キマイラ文庫

まものグルメ

蝉川 夏哉

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まものグルメ

蝉川 夏哉

一章 黒髪黒目の少女

第十一話 第二食堂


 第二食堂は思ったよりも奥まった場所でひっそりと営業していた。

 石造りの城郭の中でも、基部に近い。増改築を繰り返して迷路のように成長を続ける〈浮遊城〉の中でも、最も古い一角だ。


 壁には上古の|浮彫《レリーフ》が神話を物語り、そっと撫でると冷たい石の感触の向こうから歴史の重みが感じられる。

 名前からして今までの食堂の近くに開店したのだと思い込んでいたレオ・ブルカリンは迷い、何度か道を尋ねる羽目になった。


 教えられた通りに角を曲がり、薄暗い階段を下る。

 昔はここで酒場をやっていたと聞いていたが、続かなかったのは立地のせいに違いない。

 味と値段次第だが、第一食堂とあまり変わり映えしなければ二度と来ることはないだろうな、とレオは心の中で算段をつける。


 控えめな看板には【第二食堂】の横に【マモのグルメ】と乱暴に注意書きがされていた。字面からして冒険者か戦士が書いたのだろう。


 マモ、とは何だろうか?

 人名か、はたまた食材か。いずれにしても、聞いたことのない言葉だ。

 軋む扉を押し開けると、店内は意外なほどに明るかった。

 石造りの壁に、木張りの床。そしてなんだか、美味しそうな香りが漂っている。



「いらっしゃいませ!」

「いらっしゃい、ませ」


 威勢のいい挨拶に迎えられ、レオは手近なテーブルに腰を落ち着けた。

 レオの他に客の姿が見えないのは、時間のせいかはたまた立地のせいか。

 古い礼拝堂を何代か前の城主が酒場に改装したという店内はよく掃除が行き届いていて、雰囲気は悪くない。


 落ち着く、馴染む、安らぐ。

 しっくりくる言葉が見つからないが、要するにここにいることが許されている、という感覚がある。

 あの遠征からずっと哀しみに囚われていた心が、ほんの少しだけ凪いだようになったのは、嬉しい誤算だ。


 これで料理が上等なら言う事なしなのだが、レオもそこまで高望みはしない。

 もし料理まで美味いのなら、これほど閑散としているはずはない。


 さてどうしたものかと思っていると、獣人の女性店員が水の入った杯を持ってきた。背が高い。耳の形からすると、豹族だろうか。

 筋骨たくましく、凛々しい姿からは、食堂の店員には不似合いな気魄を感じる。


「ようこそ。ラクサーはお客人を歓迎する」


 ラクサー、という名前には聞き覚えがあった。城主であるオ・クランクラン伯の護衛の一人にそういう名前の女剣士がいたはずだ。

 どういうことだろうか。新しい食堂で、城主の護衛が給仕をしている。


 気にはなったが、問い質すのもおかしな話だ。相手が護衛であることを隠しているのなら厄介なことに巻き込まれるかもしれない。

(もっとも、訓練で褐色に焼けた肌を持つ剽悍な豹族の女剣士が給仕をしているという不自然さに気づかない客など一人もいないだろうが)


「えっと、注文は……」


 レオが何か頼もうと勇を奮うと、豹人は実に哀しそうな眼をして、小さく首を振った。


「済まない。今日は提供できるメヌが、一つしかない。選べるのは、一本か、二本かだけだ」


 料理が選べないのは第一食堂でもよくあることだ。食糧不足が噂される昨今、食えるだけでもありがたい。

 ただ、一本とは何のことだろうか。大きな|麺麭《パン》でも出てくるのだろうか。

 自分の腹に手を当てて、レオは少し考えこんだ。

 朝から竜の相手をして随分と腹が減っている。元より戦士をしていたレオは見かけによらず大食いなのだ。


「二本ではなく、四本くらい食べられるかも」


 するとラクサーは目を瞠って驚いた。


「……四本は多い。二本で十分」


 ではそれで、ということになり、豹人は軽い足取りで厨房へ注文を伝えに行く。精強な女剣士なのに、尻尾を揺らすのは愛らしい。

 あまり凝ったものは出せないだろうし、のんびりと待つつもりでいた方がよさそうだ。


 幸い、レオは待たされることは不得手ではない。竜の世話に馴染めたのも、この性格のせいだろう。

 心の奥底から湧き出る哀しみを弄び過ぎないように店内を見回すと、珍しいものが目についた。


 管理者を祭る|祀祠《ほこら》だ。

 レオの胸ほどの大きさで、三角屋根の家を模している素朴なつくりの祀祠は誰かが掃除したのか、古びているが打ち捨てられているような印象はない。

 それどころか、どこか神々しささえ感じさせる。


 突き動かされるように立ち上がるとレオは祀祠の前に歩を進め、右拳を胸に当てて首を垂れた。

 考えてみれば、冒険者になった頃は毎日のように管理者に祈りを捧げていたものだ。

 駐留している世界でも、遠征先の世界でも、管理者に首を垂れて、その日無事に帰ってこられることを祈っていた。

 あの日、心が凍り付いてからは、そんなことを考える余裕もなかった、という気がする。


「待たせた。二本だ」


 席に戻ると、ちょうど皿が運ばれてきたところだった。

 鳥肉だ。

 炙った骨付きの腿肉が、皿の上で存在感を主張している。

 大きい。鶏ではないようだ。大人の掌二枚分ほどの大きさの、骨付き腿肉。それが二本。


 レオは思わず唾を呑んだ。

 香辛料のいい香りが、食欲を刺激する。


「……美味そうだな」


 骨に手を伸ばそうとするレオに、豹人が申し訳なさそうな声を出した。


「ラクサー、食べる前に一つ言っておかなければならない」


 少女はレオを制するように掌を広げた。

 正直なところ、早く食べさせてもらいたい。


「なんだ? まさか客の前に料理を出しておいてお預けということもないだろう?」

「これは、元々は魔物の肉だ。遠征隊が狩ってきた」

「は?」


 レオは骨付き肉と豹人の顔を交互に見つめた。

 冒険者であるレオにとって、魔物の肉は見慣れたものだ。あれは臭くて毒があり、もっと不味そうな見た目をしている。

 これが魔物の肉だと冒険者仲間に言っても、十人が十人、信じないだろう。


「浄化、というか下拵えはしている。だから食べるのには問題ないし、ラクサーは美味しいと思う」


 豹人の女剣士があたふたと言い訳がましく説明するのは見ていて面白い。

 食堂に客の姿が少ない理由を、レオは察した。

 魔物の肉を出すという噂がたてば、敬遠されるのも無理からぬことだ。


「すまない。本当は注文する前にラクサーが説明しておくべきだった。だが本当に美味しいんだ。ラクサー・ギフは管理者に誓って嘘は言わない」


 ふむ、とレオは一瞬考え込んだ。

 目の前にある鳥肉は上手そうな香りを漂わせ、レオの胃袋を鷲掴みにし続けている。

 これが食べられるか、食べられないか。


 パリッと焼き目のついた表面。

 皿にまで溢れ出るほどの肉汁。

 竜の世話という肉体労働で、空腹は限界に達しつつある。


「だからもし、魔物の肉なら食べられないというなら……」


 豹人が続ける弁明を無視して、レオは骨付き鳥に齧り付いた。



 ぱくり。