キマイラ文庫

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サマータイムモンスターズ

横田 純

006

Re:7月19日


 縁側で風鈴の鳴る音が聞こえる。

 気づいたら僕は、畳の上に寝転がっていた。


「……え?」


 僕の家だ。

 どこも壊れていないし、何ひとつ変わったところもない。

 窓から差し込む夏の日差し。じっとり汗ばんだ体。外から蝉の鳴く声が聞こえる。

 体を起こして辺りを見回すと、スマホの日付が目に入った。


「7月……|19日《・・・》……?」


 さっきまでのあれは?

 夢――だったのか?


 畳の上で呆然としている僕のところに、次春が現れて言う。


「うわ、イッちゃん何してんの? 暇なら一緒にゲームしようよ」


「え」


 前にもこんなことがあった気がする。

 続いて、庭の方から父さんの声がした。


「おーい。一郎、次春。ちょっと来なさい」


「なーにー?」


 次春が縁側からサンダルを突っ掛けて外に出ていく。

 縁側から顔を出して、庭を確認する。

 そこには、若い夫婦と少女がひとり、こっちを向いて立っていた。


「紹介しよう。|枕木《まくらぎ》さんご一家だ」


 父さんに紹介された夫婦が、ていねいに頭を下げる。

 同じだ。

 前にも同じことがあった。

 だって僕は、この人たちのことを知っている。


 夏摩村で農業をするために都会から移住してきた一家。

 さっきから不安そうにお母さんの後ろに隠れている少女は苗ちゃん。

 これから僕らは苗ちゃんのお世話を任されて、父さんたちは田んぼに出かけていく。


 ――予知夢?


 いや、違う。

 あれは夢なんかじゃない。


 上空に突然現れた魔王城から、大量の魔物が降りてきて村を破壊した。

 動かなくなった瀬凪の重みも、あの時感じた僕の痛みも、全部はっきり覚えている。


 だとしたら、なんで今僕は7月19日にいる?


 しゃん。

 記憶の中で、鈴の音が響く。


 その音をきっかけに、僕は古びた|社《やしろ》で願ったことを思い出す。


 ――もしダメでも。最悪の事態が起きても。なんとかなりますように。


「もしかして……あの願いのせい?」


 僕は、仮に告白が失敗しても今まで通りの関係でいられたらいいなと、保険をかけるつもりであんな願い事をした。我ながら後ろ向きな願いだと思うけど、この願いのおかげで今この瞬間に戻ってこられたんだとしたら、運がよかったと言うべきだろう。「告白が成功しますように」なんて願っていたらどうなってたか。背すじがぞっとする。


「ちょっと待てよ。だとしたら――」


 このまま放っておいたら、12日後にまた同じことが起きる。

 魔物の大群が攻めてきて、この村がめちゃくちゃにされて、みんな死ぬ?


 僕は慌てて自転車にまたがり、古びた社を目指した。

 次春が「イッちゃん、ずるい」って叫ぶ声が聞こえたけど、それどころじゃなかった。


 もう一度、社でお願いをすれば、7月31日の惨事を回避できるかもしれない。

 僕の頭の中には、それしかなかった。


 社の前で自転車を飛び降り、必死で手を合わせて祈る。


「お願いします。7月31日に魔物が攻めてこないようにしてください」


 僕はその日から、毎日古びた社に通い、お願いをくり返した。


 蝉丸から来た〈自由研究、いつから始める?〉のメッセージを無視して、瀬凪にも連絡しなかった。

 夏休みに入って12日間、ただ家と社を往復するだけの日々を過ごした。

 いつ社に向かっても、ソクラテスはスケキヨ岩を拝んでいた。



 そして、7月31日。

 僕はひとりで山の上の展望台にいた。


 上空に魔王城が現れて、魔物が降りてくるのは確か18時ちょうど。

 防災無線のスピーカーから帰宅を促すメロディが流れ始めた時だった。


 僕の願いが届いたのなら何も起こらないはずだ。

 きっと大丈夫。そう自分に言い聞かせる。


 しかし、18時になった時、僕の期待は|脆《もろ》くも打ち砕かれた。


「――嘘だろ」


 山間の雲の切れ間から、巨大な建造物が現れた。


 魔王城が、夏の空に浮いていた。


 僕らの村が魔物に破壊されていく。

 家屋が砕け、火の手が上がり、遠くから悲鳴が聞こえる。


「なんで……?」


 前に見た光景とまったく同じだった。

 あんなに願ったのに。僕の願いは届かなかったのか?


 展望台の上で呆然と立ち尽くしていた僕の目の前に、一体の魔物が降り立った。

 これからどうなるかも知っている。


 一度死んでやり直すチャンスがあったのに。

 また同じことになるなんて、こんなのありかよ。

 どうすればいい? どうすればよかったんだ!?


 ――お前は昔からそうだったろ。なんでも言い出しっぺで、面倒ごとに首突っ込んで、多少ムチャでも解決してきた実績がある。


 小学校の飼育小屋、ウサギとニワトリが逃げ出した事件。

 あの時、僕はまわりの人たちに助けを求めた。

 みんなで力を合わせないと解決できないと思ったから。


 魔物が村を襲う今回の事件は飼育小屋の時とはわけが違う。

 もっと深刻で、困難な問題だ。


 僕ひとりがいくら願ったところで、この問題は解決できないってことか?



 もし、もう一度|機会《チャンス》があるのなら、次はもっとうまくやってやる。



 僕の成し遂げたいこと、その2。


 7月31日の危機を乗り越える。