キマイラ文庫

まものグルメ

蝉川 夏哉

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まものグルメ

蝉川 夏哉

一章 黒髪黒目の少女

第十三話 〈賢者〉のカピバラ

「で、儂のところに来た、と」


 小さな眼鏡をかけたカピバラがやれやれと肩を竦めた。

 テテインはカピバラの獣人ではなく、れっきとした人間だ(余談だが、獣人たちはレオやマモのような人間のことを無尾人と呼ぶ)。


 魔術の実験に失敗して大型齧歯類の姿になり、元に戻れなくなってしまった。

 見た目は毛のふさふさした大きなネズミのお化けにしか見えないが、レオの知る限り、〈浮遊城〉の中で最も頭のいい人物の一人だ。


「どうせ借りるなら天才の知恵がいいだろう?」


 レオがわざとらしく煽てると、テテインは満更でもなさそうに椅子の背もたれに身体を預けた。

 ここは〈浮遊城〉にいくつかある図書室の一つで、戦士や冒険者にも開放されている一室だ。


 元々は魔術師として冒険者をしていたテテインだが、カピバラの姿になってからは主にここでちょっとした相談事や調べものを解決することを|生業《なりわい》にしている。

 そんな仕事で食っていけるのかと思うが、意外なことに盛況で、冒険者同士の情報共有のハブになっているようだ。


 ヤドリギの産み出す魔物の情報や各地の状況、装備品や探索の知恵など、扱っている知識は多岐に渡る。

 魔術師だった頃にそれほど活躍していたという話は聞かないから、こちらが天職だったのだろう。


 戦士や冒険者にとって、知識は命綱だ。

 ちょっとした工夫を知っているか知らないかは、文字通り死命を別つ岐路になる。


 本当なら〈城壁〉が情報を取りまとめればいいのだが、現状ではそこまで手が回っていない。

 ヤドリギの浸蝕は速く、味方の数はあまりにも少なかった。

 そういうわけで、テテインは大きなパズルの重要な一欠片としての重責を担っている。


「それにしてもレオ。お前さん、すっかり良くなったようじゃないか」


 遠征病に罹って心を悲しみに閉ざされてからというもの、レオ・ブルカリンも何もせずに手を拱いていたわけではなかった。

 八方手を尽くして治療法を探し、その中の一つが旧知のテテインに頼るというものだったのだ。

 だからこのカピバラはレオが如何に苦しんでいたかをよく知っているし、そこからの回復具合についても驚いてみせる資格があった。


「マモの料理を食べてこの通りさ」


 レオは有り余る力を示すために、二度三度、その場で跳ねて見せる。司書が少し嫌な顔をしたが、構いはしない。この時間、ここにはほとんど人はいないのだ。

 図書館が込み合うのは大きな遠征が終わる時か、はじまる前だ。テテインの知恵を借りたい戦士や冒険者が詰めかけてごった返すことになる。

 ……いずれにしても本を手に取る者は少ないのであるが。


「テテイン、ラクサーはマモの料理を皆に食べてもらいたい」

「何かいい知恵はない?」


 ここを訪れたのはレオだけではない。マモとラクサーも一緒だ。

 レオだけで頼みにくるつもりだったのだが、二人がどうしてもと言ってついてきた。

 マモによれば、それが仕事を依頼する人間の誠意なのだそうだ。

 テテインはカピバラの器用な指先で眼鏡をくいと持ち上げ、マモとラクサーの二人を矯めつ眇めつ眺める。


「お前さんがオ・クランクラン殿が言っておった【切り札】か」

「切り札?」


 マモが聞き返すと、テテインはひらひらと手を振って遮った。


「なに、こっちの話さ。それよりも、食堂に客を呼ぶ方法なぁ」


 椅子から床にぴょこんと降り立つと、テテインは顎を撫でさすりながら二本の脚でぴょこぴょこと歩き回る。

 この元魔術師が複雑な思考を弄ぶときの癖なのだ。


「大天才である儂も、飲食店の経営に参画した経験だけはないからな……」


 まるで飲食店の経営以外は全てやったことがあるような口ぶりだが、もちろんそんなことはない。レオの知る限りでテテインは魔術師に弟子入りする前は船大工の息子でしかなかったはずだし、冒険者になってから副業に手を染めたこともないはずだ。


 それでもレオや友人知人がこのカピバラ賢者を頼りにするのは、該博な知識と頭の回転で、生半な冒険者には思いつかない解決策を提示してくれるからであった。

 ぶつぶつと言いながら歩き回るテテインの背中を、ラクサーの視線がじっと追いかける。尻尾が揺れているところを見ると、この状況を愉しんでいるようだ。


 マモの方は手近な書架から本を取り出してみては、「これも読めない」「こっちもダメか」と挑戦を続けている。

 本を開いてみようとするところを見れば、どこかしらの世界の文字は読めるということだろうか。

 先ほどのテテインの【切り札】という言葉も含めて、謎が多い。


「うむ。わかった」


 テテインが大型齧歯類の掌を打ち合わせるが、人間のような景気のいい音はしなかった。


「何か思いついた!?」


 文字を読むことを諦めて挿絵だけを追いかけていたマモが本を書架に戻してテテインの傍に駆け寄ってくる。


「ああ。まずは看板と宣伝のビラだな。ビラについてはオ・クランクラン殿の秘書に頼むのがいい」


 場所を分かりやすくするのは確かに大切だ。


 だが、レオは内心で小さく溜息を吐いた。これくらいのことならわざわざテテインに聞きに来るまでのこともない。

 もちろん、ビラの文言や印刷の伝手まで使えるのはありがたいが、“思いもよらない”ほどではない。


「それでお客が増えるだろうか……ラクサーは心配だ」


 耳がぺたんと寝てしまっているラクサーが呟くようにこぼす。


「心配ない。最も重要な策がもう一つある」


 テテインが意味深長な笑みを浮かべた。


「重要な、策?」


 いつの間にかテテインの背中を撫でながら、マモが聞き返す。

 確かにテテインは撫でたくなるフォルムをしているが、本当に撫でている人はレオも初めて見た。


「そのカギは、レオ・ブルカリン。お前さんだ」

「えっ?」


 全く予想もしていなかった指名に、レオは面食らう。

 マモの食堂とレオに何の関係があるというのだろう。



「レオ、お前さん、遠征に出ろ。そこで大活躍するんだ。何としてもな」