キマイラ文庫

まものグルメ

蝉川 夏哉

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目次

まものグルメ

蝉川 夏哉

二章 【マモのグルメ】と迷宮攻略大作戦

第十話 出陣とトンカツ弁当

 壮観だな、とテテインは思った。


 風を切りながら移動する〈浮遊城〉の尖塔から観る光景は、まさに空前のものだ。

 城の港である湖には五隻の飛空艇が着水している。

〈王国の栄光〉号、〈蛟竜の顎〉号、〈順風の導き手〉号、〈深紅の雄飛〉号、〈黄金の酔夢〉号……

 いずれも百人以上の搭乗を可能とする大型艇だが、短距離であれば更に多くの人々と荷物を載せることが可能だ。


 そして、〈浮遊城〉の上空を並走する、一隻の巨艦。

〈鎮界〉号は竜王国の保有する二等戦艦だ。一等戦艦として就役したが、後継となる艦が登場したことでその座を明け渡した。しかし艦齢八十年を数える今でもその威容は健在で、それが証拠に〈浮遊城〉の港に停泊できないので、飛竜を使って行き来している。


 木造飛空艇と異なり鋼を張った〈鎮界〉の船体の照り返しは鈍色で、重々しい頼もしさを感じさせた。

 竜王国界軍でもいつでも出撃できるように艦底の空藤壺や蒼天牡蠣の殻を落としているから、船足にも問題はない。



 居並ぶ兵力も、素晴らしかった。

〈城壁〉の幹部率いる戦士団、数えるのもバカバカしくなるほどの冒険者たち、斧手と|破落戸《ごろつき》も、テテインの見たことのない規模だ。これほどの数、〈浮遊城〉にいたのかと思う。


 いや、正確に言えば〈浮遊城〉に駐留している戦力だけではない。

 冒険者は情報が命。多くの|戦団《クラン》が、今回の作戦に部隊を派遣している。

 布告から作戦発動までの期間が短かったから、たまたま〈浮遊城〉の航路と軌道の近かった〈世界〉からしか辿り着けていないが、それでもかなりの数になるはずだ。


 航路。

 そう、航路だ。

〈浮遊城〉は現在、目的地である〈世界〉に向けて自力航行中だった。

 交易のために近隣の〈世界〉に軌道を移すことはあっても、軍事作戦のために長駆することなど、列強大戦まで遡らねばないのではないか。

 城で迷宮のある〈世界〉に近い軌道に入ることで、往復を楽にする。

 それによって、通常よりも遥かに大規模な戦力を投入することが可能になるのだ。


 自分とオ・クランクラン伯のしたこと、いや仕出かしたことの大きさに、テテインは満足している。

 何かと反目しがちな〈城壁〉と冒険者をまとめあげて、一つの戦力として迷宮攻略に投入するのは、困難であるが、胸の踊る経験だった。

 策略、あるいは謀略がこれほどまでに楽しいとは。


 それでも、九等級迷宮〈無限荒廃要塞〉の壁は厚い。

 発見されたときには既に十二等級にまで成長していた迷宮の内部は、荒れ果てた要塞である。

 強力な魔物が複数種類巣食っていることから、これまで有効な対策が立てられずに、半ば放置されて成長するに任せてきたという曰く付きの迷宮だ。


 竜王国に進貢する〈世界〉の一つであるが、既に拡大を阻止することさえ諦めてかけていた。

 けれども、この〈世界〉には豊富な鉱物資源が眠っている。竜王国としては、恩を売っておきたい、というところだろう。


 オ・クランクラン伯が蛇蝎の如くに嫌う古鱗院には、テテインも煮え湯を飲まされた。

 古鱗院は悪辣で狡猾で老練の手管を持っている。

 言辞を左右し、決して言葉尻も尻尾も握らせない。

 今回の件の最終指揮権を竜王国に握らせるというテテインたちの目論見は、脆くも崩れ去った。

 あくまでも竜王国は「最大の支援者」であり、作戦自体は〈城壁〉が責任を持つ。〈浮遊城〉及び竜王国はそれを全面的に支援する、という立場だ。


 これについては仕方のない面もあるが、いい面もある。成功すればその功績は〈城壁〉と〈浮遊城〉のものになるからだ。|多島界《リースフィア》でも近年稀にみる、九等級迷宮、しかも実質的には攻略難易度はさらに高いとされている〈無限荒廃要塞〉の攻略は、資金面でも〈城壁〉を助けてくれるはずだ。

 そしてそれ以上に、「迷宮は攻略できる」という希望の燈りを人々の心に灯すに違いない。


 だから、失敗できないのだ。

 テテインは、彼にしては珍しく〈管理者〉に祈りを捧げる。打てる手はすべて打った。後はもう、祈ることしかできない。


「テテイン、ここにいたのか」


 声をかけてきたのは、ラクサー・ギフだ。

 この豹人の女戦士、いや女給仕も今回の作戦では実によく動いてくれた。

 実質的にマモの料理が切り札のようなものであるから、彼女とオ・クランクランの間を取り持ち、連絡役として動き回ってくれたことにはテテインとして感謝しかない。


「それは?」

「これはトンカツ弁当だそうだ」


 渡された包みを開けてみると、衣を付けて揚げた肉とオムスビが入っている。

 これが今、眼下に居並ぶ戦士や冒険者たちに配られている、というわけだ。

 マモもオッターたちも城の料理人も総出で調理をしたと聞いているから、まったくありがたい。


「テテインの分だ」

「いいのか?」

「マモによると、トンカツは縁起がいい。作戦を考えたテテインも食べなければならない」


 なるほどな、とカピバラの姿の魔術師は口角を上げた。

 ラクサーなりの労いなのかもしれない。確かにテテインはここ数日、ほとんど眠ることもなく働き続けてきた。


 一口サイズに切られているトンカツを、頬張る。

 ソースの滲みたトンカツは、表面はサクッと、中はしっとりとしており、実に美味い。

 これは豚肉か。

 揚げ物というのは揚げたて以外では食べられたものではないと思っていたが、これは冷めても美味い。


 濃い目の味付けが、オムスビとよく合う。

 トンカツを噛みしめると、腹の底から力が湧き上がって来るかのようだ。

 これだ。

 これこそが、テテインが勝利に必要だと考えた、マモの料理だ。


 戦士たちから歓声が上がるのが聞こえる。

 マモのトンカツ弁当が配られはじめたに違いない。

 貪るように食べている冒険者の姿が、眼下に見える。

 戦士たちも冒険者も、かつてないほどに士気は高い。


 蒼天の向こうに、〈世界〉が見えてくる。

 目的地である〈無限荒廃要塞〉のある〈世界〉だ。


 この作戦は、勝てる。

 テテインはそう確信し、最後のオムスビに手を伸ばした。