ビューワー設定

文字サイズ

フォント

背景色

組み方向

サマータイムモンスターズ

横田 純

003

瀬凪


「おはよう、イッチ」


 あぜ道の向こうから制服の女子が歩いてくる。

 僕の方を見て、笑って手を振る。

 セミロングの黒髪が夏風に揺れる。


 |陽菜乃川《ひなのがわ》|瀬凪《せな》――

 僕の同級生だ。


「今日で学校終わりだね」


「ああ」


「イッチは夏休み、何か予定あるの?」


「いや、特に」


「そっかぁ」


 会話はそれで終わってしまった。


 僕は瀬凪と目を合わせられない。

 何かしゃべろうとは思うものの、何を言えばいいのかわからない。


 それでも瀬凪は黙ったまま、僕の隣を歩いてくれている。

 いつからだろう。こうなったのは。



 瀬凪と僕は幼なじみだ。


 田舎の家は田んぼや畑があるせいで、一軒一軒の距離がだいぶ離れている。

 その中でもわりと家が近くて、親同士も仲がよかったので、いつも瀬凪が隣にいるのが当たり前だった。


 瀬凪は「ちょっと男子ー!」って言うタイプの女の子だった。

 サラサラのショートヘアで、よく男の子と間違われてて。

 自分の信じた道をまっすぐに進む芯の強さを持っていた。


 一度、クラスメイトの気弱な女子が、男子数人に変なあだ名をつけられて泣かされる事件があった。

 瀬凪は友達を泣かせた不届きものたちを許さず、教室から校庭の端まで風のように追いかけまわし、全員を捕まえて謝らせた。

 泥だらけになって戻ってきて、「もう大丈夫だよ」とはにかんだ瀬凪の顔を僕はよく覚えている。

 のちに犯行グループの一人は「あいつ足速すぎるよ」と半べそをかきながら僕に語った。


 中学生になった瀬凪は陸上部に入り、足の速さに磨きをかけていく。

 ショートだった黒髪をセミロングに伸ばして、いつしか一緒に遊ぶこともなくなった。

 男勝りだった少女は、いつの間にか「あの子かわいいな」って噂される女子になっていた。



「ういっすー、おっはよー」


 後ろから聞こえた声に瀬凪が振り返り、にこやかに挨拶を返す。


「アリサ! おはよー」


「うっすうっすー」


 アリサ――

 |暇坂《ひまさか》アリサ。僕と瀬凪のクラスメイトだ。

 制服のスカートを短めにし、黒い靴下を太ももの途中まで引き上げた、この村では珍しいギャルの女子。

 ミルクティーベージュの髪をなびかせながら、自転車で僕らの横を並走する。


「またヘルメットかぶってないの? 危ないよ」


「だってー、昨日髪染めたばっかなんだもん。汗で蒸れて色落ちたらヤだし」


 柔らかそうな巻き髪が朝日に輝いている。


「きれいな色だね。いいなあ」


「でしょ!」


 アリサは、村にひとつしかない美容室『ヘアーサロンひまさか』の一人娘だ。村の住民のほぼ全員が、アリサの家で髪を切っている。


「瀬凪も染めてみたら? あたしからお母さんに頼んであげるよ」


「んー。やってみたいけど、今はいいかな」


「そっかー。まあ、瀬凪はそのまんまでもかわいいしね! イッチもそう思うでしょ?」


「――え!?」


 急に振られて声が裏返る。


「だからぁ、瀬凪は今のまんまでかわいいよねって言ってんの」


「えっと、そう……だね……」


「なに? 聞こえないんだけど?」


 やめてくれ。


「……あ。ははーん。そういうこと?」


 アリサが小悪魔みたいに笑う。


「ちょっとイッチ、こっち来て」


 アリサが僕をぐいっと引き寄せて、耳元で言う。


「ハッキリしないと、取られるよ」


「取られるって……?」


「瀬凪。陸上部の先輩から付き合おうって言われてるみたいだよ」


「え」


 胸の奥が、ずしんと重たくなった。


「あたしも噂で聞いただけだから詳しくはわかんないけど」


「な、なんでそれを僕に言うんだよ」


「……はぁ? いつまで小学生気分なの? 今あんたの隣を歩いてくれてる子、めっちゃかわいい子なんだからね? いくら小さい頃からずっと一緒だからって、そんな態度でいつまでも一緒にいてくれると思う?」


 アリサは僕の態度にイライラした様子で、まくしたてるように一気にしゃべった。

 すげぇキレてるじゃん……と思ったけど、言葉の節々から僕を|諭《さと》すような優しさも感じられた。



 そこに、黒塗りの車がゆっくり走ってきた。

 後部座席の窓が開き、中から知った顔が見える。


「おはようございますぅ」


「ホタルー! ちょうどいいところに!」


 ホタル――

 |縄代《なわしろ》ほたる。農機具メーカー『ナワシロ』の社長令嬢。

 ふんわりとした体つきに、優しげな丸顔。

 アッシュブラウンの長い髪は左肩に流れるように編まれ、白い肌によく映えている。


「どうされたんですか?」


「実は今イッチがね……」


 アリサがホタルに耳打ちするのを、不思議そうな顔で見つめる瀬凪。

 アリサの話を聞いたホタルが目を輝かせ、鼻息を荒くしながら僕に迫る。

「イッチさん! いけません。それはいけませんよ!」


「はぁ」


「私も応援します。ここはビシッといきましょう!」


 ホタルは恋バナが大好きだ。

 幼い頃から帝王学を叩き込まれてるって噂だけど、その反動だろうか。ゴシップの類に目がないらしい。


 とにかく、僕は朝から女子に囲まれて、絶体絶命になっていた。


「どうしろっていうんだよ……」


「わかってんでしょ?」


「瀬凪ちゃんを取られちゃってもいいんですか?」


「取られるとか取られないとか、そもそも瀬凪は物じゃないし」


「はぁーーー……」


 こりゃダメだ、とでも言うように、アリサとホタルは大きなため息をついた。


「イッチさぁ。あんた、だいたいのことは何でもできるのに、そういうとこだけ本当ダメだよね」


「何がだよ」


「ま、あんたたちがどうなろうと、あたしには関係ないけど。じゃ」


「ちょっ……!!」


 アリサは愛想よく瀬凪に手を振りながら、自転車のペダルを勢いよく踏み込んで走り去っていった。


「瀬凪ちゃん、イッチさん。もしよろしければ学校までご一緒に乗っていきますか?」


「ううん。学校までもう少しだから、歩いてくよ。ありがとう」瀬凪が返事をする。


「では、お先に」


 車がゆっくり発進する。

 去り際、ホタルは僕に「ファイト!」みたいなジェスチャーをした。



「……アリサとホタル、何話してたの?」


 微笑む瀬凪の顔が間近に見えて、すぐに目をそらす。

 僕は「なんでもないよ」と返すので精いっぱいだった。


 終業式で体育館に整列している時も。

 先生が夏休み中の注意事項を話している時も。

 ずっと頭の中で、今朝のアリサの一言がこだましていた。



 ハッキリしないと、取られるよ――



 このままじゃダメだ。


 今年の夏は何かを成し遂げよう。

 僕は心の中で目標を立てる。


 僕の成し遂げたいこと、その1。


 瀬凪に告白する。