まものグルメ
蝉川 夏哉
二章 【マモのグルメ】と迷宮攻略大作戦
第五話 山賊アゲ
入るべきか、入らざるべきか。
もちろん入るべきなのだが、では、入ってからどう振る舞うべきか。
キーオ・カンピュールは悩まし気に右の爪先で地面を二度、三度と小突いた。
脇に控えるように連れ添っているヒューマーは何も言わない。
この老練な冒険者は、自分の相棒にして主人が必要な時には十分な果断さを示すが、他人には理解しがたい部分で引っ込み思案な面があることをよく理解している。
傍を通り抜けるムササビ族の冒険者が怪訝そうな表情でキーオを一瞥し、通り過ぎた。
ここは〈浮遊城〉第二食堂、通称【マモのグルメ】の前だ。
整理券を取ることさえ難しい店だが、この辺りには他に店や施設もないので、人通りは少ない。
つまり、こんなところで突っ立っている二人連れは、どこからどう見ても不審者であり、それ以外の何者でも有り得なかった。
「……うむ」
今日、何度目になるか分からない覚悟の吐息をキーオが漏らす。
整理券は、あった。
正規の手段で手に入れたわけではない。
いかに練達のヒューマーとは言え、二人分の整理券を立て続けに手に入れられるほどの手管を持っているわけではなかった。
それでなくとも【マモのグルメ】の人気は翼竜昇りの天井知らずだ。
〈遠征病〉が治るらしい、という噂に加えて、弁当として持っていけば〈歪み〉攻略さえできるかもしれないとなれば、人気にならない方がおかしいだろう。
キーオはこの整理券を、〈浮遊城〉の城主であるオ・クランクラン伯から手に入れた。
タダで貰ったわけではない。
〈歪み〉討伐の詳細な報告と引き換えだ。
案の定、遠征隊長は精確な報告を依頼主である〈城壁〉に上げていなかった。
ヒューマー曰く「全くの嘘ではないが、極めて悪質で恣意的な書き換え」がなされており、キーオとヒューマーの活躍は最小限に、対して遠征隊長自身の貢献は最大限以上に誇張されているという、報告書というよりは小説に近い代物だ。
オ・クランクラン伯はどこからかその話を聞きつけたらしく、キーオやヒューマーだけでなく、冒険者や斧手たちにまで綿密な事情聴取を行った。
下した結論は、「彼は……冒険者よりも小説家に向いているな」という辛辣なものだったが、これにはキーオも失笑せざるを得ない。全く同じことを、ヒューマーと言い合っていたからだ。
いずれにせよ、オ・クランクラン伯から〈城壁〉には”申し入れ”という形で情報提供がされることになるので、〈歪み〉攻略成功の栄誉は遠征隊長からキーオたちに公平に分け与えられることになるだろう。
(〈城壁〉は、信賞必罰には厳しい組織だ。亡国の王族や大臣たちが幹部にいるので、並みの組織よりも遥かに制度に関する知識がしっかりしている。そして、国土を持たないが故に|吝嗇《ケチ》でもある。そのような組織にとって、財産となるのは|信用と信頼《・・・・・》だけになるから、遠征隊長は恐らく、二度と〈城壁〉の関連施設の敷居を跨ぐことはできないだろう)
「……よし」
キーオは、歩を進め、木戸を推した。
逡巡していた長い時間と比して、扉はあまりにもあっさりと開かれる。
「いらっしゃいませー!」
店内から威勢のいい挨拶が聞こえてきた。
あれが、マモか。
黒髪黒目の無尾人が、厨房で元気よく働いている。
どう見ても普通の料理人にしか見えないが、キーオ・カンピュールにとっては無二の恩人だ。
感謝しても、しきれない。
弁当として作って貰ったローストビーフサンドにキーオは命を救われ、それどころか一部では英雄のように扱われるようになったのだ。
父と二人の兄も、キーオのことを見直すだろう。いや、見直すに違いない。あの家族は、こういった変化を見逃すほど凡愚ではないからだ。
愛されてはいるが、認められてはいなかった。キーオにとって、家族とはそういうものだ。
それが、変わる。
つまり、予定調和の人生そのものが。
たった、ローストビーフサンドで。
「よく来た。座るといい」
豹人の女店員に極めて直截的に勧められた席に、キーオとヒューマーは腰を下した。
「今日のメニューは、カス汁とオムスビと、山賊アゲだ」
「山賊アゲ」
耳慣れない名前の響きに、キーオは思わず訊き返すように独り言つ。
カス汁とオムスビも分からないが、一番気にかかるのは、山賊アゲだ。
山賊アゲ。
どんな料理なのか。
ヒューマーに視線で尋ねるが、小さく首を振った。彼も知らないということは、主要な
商業ルートから外れた世界の料理ということだろうか。
確かに料理に|山賊《・・》などと付けるのは、普通の感覚ではない、という気がする。
山賊、というからには野卑な料理が想像されるが、味はまったく思いつかない。
キーオは敢えて、周囲の客が食べている姿を見なかった。
こういう料理との”出会い”は、驚きと共にあるべきだ。
厨房からは何かを揚げるような油の小気味よい音が響いてくる。
「お待たせした」
豹人の女店員は、熟練した女戦士のようなしなやかな所作で滑るように料理を運んできた。
「ふむ……」
「これは……」
定食屋としては、思ったよりもしっかりしている。
ローストビーフサンドの簡潔さから、もっとざっかけない店を想像していた。
キーオとヒューマーは二人して、食卓の上に並べられた皿を検分する。
まずはカス汁。
一口啜ってみて、ほうっと讃嘆の溜息をもらす。
甘い。
それも押しつけがましい甘さではなく、優しい甘さだ。
ゴロゴロと大きな野菜や具材に驚いたが、しっかり火が通っており、口に含むとほろりと崩れる。
そこへ、オムスビ。
山菜を炊き込んだ穀物を握り固めたものだが、こちらも美味い。
味付けは少し薄味で、カス汁との相性も悪くない。
そして最後に山賊アゲ。
ザクリ。
なるほど。先ほど油で揚げていたのは、これだったか。
味付けは濃く、しょっぱさはキーオのような冒険者には嬉しい。
そこでふと気が付いて、山賊アゲの後にオムスビを頬張る。
「……これだ!」
山賊アゲの濃い味と、オムスビの薄味が絶妙の調和を奏で、口の中が幸せに包まれた。
ヒューマーも気に入ったのか、行儀悪くガツガツと食べている。
美味い。
その美味さも、“御馳走の美味さ”とは違う。
キーオ・カンピュールも貴族の出だ。ちょっとした贅沢の経験はあった。
けれども、【マモのグルメ】の料理は、そう言った饗宴のものとは違うのだ。
例えていうなら、カス汁の甘さのように、押しつけがましくない……
「キーオ殿、お礼を言いに行かなくてよろしいのですか?」
いつの間にか綺麗に食べ終えていたヒューマーに尋ねられる。
キーオは厨房で忙しそうに働くマモの姿を見て、小さく首を振った。
「いや、きっと、礼を言われても、それほど喜ばない、と思う」
それよりも、ここの料理を美味そうに食うことの方が、よほど彼女にとっての褒章になる。そんな気がするのだ。
皿まで舐め尽くすように綺麗に食べ終え、キーオとヒューマーは、店を後にする。
「本当によろしかったので?」
後をついてきながら訊いてくるヒューマーに、キーオは振り返りもせず、手をひらひらと振った。
なんとしてもまた活躍してやろう。
そんな気分が芽生えていた。
そうすればきっとまた、整理券を手に入れることができるはずだ。