まものグルメ
蝉川 夏哉
二章 【マモのグルメ】と迷宮攻略大作戦
第十四話 〈管理者〉様とトンカツ弁当
「……子供?」
レオ・ブルカリンの視線の先、礼拝堂の一番奥には、少年が一人力なく座り込んでいる。
こんなところに、何故?
混乱と戸惑いが一気に押し寄せるが、不思議と手は剣の柄に伸びなかった。
あれは、魔物ではない。もっと違う種類のものだ。
弱々しい姿もそうだが、それ以上に何か神々しいものを感じる。
『ねぇ、美味しそうなもの食べてるね?』
聞こえていないと思ったのか、少年は同じ問いかけをしてきた。
否、”聞こえていないと思った”のではない。本当は聞こえないものなのだ。
その証拠に、周囲の冒険者も、人足も、通信魔術師でさえ、少年の方を気に留める様子すらない。
レオには、思い当たる節があった。【|恩恵《ギフト》】だ。
昔からレオは、他の人間に聞こえない物が聞こえることがあった。
それは何も幽霊やなにかというわけではない。
例えば、飛竜の世話が上手かったのも、彼ら彼女らの声がレオには聞こえることがあったからだ。
レオは、立ち上がった。手には弁当を持っている。
周りの冒険者は一瞬、怪訝な表情を浮かべたが、そのまま食事と談笑を続けた。
前に立ってみると、少年が人間ではないことがよく分かる。透き通っていて、礼拝堂の壁が見えるのだ。愛らしい少年は少女と見まごうほどに美しいが、やはり弱々しい。
『ボクが見えるの?』
「ああ」
『珍しい【恩恵】だね。普通の人はここまで弱った〈管理者〉の姿は見えないのに』
〈管理者〉、という言葉を聞いて、レオは息を呑んだ。
うっすらとそうではないかと予見はしていたが、実際にその言葉を聞かされると、棒が入ったように背筋が伸びる。
「お目にかかれて光栄です」
片膝をつくレオに、〈管理者〉は目を丸くし、その後ケラケラと笑った。
『やめてよ。ヤドリギに力を吸われてもうすぐ力を失っちゃいそうな弱い〈管理者〉に向かって』
「そうなのですか?」
『うん。ここのヤドリギはずいぶん大きくなったからね』
これまでにも、ヤドリギと〈管理者〉の関係については色々な説があった。だが、ヤドリギによって〈管理者〉がその力を喪失する、という仮説はほとんど聞いたことがない。
「今、ヤドリギを伐り倒すために大攻勢を仕掛けております。もうしばし、お待ちを」
レオの言葉に、〈管理者〉は優しく、しかし弱々しい笑顔を返す。
『ありがとう。でも、お仲間も随分と苦戦しているみたいだ。無理はしないでほしい』
やはり〈管理者〉というだけあって、この近辺の状況は把握しているようだ。
実際、通信魔術師を通じて漏れ聞く戦況は芳しくない。
「……何か、お力になることはできませんか?」
ふり絞るような声で尋ねるレオに、今度こそ〈管理者〉は満面の笑みを浮かべる。
『何かお供え物をしてくれないかな? 実を言うと、この分身を維持するのもそろそろ辛くなってきていたんだ。何か美味しい物でも供えて貰えば、もうちょっと君とお話しできるかもしれない』
お供え、と聞いて、手の中にある弁当を、躊躇うことなく〈管理者〉の足元に置いた。
「冷めておりますが、腕のいい料理人の作った弁当です。お口に合えばよいのですが」
『うん、ありがとう! 頂くね!』
きっと後ろでは、冒険者たちが唖然としてるに違いない。
レオが虚空に向かって話だし、あまつさえ弁当まで捧げて聖句を唱えはじめたのだから。
けれども、これが恥ずかしいことだとレオは微塵も感じない。必要だと考えるから、こうするのだ。
〈管理者〉への供え物は、物質としては、減らない。
そこに込められた想いや力、見えないものを食べるのだという。
