まものグルメ
蝉川 夏哉
二章 【マモのグルメ】と迷宮攻略大作戦
第二話 弁当とキーオ・カンピュール
キーオ・カンピュールは後悔していた。
今回の遠征に参加したことも、そもそも冒険者になったことも、だ。
〈歪み〉は一説には〈管理者〉の心象だという。
では、この世界の〈管理者〉の心は、今キーオが見ているこの風景のように、乾いているのだろうか。
眼前には、一面の砂漠。
荒涼たる砂から突き出したヤドリギのグロテスクな見た目が、印象に不気味な彩りを加えている。
その中で、キーオを含む冒険者たちは、|笑って《・・・》いた。
一緒に遠征に参加した冒険者たちは、砂漠の中で皆、魔物と必死の戦闘を続けながら、楽しそうにしているのだ。笑いながら剣や槍を振るう様は、異様の一言に尽きる。
キーオも、湧き上がる笑いの衝動を堪えるのに、必死だ。
「……遠征病だ」
〈歪み〉に入ると、ヤドリギの影響で感情がおかしくなることがある。〈歪み〉の規模やヤドリギの繁茂具合によって効果はまちまちだが、今回の例は珍しい。
楽しい。
キーオも確かに少し楽しくなって来てしまっているが、周りの冒険者たちの様子は、異常だ。
依頼自体は簡単な伐採任務のはずだった。
まだできたばかりの小さな〈歪み〉に突入し、魔物を退治してヤドリギを伐採する。
報酬は高くないが、安全性は高い依頼だ。
正直なところ、ちょっとした行楽気分がまったくなかったと言えば、嘘になる。
貴族の三男であるキーオはこれまでに苦労らしい苦労をしたことがない。
させてもらったことがない、といった方がより正確か。
実家は長兄が、その補佐は次兄がやることになったので、ちょっとした箔を付けてどこかに仕官するために冒険者をやっている、というだけだ。
その就職先も、父か叔父が世話をしてくれる。
危険を冒す必要などなにもない。
だから、大規模な討伐や巨大〈歪み〉の依頼は避けてきた。
一方で、下調べはおさおさ怠らない。
臆病だと誹られれば、慎重なだけだと言い返す。
命あっての物種なのだから、危険は排除してもし切れるということはない。
そういう方針でやって来たキーオだから、こういう想定外の目に遭うのは、はじめての経験だった。
「まずいな……ハハハ」
相棒のヒューマーまでも笑っている。相棒ということになっているが、この熟達した犬族の冒険者はキーオの父親が雇った護衛兼付き人だ。本来ならこの等級の依頼を請けるような冒険者ではない。
そのヒューマーが”楽しさ”に抗えないのだから、事態の異様さは明らかだった。
(こいつは失敗かな?)
サソリのように砂の中から襲い掛かってくるワニを相手にしながら、キーオは頭の中のまだ冷静な部分を働かせる。先陣を切っていた遠征隊長は既に抱腹絶倒と言ってもいいほどに笑っており、指揮を執れるような状態ではない。
となれば誰かが、撤退の指示を出す必要があるが。
刹那、ヒューマーと視線が交錯する。頷きを交し合い、手にした剣で奥を指した。
「一時撤退だ! 奥へ進む!」
これはある種の賭けだ。
しかし、サソリワニの数は入り口側の方が多く、突破は困難だとキーオは見た。
ならば死中に活路を見出すしかない。
「ワハハハ! キーオ・カンピュールに続け!」
ヒューマーが絶叫し、一際大きなサソリワニを斬り倒した。
哄笑しながら、冒険者たちがサソリワニの追撃を振り切って〈歪み〉の奥へ進む。
一息つけたのは、砂漠の中のオアシスのようになった場所だった。
〈歪み〉の中だというのに魔物を寄せ付けないこのような空間は、稀にある。
サソリワニも寄ってこないこの場所で、冒険者たちは漸く地面に腰を下した。
「よかった。笑いの発作もここなら少しマシになるようだな。ククッ」
まだ完全には遠征病の症状の抜けていない遠征隊長が口元を覆いながら笑いを嚙み殺す。
「しかしこれからどうしますか?」
キーオは目立ちたがりの性分ではなかったが、こういう状況では趣味についてはとやかく言えない。
誰かがこの空気を引き締めなければ、撤退すら覚束ないのだ。
「さて……」
無尾人の遠征隊長は、顎を撫でながら一瞬思案の表情を浮かべると、破顔した。
「ひとまず、腹にものを詰めてから考えよう。弁当を使えば名案も浮かぶだろう」
言われてみると確かに、腹が減っている。
キーオはヒューマーに頷く。背負い行李の中に、弁当があったはずだ。
「フフフ……今日の弁当は特別ですぞ」
ヒューマーが行李から包みを取り出した。
包みを解くと|麺麭《パン》に具材を挟んだものが出てくる。
「ほう、これは……」
「【マモのグルメ】、ご存知ですか?」
キーオも聞いたことがあった。最近、〈浮遊城〉で流行っているという食堂だ。
持ち帰りもはじめたというが、人気でなかなか整理券が確保できないと聞いていた。
それをヒューマーは競り勝ってきた、ということだ。
謹厳実直な冒険者に見えて、ヒューマーにはこういう茶目っ気のあるところがある。
貴族出身のキーオにしてみれば、少々美味かろうと食堂の弁当は食堂の弁当だ。
それでも、わざわざ無理をして手に入れてくれたヒューマーに感謝の念を抱くだけの余裕は、上に立つ者として当然、有している。
「ありがとう。頂こうか」
薄切りにした麺麭に挟まっているのは、ローストビーフと|萵苣《レタス》だろうか。
「キーオ殿。”わさびまよねーず”が辛いそうです。召し上がるときは、お気を付けを」
「フフン。子供ではあるまいし。恐れるほどのことはあるまい」
ヒューマーの警告を無視して、キーオは大口でローストビーフサンドに|齧《かぶ》り付いた。
つーん、とした辛さが、鼻から抜けていく。
辛い。
しかし、美味い。
いや、とても美味しい。
「なんだこれは!」
はじめて食べる味わいに、思わず|行儀作法《マナー》も忘れて、ガツガツと食べてしまう。
辛い。でも美味い。
ローストビーフは絶妙な火の通り具合で、少し厚めに切ってあるのが空腹に嬉しい。萵苣のシャキシャキとした食感と相まって、実に素晴らしい食べ応えだ。
はっきり言って、キーオは「所詮は食堂の弁当」と甘く見ていた。
それが間違いだったと、今でははっきり分かる。
これは美味い。
キーオが食べるのを見てヒューマーもローストビーフサンドを口に運ぶが、すぐに目を|瞠《みは》る。
「これは……」
絶句するヒューマーを見て、周りの冒険者たちも興味を掻き立てられたようだ。
「オレにもちょっと分けてくれないか」
遠征隊長の一言を機に、周りの冒険者たちがわっと群がって来る。
幸い、ローストビーフサンドは二人分というには多い量が包まれていたので、少しずつ分けてやった。
「美味い!」
「なんじゃこりゃ!」
あっという間に食べ終えて、皆口々に感想を言い合う。
その時、キーオは不思議なことに気が付いた。
「皆、笑いが収まっていないか?」