかけた。
マモはボルモントから手渡された魔物の触腕を手に取ると、「【下拵え】!」と唱える。
刹那、毒々しい斑紋に覆われていた触腕が煌めき、タコのそれに変じた。
「信じ、られん……」
ゲールの頭の中を目まぐるしく様々な計算式が飛び交った。
食糧不足の解決、とまでは言わないが、多少楽になるだけでも大きな違いがある。
マモという少女がどれだけの量を【浄化】できるのかはまだ未知数だが、これまで0と考えられていたものが1になるというのはそれだけで大きな衝撃だ。
上手く使えば頭の中まで硬い鱗で埋め尽くされた古鱗院の爺婆たちの支援予算削減案に対して、反撃の糸口になるかもしれない。
それだけではない。
少女マモ以外にも【下拵え】という【浄化】を使うことのできる者がいる可能性もある。もし発見できれば……
そこまで考えて、ゲールは現実に意識を戻した。
これだから狸人族は「狸の夢算用」などと軽口を叩かれるのだ。
「とにかく、その麺料理とタコ、私も賞味したいのだが?」
努めて平静を装いながらゲールが皿の料理を求めると、マモがゼレクスに皿を手渡し、それがゲールに回ってくる。
手回しのいい秘書官が小さな卓子を持ってきてくれたので、そこに置いて改めて皿を眺めた。
「塩ヤキソバです」
料理名をボルモントに告げられ、ゲールは小さく頷いた。料理の名前はともかく、今は腹いっぱい食べたい。
|筷子《ハシ》を手に取り、まずはタコから。
「……っ!!」
豆の|醤《ひしお》で味付けされたタコはぷりぷりとした歯ごたえもさることながら、噛めば噛むほど味が出る。隠し味に|牛酪《バター》を使っているのだろう。
淡白になりがちな魚介でありながら、絶妙なコクが舌を楽しませる。
そこに、塩ヤキソバ。
たっぷりの油脂を使って炒められたであろう麺は程よい塩味があと引く旨さで、空っぽのゲールの胃袋に多幸感をもたらしながら滑り落ちていく。
他国の王子と重臣、そして秘書官や衛兵たちが環視しているにも拘わらず、ゲールは|筷子《ハシ》を止めることができない。できようはずもない。
皿の脂まで舐めってしまったのではないかと自分で不安になるほどに綺麗に平らげたゲールは、慣例に反してゼレクスと、そして少女マモに深々と頭を下げた。
「実に、実に美味な料理だった。しかもその材料の一部が、魔物を浄化したものというのが素晴らしい。このことの与える影響はとても大きい」
〈浮遊城〉にとってだけではない。
これまでただ後退を繰り返すだけだったヤドリギとの戦いに、わずかなりとも変化の兆しが表れたということが重要なのだ。
「褒美、というと妙な表現になるが、この希望をもたらしてくれたコバヤカワ殿には、〈浮遊城〉城主として、竜王陛下の名代として、何か礼を差し上げたく思うのだが」
ゲールの言葉に、それまで黙っていた少女マモの瞳に、それと分かるほどはっきりと力強い光が宿った。
「食堂を」
「食堂?」
「はい。食堂を下さい! お願いします!」
聞けば少女マモをルシェオスが見出したのは、茶店の下働きとして料理を売っているところだったという。
ゲールは逡巡しなかった。「狸の夢算用」ではないが、先々のことを考えるのは得意なのだ。
あの【下拵え】と調理の腕があるのなら、食堂を出すことは〈浮遊城〉にとって大きな利益になるに違いない。
「いいだろう。〈浮遊城〉の既存の食堂を任せるのは却って手間が多い。新たに第二食堂を設けることとし、そこをコバヤカワ殿に委ねるというのはどうだろうか」
その返答に少女マモは一瞬、唖然とした表情を浮かべ、
「やったー!!」と爆ぜるように喜びの声を上げた。
儀礼からすれば叱責を免れないところだが、叫び出したいのはこちらも同じかそれ以上なのだ。
少女マモが条件に満足せず、〈浮遊城〉から出ていくということになれば、その損失は計り知れない。
「付きましてはゲール殿。コバヤカワ殿は〈城壁〉で庇護する、ということでよろしゅうございますか?」
抜け目なく、ボルモントが口を挟んでくる。亡国を支える重臣というだけあって、言質を取る手管もなかなかのものだ。
「いやいや、ボルモント殿。食堂もこちらで用意するのだ。コバヤカワ殿の庇護は竜王国にお任せあれ」
「しかし、コバヤカワ殿の類い稀なる能力を見出したのは我々ですからな……」
表情こそ好々爺然としているが、ボルモントの目は笑っていない。
ゲールは肚の底でやれやれと小さく溜息を吐いた。
少女マモの身柄など、ボルモントはどうとも思っていないだろう。要するに、この少女を渡すから、〈城壁〉と旧アナーシス王国をもっと支援してくれ、ということだ。
手札なしにやるゲームというのはどれほどの苦労があるのだろうな、とゲールはこの老爺を見て、少し哀れに思った。
人族であるボルモントは老いて見えるが、実際にはゲールの半分の半分も生きていない。それでも、小童と侮れないのは、必死さがゲールにはよく理解できるからだった。
「分かった。コバヤカワ殿の処遇については暫く両属ということで留保し、彼女を見出したアナーシスの人々にも然るべきお礼ができるように、こちらでも検討しよう」
ゲールの返答を聞いて、それと分かるほどのアナーシスの三人の表情が緩んだ。
国を亡くしてなお、世界のために戦うというのはどれほどの苦労があるだろうか。
〈浮遊城〉を任された竜王国の忠臣は、同情の念をすぐに振り払った。今は、すべきことが山ほどある。
「では、コバヤカワ殿を第二食堂の予定地に案内するように」