キマイラ文庫

まものグルメ

蝉川 夏哉

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目次

まものグルメ

蝉川 夏哉

二章 【マモのグルメ】と迷宮攻略大作戦

第十七話 大勝利

 タマネギを刻む手が、ふと止まる。


 第二食堂あらため【まものグルメ】は閑散としていた。

 ラクサー・ギフと、オッティーが三人。客は昼酒を飲みに来た老人がいるばかりだ。

 がらんとしているが、食堂の人気がなくなったわけではない。

〈浮遊城〉全体に、今は人が少ないのだ。



 普段なら食堂を訪れる客たちのほとんどが、今は飛空艇で〈無限荒廃城塞〉へ向かっている。

 オ・クランクラン伯は相当の戦力を今回の作戦に投入していた。

 人手が減れば、残された兵士の負担は増える。

 超過勤務に、残業に掛け持ち。

 美味い物よりもベッドの方が恋しくなるのも、無理のないことだった。



 戦況は、どうなっているのだろうか。

〈無限荒廃城塞〉がとても厳しい環境だということは、まもりもテテインや他の人たちの話から聞き知っていた。

 恐ろしいほどの数の魔物がいる、という。

 まもりの知っている人も、怪我をしたり、それ以上のことになるかもしれない。


 もどかしい、と思った。

 何かしてあげられれば、とも。

 出陣前に振る舞った料理や弁当には、そういう心持ちをしっかりと籠めて作った。


 自己満足だとは分かっている。

 それでも、最期になるかもしれない食事が、味気ない保存食であるよりは、いいはずだ。


 今のまもりにできることは、あまりにも少ない。

 精々が無事に帰ってくることを祈るくらいだ。


 あーっ、と声を出しながら、まもりは大きく伸びをする。

 知らぬ間に、背中が凝っていた。

 待たされる者は、いつもこうなのかもしれない。



 そこまで考えた時、ふとルシェオスとの出会いを思い出した。

 本来は戦士である彼が、戦いに赴いた仲間たちのために、何をしていたか。


 出迎えのための、料理を用意する。

 できる限り盛大に、勝ったとしても負けたとしても、喜ばれるような料理を、だ。

 それは、まもりにもできることだった。


 よし、とびきりの出迎えの料理を作ろう。

 そう思った時、不意にラクサーが声を掛けてきた。

「マモ、どうかしたのか?」


 掃除の手を止めて尋ねて来たラクサーの声音には、まもりを気遣うような色がある。


「どうもしてないけど、なんで?」

「マモ、泣いているぞ?」


 えっ、と頬に手を遣ると、確かに一筋の涙が雪解けのように伝っていた。

 哀しみの涙ではない。

 温かい、喜びのそれだ。


「なんでだろ……?」

「マモに分からないなら、ラクサーに分かるはずもない……」


 豹人は少し呆れたように両手と尻尾を上げて”降参”のポーズをして見せる。

 以前のまもりを神格化しているような崇敬ではなく、こういう互いに冗句も言い合える関係が、まもりは好きだ。



 まもりは不思議な衝動に突き動かされるように、調理場から|祀祠《ほこら》の方へ向かった。

【まものグルメ】の一角には、これまでに祀った三柱の〈管理者〉の像が並んでいる。

 いつも丁寧に清め、お供えも欠かしていない。



 その、三柱の〈管理者〉の像が、心なしかいつもよりも嬉しそうに見える。

 何故だろうか。



 食堂の扉を弾き飛ばすほどの勢いで誰かが入って来たのは、その時だった。

 狸人。

 オ・クランクラン伯だ。


「は、伯爵様?」


 毬のように転がり跳んできた伯爵が、まもりの肩をがくがくと揺する。


「……勝った」

「え、あ、おめでとうございます」


 よかった。

 勝って欲しいと思っていたが、こうやって実際に戦勝の報告を聞くと、嬉しい。

 オ・クランクランはそんなまもりの反応がまだまだ薄いと思っているらしく、更に大きな声で宣言する。


「勝ったんだ!」

「え、ええ」


 勝った、ということは分かる。

 あれだけ多くの戦力を投入したのだから、勝ったのが嬉しいというのも分かる。

 けれども、オ・クランクランの血走った眼には、それだけのことではない何かを感じさせた。


「消滅したんだ! 〈歪み〉が」

「へぇ」


 こちらの世界のことをあまりよく知らないまもりとしては、〈歪み〉って消滅することもあるんだ、というくらいの気持ちである。

 だが、どうやらそれは普通のことではないらしい。


 ラクサーが手にしていた箒を取り落とし、オッティー達が飛び上がる。


「消滅したんだよ! 〈歪み〉が!」


 絶叫するオ・クランクランの後ろに、漸く部下たちが追いついてきた。

 どうやら部下たちも追いつけない速さで食堂まで知らせに来てくれたようだ。


「それは……よかった、ですね?」

「よかった? 確かによかった! 素晴らしいことだ!」


 よかったならいいじゃないか、と思うのだが、さすがのまもりもこの辺りで何かがおかしいことに気が付きはじめる。

 昂奮して目が充血しているオ・クランクランではなく、ラクサーの方へ向き直ると、尋ねてみた。


「ね。〈歪み〉が消えるって、珍しいの?」


 ラクサーは、小さくしかししっかりと、首を横に振る。

 なんだ。珍しいことじゃないのか。それならどうしてこんなにオ・クランクランは慌てているのだろうか?


「……聞いたことがない」

「え?」

「ラクサーは、〈歪み〉が完全に消えたという話を、これまでに一度も聞いたことがない」


 へぇ。それは凄いことなんじゃないかな?

 肩にぶら下がるような形になっているオ・クランクラン伯を畏れ多くも床におろしながら、まもりは考える。


 魔物が無限に湧き出す〈歪み〉

 その〈歪み〉が増えることで、|多島界《イーリスフィ》は危機に瀕している。

 〈歪み〉が厄介なのは、決して完全に消滅させられない、ということで……



「あれ? ひょっとして、すごくない?」

「すごい! すごい!」


 オッティーたちが合唱するように唱和しながら跳びはねて回る。


「それで、祝宴の料理を発注しに来た」

「ああ、そのことで相談しようと思っていたんですよ」


 出生した戦士や冒険者を労う料理は、どれくらい用意したらいいのだろうか。


「五十人前くらい用意しておいた方がいいですか?」

「……1000だ」

「1000人前ですか!?」

「それも、最低で、1000人前、だ!」


 オ・クランクランの注文に、まもりは呆然としてしまう。

 そんなに大量の料理を、どうすればいいというのか……