まものグルメ
蝉川 夏哉
一章 黒髪黒目の少女
第十六話 トンテキと大繁盛
小早川まもりは驚いていた。
カピバラのテテインに相談したときは「でも、そんなに急に客が増えることなんてないだろうな」と甘く見ていたのだ。
予想はいい意味で裏切られた。それも、激しく。
「おい、料理はまだか!?」
「こっちも待ってるんだ!」
「早くしてくれー!!」
食堂の席は満席で、外には行列までできている。
ウェイターとして働いてくれている豹人のラクサー・ギフは先刻から休むことなくテーブルとテーブルの間を跳ぶようにして駆け回っている。だが、全く手が足りていない。
注文はひっきりなし。両手に三枚ずつ皿を持って運んでも追いつかなかった。
まもりの方も、忙しい。
今回の遠征で手に入ったという海藻猪の肉を【下拵え】すると質のいい豚肉になったので、料理はトンテキにした。
味醂に似た発酵調味料とウスターソースっぽいソースが〈浮遊城〉の市場で手に入ったので、まもりのイメージに近い甘辛味のトンテキに仕上がっている。
「美味いな、これ」
「本当に魔物の肉か、これ?」
戸惑いながらも肉を切って口に運び、冒険者たちが讃嘆の声を上げた。
客の中にはレオが患っていた遠征病の患者もいるらしく、陰鬱そうな表情や苛つきを隠さずに入店してきた者もいたが、皆、食べ終える頃にはすっきりとした笑顔になっている。
突然の大繁盛の原因は、レオ・ブルカリンだ。
遠征病を患っていた彼が、活躍した。それもただの活躍ではなく、大活躍だった。
試作のトンテキを食べながら聞いたところによれば、レオたち冒険者は依頼者にハメられたらしい。
依頼者である領主たちは、本来ならもっと大規模な遠征団を派遣すべき規模の〈歪み〉が出来上がっていることを認識していた。
にも拘わらず、冒険者への報酬をケチるために脅威を過少に申告していたというのだ。
安く雇った冒険者を〈歪み〉に突入させ、敵情の精確な把握と魔物の数減らしをさせる。
露払いのために冒険者を使い潰すということだが、自前の戦力をなるべく失いたくない領主がこういう悪行に手を染めた。
これは大変な背信行為であり、許されるべきではないが、実際にはしばしば行われていることだそうで、そのせいで多くの冒険者が傷ついたり遠征病に罹る羽目になっている。
今回の件も同様で、グルカヌン・ラー率いる遠征団は壊滅的な被害を受けるはずだった。
ところが、レオ・ブルカリンが全てを覆したのだ。
臨時指揮官として崩れかかった冒険者たちを鼓舞し、適切な戦力配置と交替で魔物の猛攻を防ぎ切ったレオは逆撃に転じ、出現していた海藻豚をすべて駆逐。斧手たちの力で既にかなり育っていたヤドリギを見える限りほぼ伐採するという快挙を成し遂げたのだ。
「ま、竜の世話に較べればこれくらい楽なもんよ」とは本人の言だが、これは大した功績だった。
近隣の島を見渡しても、稀なことだという。
まもりにはどれくらいすごいことなのか理解できなかったが、〈浮遊城〉の城主であるオ・クランクラン伯が本国である竜帝国に戦果を奏上する使者を特別に派遣することにしたとと聞いてラクサーは唖然としていたから、よほどのことなのだろう。
ただ、問題が完全に解決したわけではない。
全て切り倒したとしても一度〈歪み〉が発生してしまうとまたヤドリギは生えてくるし、魔物も現れる。際限がないとはこのことだ。
それでも、一度根こそぎにしてしまえば定期的に伐採に入るだけで済むし、出てくる魔物も都度倒せばいい。
街一つ、国一つを飲み込むような大〈歪み〉に成長する前に、安定的に対処できる状態にできたということが快挙なのだ。
それも田園地帯の真ん中だから、食糧供給の意味でも非常に意味がある。
名の知れた冒険者であるグルカヌン・ラーがレオに活躍の理由を聞くと、「マモのグルメで魔物料理を食べたから」と答えたことは、あっという間に広まった。
噂が広まるようにテテインが裏で手を回したようだが、まもりに詳しいことは分からない。
とにかく、閑古鳥のないていた第二食堂には客が詰めかけ、まもりとラクサーはてんてこまいをしているというわけだ。
「マモ、大変だ」
「どうしたの? トンテキからわかめでも生えてきた?」
「それはない。だが、肉がもうない」
えっ、とまもりは絶句する。
毎回調理の度に海藻豚の肉を【浄化】するのは手間だから、相当な量の海藻豚をあらかじめ豚肉に浄化しておいたのだ。
「ラクサー、ちょっと海藻豚を取ってきてもらえない?」
分かった、と返事をした時にはもう、豹人の背中は食堂の扉を出ていくところだった。
やはりラクサーはウェイターにしておくにはもったいないほどの身体能力をしている。
海藻豚自体は、信じられないほどの量が持ち帰られていた。
グルカヌン・ラーとジュローは魔物の肉なんて研究目的に多少持って帰ればいいと思っていたところを、一番の功労者であるレオが強固に持ち帰ることを主張してくれたのだ。
血抜きと簡単な処理をした海藻豚は、持ち帰れるだけ持ち帰ることになった。
お陰で、帰路の鳥車はひどく窮屈になったという。
海藻豚一匹一匹は小型犬ほどの大きさだが、〈歪み〉一つ分となると凄まじい数だ。
それを鳥車数輌で運べるだけ運んできたのだから、備蓄はたっぷりある。
城主であるオ・クランクランも【下拵え】には大いに期待しているようで、海藻豚を保管しておく部屋は快く貸してくれた。
「マモ、持ってきたぞ」
頭陀袋に突っ込んだ海藻豚を両肩に担ぐようにして、ラクサーが帰ってくる。
その姿に騒がしかった客たちも水を打ったように静かになった。
「さて、それじゃさっさと【下拵え】しちゃいますか」
ラクサーが下した頭陀袋を前に、まもりは腕まくりをする。
客たちが興味津々をいった風に周りを取り囲んだ。
「さて、と。【下拵え】……あれ?」
視界が回転する。
誰かが叫び声をあげるのが、遠くに聞こえた。
頭が痛い。
倒れ込んだ木の床が、妙に冷たく感じられた。