キマイラ文庫

まものグルメ

蝉川 夏哉

ビューワー設定

文字サイズ

フォント

背景色

組み方向

まものグルメ

蝉川 夏哉

一章 黒髪黒目の少女

第十五話 レオの復活(後編)

 足を踏み入れた瞬間、身体の芯から不快感が湧き上がってきた。

 ここは自分のいるべき場所ではない、という警告を魂が発していると感じる。

 レオにとっては久しぶりの〈歪み〉は、以前と変わらずに冒険者の侵入を妨げていた。


「……厄介だな」


 グルカヌン・ラーが犬人らしい低い唸り声で嫌悪の情を示す。沈着冷静な彼女にしては珍しい。


「あまりよくない状況だな」


 レオが応じると、ジュローは「いつから“あまりよくない”という言葉は“最悪”の最上級を表す言葉に昇進したんだ?」と混ぜっ返す。



 〈歪み〉の状況は、確かに最悪だった。

 外から見て想像していたよりも、ヤドリギの成長速度が速い。

 元は畑だったと思しき畝を蔽い尽くし、天に向かって太い幹を伸ばしつつある。


 ヤドリギの茎からは魔物が次々と湧き出し、ヤドリギが根を伸ばしやすいように土をほぐしているところだ。

 魔物は小型犬ほどの大きさだが、猪の背中に海藻が生い茂ったような見た目をしており、それぞれの海藻の先に小さな鰐の頭が生えている。

 一切噛みつかれないように戦うのは、至難の業だ。


 そして何よりも厄介なのが、瘴気。

 この〈歪み〉のヤドリギが放つ瘴気は人を苛つかせる効果があるらしく、経験の浅い冒険者たちは気持ちのささくれを隠そうともしない。


 今の状態なら〈歪み〉から出れば気持ちも落ち着くだろうが、長時間〈歪み〉に留まったり、魔物から深手を負わされれば、遠征病に罹って生涯、苛つきと付き合っていかねばならなくなる。


「やるしかない」


 長身に見合った|槍斧《ハルバード》を構えると、グルカヌン・ラーは先陣を切って、魔物を斬り払いはじめた。

 その動きは俊敏で、長い間合いを利用して鰐の口を近寄らせることすらない。ジュローも負けじと長剣を使って猪を屠っていく。

 対して、斧を主武器とする冒険者たちは相手の形態があまりにも接近戦に特化しているので、苦心しているようだ。


 レオは槍を使って相手に刺突攻撃を加えつつ、苛立ちを抑え切れずに魔物に接近し過ぎる冒険者の援護に努める。

 海藻猪と心の中で名付けた魔物は、よく観察すればそれほど素早いわけではない。

 落ち着いて対処すれば十分に捌ける相手だ。


 しかし、ジュローはともかくグルカヌン・ラーでさえ相手に手間取っているのは、瘴気の影響による苛々で集中力を欠いているからに違いない。


 不思議だ。

 明らかに冒険者たちは瘴気の影響で苛ついているのに、レオはその影響を受けていない。

 冒険者としての実力で言えばグルカヌン・ラーやジュローはブランクのあるレオよりも優れているはずだが、今の動きならレオの方が勝っている。


「レオ、お前が指揮を執れ」


 五匹目の海藻猪を屠りながら、グルカヌン・ラーがレオに声をかけた。

 自分よりも今のレオの方が冷静に戦況を見れていると判断したのだ。こういう時、自分が指揮権を持ち続けることにこの犬人は固執しない。


「ジュロー、右翼が崩れそうだ。そちらに回れ。ミ=ボは一旦下がって休憩しろ」


 引き継いだ指揮を、レオは自分でも驚くほどに上手く執れた。

 敵の動きがよく見えている。


 これまで〈歪み〉では瘴気のせいで感情が昂ったり落ち込んだりしていたから分からなかったが、魔物そのものはそれほどの脅威ではないのかもしれない。


「(恐らく)」


 全周囲を警戒しながら、レオは束の間、思考にリソースを割く贅沢を味わう。


「(これは、マモの料理を食べたからじゃないか?)」


 出撃前にもレオはコバヤカワ・マモリの作った料理を食べていた。鳥肉と芋と野菜の煮込みだ。

 マモは「チクゼンニ」と言っていた。これもまた、実に美味かった。

 これまでの遠征と違うことと言えば、マモの料理を食べたことしか思いつかない。


 となれば、今回のレオの好調は、マモの料理が原因だ、という推理が成り立つ。

 ひょっとすると別の理由があるのかもしれないが、そんなものはお偉い学者様にでも考えて貰えばいい。


 今大切なのは、レオが今回の戦いに生き残れそうだということと、無事に生きて帰ればマモの料理の宣伝になりそうだ、ということだけだ。

 カピバラのテテインの言葉が蘇る。


「レオ、お前さん、遠征に出ろ。そこで大活躍するんだ。何としてもな」


 冒険者レオ・ブルカリンが遠征病を患って竜の世話に回されたことは〈浮遊城〉の冒険者の間では有名な話だ。


 そのレオが、今回の〈歪み〉遠征で活躍したとすれば?

 遠征病は治療可能で、しかも復帰しても元通りに戦うことができる、という評判が立つ。

 マモの料理を宣伝するのは、その時だ。


 ジュローの死角から鰐の頭を伸ばした海藻猪を槍で一突きに始末する。

 冒険者というのは験を担ぐ生き物だ。

 自分の命を賭け金にして報酬を得ようとする連中は、並みの聖職者よりも管理者への信心が篤いし、成功者に|肖《あやか》ろうとする。

 レオが活躍しさえすれば、最大の宣伝材料になる、というのがテテインの読みだった。


「(テテイン、アンタ最高に冴えてるぜ)」


 息の落ち着いたミ=ボに左翼の応援をするように指示を飛ばしながら、レオはまた一匹、海藻猪を串刺しにする。

 そろそろ斧持ちたちにはヤドリギの伐採に取り掛からせても問題ないかもしれない。



 遠征は、依頼者の予想を裏切る形で最高の成果を挙げたのだった。