まものグルメ
蝉川 夏哉
二章 【マモのグルメ】と迷宮攻略大作戦
第九話 大軍議(後編)
扉が開いて運び込まれてきたものを見て、ゼレクスは自分が笑っているのに気が付いた。
鍋だ。
しかし、尋常の鍋ではない。
車輪付きの台で運ばれてきた鍋は、戦士像の帽子として以前使われていた、巨大な鉄の円筒だ。
大人が三人、手を伸ばして漸く囲めるほどの大きさのそれは、〈浮遊城〉の装飾の一部を溶かして鉄製武器に作り変えるという政策の時の名残の品だったはずだ。
その証拠に表面にはまだ竜王国の戦士の帽子を彩る文様が刻まれていた。
竜王国の戦士を象った像の頭を飾っていた鉄製の帽子が、今や巨大な鍋と化している。
中でまだグツグツと熱を発しているのは、香辛料の入った汁物だろうか。
美味そうな香りに空腹が刺激される。
考えてみれば、長い軍議の間、一度も休憩らしい休憩はなかった。
これもあのテテインというカピバラの入れ知恵か。いや、オ・クランクラン自身の策という気もする。
あの老狸はこういう搦め手の攻めを好む。
策に乗せられたと分かっていても、冒険者たちは皆、唾を飲み、物欲しそうな表情で鍋を見ていた。
全員が全員、腹を空かしているのだ。
そこに来てこの香りは……凶悪極まる。
「カレーが食べたい人は並んで!」
マモだ。
鍋が大き過ぎて、陰に隠れていた。ラクサーという豹人の女給仕の用意した踏み台の上で声を張り上げている。天覧練兵場に朗々と声が響くところを見ると、拡声の魔術具を使っているようだ。オ・クランクランが秘蔵しているとは知っていたが、使いどころが上手い。
「但し!」
黒髪黒目の少女の言葉に”かれー”を求めて並ぼうと動きはじめていた人々の足が、止まる。
「条件があります!」
条件、という言葉は契約で生きる冒険者たちに対して使うには、|敏感《・・》過ぎる言葉だ。
実際に幾人かの冒険者は、露骨に顔を顰めている。
さて、ここでどう出るのだろうか。
マモの口元に全員が注視している間にも、料理の準備は進んでいる。
運び込まれた膨大な数の更に白米が盛られ、その上に”かれー”が注がれた。
これがまた、美味そうなのだ。是非食べねばなるまい。
「これ以降、この軍議では、喧嘩しないこと! 以上!!」
マモの出した“条件”に、全員が呆気にとられた。
冒険者も|破落戸《ごろつき》も、もちろん〈城壁〉の戦士たちも。
どんな無理難題が吹っ掛けられるのか、と身構えていたところに、「喧嘩するな」と来た。
冒険者の一人が、笑う。
レオ・ブルカリン、という名前だったか。〈遠征病〉治癒の生き証人だ。
重い〈遠征病〉を患い飛竜の世話に回されていたのが、治癒して前線に復帰し、その遠征で功績を挙げた。
冒険者は位階ではなく、殊勲者をこそ敬う。
レオ・ブルカリンはまさにまごうことなき殊勲者であり、生きた伝説である。
その生きた伝説が笑ったのだ。その意味は、小さくない。
笑いの輪が、広がる。
ゼレクスも、笑った。
これでは喧嘩になりようがないな、と思う。
屈強な冒険者も、謹厳な戦士も、無法者な破落戸も、寡黙な斧手も、皆が大人しく並んでいる。
きっとこの中には、整理券が手に入れられなくて【マモのグルメ】に行けなかった者もいるはずだ。
ゼレクスも一人の人間として、並ぶ。
全員に”かれー”が行き渡り、着座した。
そこで、とんでもないことに気が付く。
目でオ・クランクランを探し、視線をぶつけると、あの狸は視線を合わせずに、反らした。
してやられた、というわけだ。
この円形のテーブルには、上座がない。
亡国の王族も諸侯も、無官の冒険者も、斧手も、破落戸でさえも、同じ|格《・》として、食卓を囲むことになる。上下関係のない、|仲間《・・》ということになる。
「こいつは、してやられたな……」
〈城壁〉と冒険者の”壁”となっていた身分の差、という意識を、破壊するつもりだ。
それも、軍議の昼食を使って。
思ったよりも狡猾な狸じゃないか、とオ・クランクランへの評価を改める。
“かれー”はゼレクスの予想した通り、白米に香辛料で煮込んだ汁物をかけた料理だった。
ゴロゴロと大きめに刻まれた野菜がよく煮込まれて、実に食欲をそそる。
さらりとしていないのは、小麦粉でとろみをつけているからだろうか。
匙を手に取り、“かれー”を口に運んだ。
「辛っ!」
「美味い!」
「なんだこれ……!」
美味い。辛い。美味い。辛い。
目を白黒させながら、次の一口を口に運んだ。
刺激に慣れた舌は、ただ辛いだけでない“かれー”の奥深さを吟味する。
ああ、これは玉葱だ。
溶けるまで煮込んだ玉葱の甘みと……林檎か? 蜂蜜か?
とにかく、辛さと甘さが絶妙な均衡をもたらしている。
これが、格式張った料理であれば、冒険者たちは面食らい、気後れしただろう。
逆に粗野な料理であれば、亡国の王侯貴族は見下したに違いない。
しかし、“かれー”はそのどちらでもなかった。
見たことがなく、高級でも、卑俗でもなく、そして美味い。
これが考え抜かれた一手なのか、マモの引き寄せた偶然なのかは分からないが、ここでは最善手というべき料理だとゼレクスにも分かる。
どんな種族でも食べやすい”かれー”に、皆が舌鼓を打っている。
美味い。辛い。美味い。
汗が噴き出すが、構うものか。
ゼレクスも体面を忘れて、匙を動かした。
皆、童心に帰って貪る。
食べ、笑い、おかわりを貰いに並んだ。
それは久しくなかった、平和の姿だったのかもしれない。
食べ終えた後の軍議は、昼食前とは打って変わって、建設的なものになった。
喧嘩をするな、というマモの願いが通じただけではない。
〈遠征病〉を患っていた破落戸が治癒するのを、目の前で見せられたのだ。
これでは、希望を抱くなという方が無理だろう。
全員が、絶望に飽いていた。
希望に飢えていたのだ。
”かれー”は、その空腹をも、満たした。
活発な議論は夜遅くまで続いたが、誰一人として、席を蹴るものはいない。
全員が、この作戦を成功させようという想いを共有しているのだった。