まものグルメ

蝉川 夏哉

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まものグルメ

蝉川 夏哉

一章 黒髪黒目の少女

第四話 塩ヤキソバ

「若、無事のご帰還、心よりお慶び申し上げます」


 鉄板の前で〈壁穿ち〉のルシェオスが深々と頭を下げようとするのを、ゼレクスは手を振って制した。


「今日は遠征団の一人として接して欲しい」


 ルシェオスのよく焼けた顔に一瞬、困ったような表情が|過《よぎ》ったが、すぐに消える。

 王孫であるゼレクスであるが、国は既に亡い。敬意を払うのは最早旧臣たちだけなのだ。

 遠征団に参加した若い戦士や冒険者の中には、かつてのアナーシス王国の緑の丘を憶えていない者もいるだろう。

 それだけの年数が流れたのだ。旧王家の人間だけが変わらないわけにはいかない。


 宴席、といってもささやかなものだ。 

 露天に、鉄板が三枚。

 ルシェオスは少ない予算をやりくりしたのだろう。

 どこかの店を借り切ったり、〈浮遊城〉の広間を借りるよりはこちらの方がよほど安上がりだ。

 無理をして掻き集めたらしい椅子の用意もあったが、足りない分は|戦利品《・・・》の詰まった木箱に腰掛けるように兵士や冒険者に案内する。

〈壁穿ち〉のルシェオスとして戦闘の指揮を委ねていた時には武辺一辺倒かと思っていたが、意外にも計数にも才能があったのかもしれない。


「分かりました。そもそも今日の労いの食事も、遠征団の者たちと同じものをご用意しましたし」

「理解してくれて嬉しい。ところで、この料理は?」

「塩焼きそばです」


 鉄板で麺をひたすらに炒めている少女が答えた。

 黒髪に黒目、ということはアナーシスの遺民ではない。ルシェオスがどこかから見つけてきたのだろうか。


「塩ヤキソバ。はじめて聞く料理だな……ああ、私はゼレクスという。遠征団の代表のようなものだ」

「小早川まもりです。今日はルシェオスさんに雇われて、皆さんの料理をご用意いたします」


 コバヤカワ・マモリ。

 やはりこの辺りの世界の出身ではないのだろう。あまり耳に馴染みのない響きだ。

 マモリ、というのは発音しにくいので、マモとでも呼ぶべきだろうか

 作業を見る限り、ルシェオスはこの少女の指示に従って動いているようだ。

 二人以外にも臨時雇いらしい人間が三人ほどいて、食材の運搬や料理の盛り付けを担当している。


 これで五十人からの遠征隊と冒険者、荷運びたち全員の食事を振舞えるのかとの不安も、少女マモの手際を見て霧消した。

 とにかく、手早い。

 段取りがいいのだろう。澱みなく動き、指示と調理を進めていく。

 ルシェオスは随分といい人材を見つけてきたようだ。


「さて、これが塩ヤキソバか……」


 運ばれてきた皿を見る。

 言葉を選ばずに言えば、ざっかけない食べ物、とでも言うべきだろうか。

 鉄板で麺と具に味を付けて炒めただけ。それに風呂桶ほど大きな鍋で煮たスープが付く。

 それが堪らなく、ありがたい。


 食事が温かいというのは、大切なことだ。

 他の世界への遠征では、現地の人々になるべく負担をかけないように配慮する必要がある。

 滅びの迫った世界は、例外なくどこも貧しい。

 衣、食、住。

 そこに遠征し、駐留するというのは、それだけで負担になる。


 世界の〈歪み〉を防ぎたいという点では団結できても、食糧や水、燃料を収奪すると見做されれば、敵対的な関係となってしまう。

 ゼレクスはまだ遭遇したことはないが、〈城壁〉の中には現地の人々に敵視され、石まで投げられたことさえあるということだ。

 そのような遠征だから、兵士や冒険者たちの食事の調達にはいつも気を遣う。


 まだ〈歪み〉のあまり進行していない世界であれば、銀や金、宝石を使って現地で食料を購入することもあるが、多くの場合は持ち込みだ。

 飛空艇に詰めるだけの食糧を積んで遠征し、残量が怪しくなれば撤退する。

 火の通った食事は、大きな挑戦の前や、何か祝い事があったときだけ。

 食糧事情がこんな風なので、労いの宴ではいつも何か温かくて美味しいものを手配して欲しい、というのがゼレクスの願いだった。


「さ、先ずは若から」

「いや、皆が先に食べてくれ」

「問答している間は、皆も食べられません」


 ボルモントにそう言われてしまうと、ゼレクスが受け取るしかない。

 改めて木皿を手にする、美味そうな匂いに自然と顔が綻ぶ。

 |叉子《フォーク》が欲しかったが、配られているのは木の棒が二本。|筷子《ハシ》だ。

 見様見真似で扱ってみるが、それほど悪くない。


「では」


 まだ湯気を立てている麺を口に運ぶ。


「……美味い」


 なんだ、これは?

