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サマータイムモンスターズ

横田 純

001

(NOT)GAMESTART


 ある日、世界中のカレンダーから8月以降が消え去った。


 2025年7月31日まではしっかり日付が書かれているのに、それ以降は全て白紙。

 どうすればこんなことができるのか、一体何の意味があるのか、その時は誰にもわからなかった。




「なあイッチ、このニュース見た?」


 初夏の昼休み。

 僕らの通う中学校、2年1組の教室。

 |双柳《なみやなぎ》|蝉丸《せみまる》が僕の机に身を乗り出してきた。

 透き通るような白い肌を紅潮させながら、スマホの画面を見せつけてくる。


「見たよ。カレンダーのやつだろ」


「そうそう! すごいよね」


 蝉丸はズレた眼鏡を直しながら記事に見入っている。

 僕は机の下に隠した携帯ゲーム機の画面に視線を戻した。


 画面には30年前に発売されたドット絵のRPGが映っている。

 田舎町に暮らす少年が、バットを持って地球の危機に立ち向かう物語だ。


 このゲームの主人公は弱い。

 大人たちにはナメられっぱなしだし、旅の途中でホームシックになる。

 でも、愉快な仲間たちと力を合わせて、次々と困難を乗り越えていく。

 そんなところが好きだった。


 ゲーム機をしまいながら、僕は蝉丸に声をかけた。


「カレンダーのことだけど、蝉丸の家も大変だったんじゃない?」


「まぁね」


 蝉丸は肩をすくめた。


「父さんが、修理日と納品日の予定が全部わからなくなったって騒いでた」


 蝉丸は、村にひとつしかない電気屋『双柳電気サービス』の一人息子だ。

 設備工事から家電の修理まで、何でも引き受けている。


「それより大変だったのはアヅの家だよね?」


 窓際の席で頬杖をつきながら外を眺めていたアヅ――

 |阿妻《あづま》|日鶴《ひづる》が、面倒くさそうにこちらを向いた。

 短く刈り上げた髪に引き締まった体つき。

 蝉丸とは対照的な、運動部の精鋭といった雰囲気だ。


「最悪だったよ」


 アヅは心底嫌そうに、眉をひそめながら続けた。


「村のおばちゃん達が『このカレンダー不良品だから交換して』って押し寄せてきて」


「おお。で、どうしたの?」


「どうもこうもないよ。うちの店で売ったものだから一応謝ったんだけど、店の奥から出した在庫のカレンダーも全部8月以降が真っ白なんだもん」


「マジかよ」


「だいたい、なんでうちが謝んなきゃいけないんだよ。ホント腹立つ」


「お疲れ」


「いや。俺は練習で家にいなかったから、この件に関しては疲れてない。しんどかったのは、うちの親だよ。うちのせいじゃないのにプレッシャーかけて謝らせるなんて……それが許せなかったんだ」


 アヅは、村にひとつしかない個人経営スーパー『アヅマート』の一人息子だ。

 シニアで野球をやっていて、エースで四番。今年の夏は全国大会に出場するらしい。


「シニアって金かかるんだよ」


 アヅは窓の外を見つめながら言った。


「なのに、こんな山奥から通わせてもらって感謝してる。だから俺、親が悲しむ顔を見るのは嫌なんだ」


 アヅはいつも、自分の思考を正確に言葉にしようとする。コーチからそういう指導を受けているらしい。

 思春期ど真ん中の僕らの世代で「親が悲しむ顔を見るのは嫌」とハッキリ言えてしまうアヅを、僕は少し尊敬している。



「それで、イッチはどう思う?」


 アヅが僕の方を向いた。


「世界中からカレンダーの8月以降が消えたこの事件、誰かのイタズラだと思うか?」


「イタズラ……にしては、スケールでかすぎない?」


「世界中だもんな」


「しかも、スマホアプリとかネットのやつだけじゃなくて、紙のカレンダーまで全部だからね。どうやったのか見当もつかないよ」


「ちなみに、カレンダー系のアプリは軒並み★1のレビューで炎上してるよ」と蝉丸。


「気の毒だな」


 アヅがため息をつきながら立ち上がり、教室の壁にかかっていたカレンダーまで歩いていく。


「……やっぱり、ここもか」


 教室のカレンダーも、8月以降は真っ白だった。


「これは1ヶ月が1枚だからまだいいけど、うちで売った日めくりカレンダー、8月以降がメモ帳みたいになっててなぁ……」


「うわ、そっか! 日めくりはヤバそう!」


「8、9、10、11、12……ざっと150日分ぐらい真っ白ってことか」


「そんなのが今、うちの倉庫に山積みになってんだよ。イッチ、なんとかしてくれ」


「なんとかって」


「お前は昔からそうだったろ。なんでも言い出しっぺで、面倒ごとに首突っ込んで、多少ムチャでも解決してきた実績がある。たとえばほら、飼育小屋のウサギとニワトリが夜中に全部脱走した時も――」


「いつの話をしてんだよ。小学校の時じゃん」


「なおさらすごいだろ。あの時も、朝来たイッチが状況を見て『生徒だけじゃ無理だから』って、すぐ村の大人に協力頼んで山狩りして、その日のうちにみんな無事に見つけ出したんだ。あれはすごかった」


「そんな大したことじゃないよ」


「いや、あれは誰でもできることじゃない」


 アヅは真剣な表情で言った。


「あの判断の早さと行動力は才能だ」


 また。こいつはこういうことをハッキリ言う。


「的確な指示を出すのって難しいんだよ」


 アヅは続ける。


「全体が見えてないとダメだし、迷わずビシッと方針を決めて簡潔な言葉で伝えないと逆に混乱を招くから。あれを何の訓練もなしに、大人まで巻き込んで成果を挙げたんだから、お前は生まれつきの参謀タイプってことだな」


 ちょっと褒めすぎな気もするけど、アヅに面と向かって褒められると悪い気はしない。


「……まあでも、今回の件でイッチに頼めることは何もなさそうだけどな。うちのカレンダーの在庫処理なんか友達に頼むわけにはいかないし」


「そりゃそうだけど……」


「あえて言うなら――原因を知りたい。それだけだな」


 原因。

 世界中のカレンダーから8月以降が消えた理由。


 たしかに、これが誰かのしわざだとしたら、理由もなくこんな事件を起こすとは考えにくい。デジタルもアナログも含めて世界中のカレンダーの日付を消すなんて、尋常じゃない労力だろう。とても人間業とは思えない。


 その結果、みんな予定がわからなくなって、アプリに★1が増えて、店には返品を求める人が殺到。

 いやいや。騒動が地味すぎるだろ。コスパ悪すぎじゃない?


 ふと、頭の中に嫌な考えがよぎる。


 ――これで終わりじゃないとしたら?


 カレンダーの日付が消えたのは、ただの予兆。

 むしろ、これが始まりだとしたら――?



 数日後。

 僕の予感は的中した。