人によっては供えた後のものを食べると香りが弱くなっていると言うそうだが、レオは詳しいことはわからなかった。
〈管理者〉が嬉しそうにトンカツを口に頬張る。
次の瞬間、|何か《・・》が弾けた。
〈管理者〉(の分身)である少年を中心に、球状に清らかな力の波動が放たれたのだ。
『お、美味しい!! これ、いったい、何なの?』
「そ、それはトンカツと言って……」
『外はサクサクして、中はしっとり! 冷めてはいるが、衣にソースがよく滲み込んで……』
再び、清浄な気が、休憩に放たれる。
降りかえってみると、冒険者や人足たちもこの気を感じ取ったのか、唖然としてレオの背中を見つめていた。通信魔術師に至っては、ひれ伏す始末だ。
レオは思わず胸中で苦笑いしてしまった。
確かに、何も知らない人間から見れば、レオが祈りをささげたことで聖なる気が溢れ出したように見えるかもしれない。
〈管理者〉の方へ向き直ったレオ・ブルカリンは、小さく息を呑んだ。
そこには先ほどまでの弱々しい少年の姿はない。
背丈こそ元のままだが、力強く、輝きに満ちた〈管理者〉の姿がそこにあった。
『ありがとう。君のお陰で、力を取り戻すことができた』
「いえ、滅相もない。この弁当を作ったマモの力です」
きっと、ただの弁当であれば供えても意味はなかっただろう。
マモの弁当だからこそ、〈管理者〉の回復に効果があった。
そう考えると、不思議な縁としか思えない。
『わずかなりとも力が戻ったのだ。君の仲間たちの手伝いをしてくる』
そう言い残すと、〈管理者〉の分身はかき消えるように見えなくなった。
後にはただ、清らかな空気の残り香だけがある。
レオは、どっと力が抜けるのを感じた。
人ならざる者と対峙し、言葉を交わし、その力さえ受けたのだ。
疲弊するのは、もっともなことだった。
「おお、もう到着していたのか!」
冒険者のキーオ・カンピュールが少数の部下を引き連れて礼拝堂に入って来たのは、ちょうどその時だった。彼らに運んできた食糧を渡せば、レオの任務は完了となる。
「つい先ほど。帰りのこともあるので、弁当を使っておりました」
「なるほど。それは段取りがいい。……ところで、先ほどこの礼拝堂から……聖なる気が放たれたのだが、それについて何か知っていることはないか?」
礼拝堂の外まで、〈管理者〉の力は届いていたらしい。
どう説明したものか、と逡巡ながらレオが口を開こうとしたとき、キーオの連れてきた通信魔術師の表情が変わった。
「キーオ殿、前線より急報です!」
「何だと? 済まん、レオ・ブルカリン殿。先にこちらの話を聞こう」
レオに否やはない。頷きを返すと、通信魔術師が報告をはじめる。
「前線で防戦中のグルカヌン・ラー殿よりの報せです。ヤドリギから出現する筋肉鬼ですが……」
「あいつらは厄介だ。防ぎきれなくなったのか?」
「……いえ。何故か、ヤドリギから産み出されなくなったそうです。小鬼や怪鳥、甲冑の出現数も大幅に減少中とのこと」
レオは、キーオと顔を見合わせた。
「……どういうことか説明をして貰いたいが、これは千載一遇の好機だ。前線まで同行しながら、説明をして貰いたい」
「よろしいのですか?」
「食糧輸送隊も、申し訳ないが前線に同行してもらう」
「と、いいますと?」
「……運んできてもらった食糧は、マモの弁当だ。本来はここで〈管理者〉の像を探して、祀るつもりだった。マモの弁当はそのお供えのつもりだったのだが、必要なさそうだからな」
つまりこれは、前線に出る好機、ということだ。
「分かりました。お供します」
キーオが差し出す手を、レオはしっかりと握った。
何かが、大きく変わろうとしている。そんな、微かな予感があった。