 はっきりと言ってしまえば、それほど期待はしていなかった。

 麺と野菜と肉。それを鉄板で炒めただけのものに見えたからだ。

 なんのなんの、これは大したご馳走だった。

 素朴な塩味を基本としているが、そこに具材の味だけでなく、様々な味が感じられる。


「どうですか、若?」

「美味いと言っている。早く食べろ」


 訝し気に尋ねてきたボルモントへの口調が知らず、強くなった。早く続きを食べたいのだ。

 もっちりとした麺は炒めた脂がよく絡まってつるつるとしており、食感がいい。

 口に頬張るとそれだけで幸せな気持ちが湧き上がってくる。


 噛みしめていると、次第にマモの意図が見えてきた。

 疲れた体には、塩味が沁み入る。麺は消化がよく、弱っていても食べやすい。

 兵士や冒険者、荷運びといった人々は格式ばった食事は有難くも肩が凝る、というのもあるかもしれない。


 それが証拠に、塩ヤキソバを頬張る兵士たちの、楽しそうな顔。

 ざっかけない料理だと思ったが、そのざっかけなさは、気取らずに食べられるという良さでもあったのだ。


「ルシェオス」


 はっ、と〈壁穿ち〉が畏まる。人から借りたらしい花柄の|前掛け《エプロン》が似合っておらず、愛嬌とおかしみがあった。


「素晴らしい労いの宴だ。いい人材を見つけてきたな」

「有難きお言葉にございます」

「この麺も、実に美味い」

「……私が手打ちしました。五十人前、六十人前の麺を打つのがこれほど大変だとは思いもよりませなんだ」


 本当に苦労したのだろう。

 忠臣の顔には疲労というよりも憔悴というべき何かの色が見えた。


「〈壁穿ち〉が打ったのなら、この麺のコシの強さも納得だな」

「すべてはマモの指導の賜物ですよ」


 話題に出したのが聞こえたのか、鉄板の向こうで忙しなく駆け回るマモがこちらに小さく目礼をする。礼儀も知っているようだ。


「……ルシェオス。すまなかったな」


 ゼレクスは深く頭を下げ、詫びた。

 何をかは言わない。言わずとも、伝わる。そういう関係性だ。


「何を仰います。私も歳ですから、いつかは一線を引かねばならなかったのです。むしろ、若が引導を渡してくださったので、この通り」


 ルシェオスは大きく腕を振り回して見せた。筋骨逞しく、今でも一流の武人であることがよく分かる。


「大きな怪我をする前に前線を退くことができました。感謝しています」


 本心ではないことは、ゼレクスには痛いほどよく伝わった。

 あの日、国と共に死のうとしていたルシェオスを無理やりに飛空艇に伴ったのは、ゼレクスだったのだ。

〈歪み〉果てそうな国々を助けるための遠征でも、常に死地を探していた。

 そんな男が、屋台の少女と一緒にヤキソバを炒めている。


「……この塩ヤキソバ、塩味が少し効き過ぎているかもしれないな」


 自分が涙を流していることに、ゼレクスは驚いた。誤魔化そうとするが、うまくいかない。

 何のための涙だろうか。


 世界は、歪む。

 ヤドリギが寄生した世界を完全に救う方法は、ない。

〈城壁〉からの遠征隊にも、ヤドリギが変質した|魔物《モンスター》を狩る手伝いをし、狩り方を教え、世界の滅びを遅らせることしかできない。

〈歪み〉が進めば、その世界の食糧は足りなくなる。

 餓え、渇き、人減らし。

 そんな日々を、死ぬまで続けなければならないのだ。


 ルシェオスのように五体満足で引退できる者は、幸運だろう。

 その未来が、堪らなく哀しいのだ。


「あのー……お取込み中、すみません」


 上目遣いに声をかけてきたのは、マモだ。


「なんだい。コバヤカワさん」

「実は、皆さんが気に入ってくださったので材料が足りなくなってしまって……」


 言われて見回すと、確かに皆こぞっておかわりを求めている。

 確かにこれだけ美味いのだから、二杯三倍と食べたくなるだろう。


「そうなのか……残念だ」

「麺はありますし、他の食材があれば鉄板焼きもできますけど」

「申し出は有難いのだが、遠征から帰ったばかりで、手持ちがなくてな……」


 その言葉に、マモは首を傾げた。


「あ、すみません。私の【|恩恵《ギフト》】って、食材の場所や調理法が分かるんですけど」

「なるほど、いい【|恩恵《ギフト》】だな」


【|恩恵《ギフト》】は、〈管理者〉からの授かりものだ。

 様々な種類があり、例えばルシェオスの〈壁穿ち〉は物理的な壁を破壊できるだけでなく、難局を突破する力がある。

〈調理〉や〈食材探し〉のような【|恩恵《ギフト》】を持つ者は珍しくない。あまりに有り触れているので、綽名になることもないほどだ。


「皆さんが椅子にしている箱に、食材がたっぷり詰まっているんですけど?」

「……何?」