キマイラ文庫

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サマータイムモンスターズ

横田 純

029

8月7日:本番

8月7日。


 蝉時雨がやけに騒がしく聞こえる。

 風もないのに木々がざわめいているようだった。


 僕は展望台から村を見下ろしていた。

 のどかな田園風景。今日、それが全て破壊されるかもしれない。


「イッチ」


 背後から声がした。振り返ると、瀬凪が小さなリュックを背負って立っていた。


「準備はできてる?」


「ああ」


 僕らは展望台の手すりに肘をつき、黙って村を見下ろした。

 昼過ぎに最後の打ち合わせをした後、防衛隊のメンバーは村の各地に散らばって戦闘開始を待っている。

 僕はスマホにメモしたメンバーの配置と役割をもう一度確認した。



【展望台】僕・蝉丸・瀬凪

 村全体を見渡しながら状況を把握し、全体に指示を出す。


【展望台から商店街を結ぶあぜ道】小学生3人

 田んぼや畑などが広がる地域で、遠くまで見渡せるポジション。

 商店街に向かってくる魔物の大半を倒す前線。


【ボス対応】ローリー

 小学生3人よりも商店街寄りの場所、民家が点在するあたりに待機。

 ボスを見つけたらローリーに連絡。ローリーがボスと戦う。

 特定の担当エリアを持たず、魔物の出方を見て各所の救援に向かう。


【商店街】獅子上さん・苗ちゃん・シュレディンガー・アリサ・ホタル

 主に獅子上さんが商店街の防衛。

 アリサとホタルはスマホで動画を撮影し、村中心部の様子を全員に共有する。


【橋付近】鞘さん・乙吉さん

 橋を壊されると村人が逃げられなくなる。

 橋そのものと、橋を渡った先にある変電所を守る。


【村入口】湯水准教授・デコイさん

 湯水准教授はランクルに乗って待機。

 タブレットで常に状況を確認し、車でサポートに向かう。

 デコイさんは着ぐるみを着て村入口周辺を監視。

 着ぐるみにカメラと通信機器を搭載。デコイさんからの映像も全員に共有。



 メモを見ていたら、スマホが震えた。グループ通話の着信だ。

 夏摩防衛隊のビデオ会議画面を開くと、スマホから湯水の声が聞こえてきた。


〈みんな、準備は?〉


 次々と「OK」の返事が入る。


〈こちら獅子上だ。商店街異常なし〉


〈こちらアリサ。ホタルと一緒にスマホで動画撮ってるよー!〉


〈こちら乙吉。鞘ちゃんと一緒に橋にいるぜ! 大人は全然出歩いてねぇ!〉


〈俺様のエリアも平常運転だぜ!〉


〈おいフジキュー、ちゃんと名前とエリアを言えよ。誰だかわかんないだろ〉


〈次春です。小学生は3人とも展望台下の田んぼにいます。村の大人は誰もいません〉


〈村入口も静かなものだ。私の『がけ崩れ警報』のおかげで外出している村人は見当たらない〉と湯水。


 夏の午後。本来ならば畑仕事に勤しむ人や、商店街で買い物をしている人が大勢いる時間帯だが、今日の村は閑散としていた。

 湯水の判断により、夏摩村の住民には昨日の時点で「地質調査の結果、村でがけ崩れや地割れが発生する可能性がある」「もう少し調査が必要だが、8月7日の昼過ぎ以降は家を出ない方がよい」と伝えられていた。そのおかげか、村人の多くは屋内に留まることを選んだようだ。


〈それって嘘なんですよね?〉


 ランクルに同乗しているデコイの声が小さく聞こえた。


〈何にも起こらなかったら湯水准教授の信頼ガタ落ちしません?〉


〈私の信頼が落ちるぐらいで人命が助かるのなら安いものだ〉


 湯水は静かに笑って言った。


〈あとは君たちにかかってる。頼んだぞ〉


 僕はスマホを通話状態のままポケットにしまい込んだ。

 あとは時間が来るのを待つだけだ。


 17時55分。

 18時まで、あと5分。


 僕には気がかりなことがあった。

 |自分に合う《・・・・・》|魔石が《・・・》|見つかっていない《・・・・・・・・》のだ。


 あれからさんざん魔石を試したが、どれもそこそこの能力しか引き出せなかった。

 致命的だったのは、攻撃に使えそうな石がひとつも自分に合わなかったこと。

 その事実が僕の心に暗い影を落としていた。


「大丈夫だよ。イッチに合う石、きっと見つかるよ」


 瀬凪はそう言って励ましてくれたが、なんだか格好悪い気がして何も言えなかった。


 冷静でいようとしたが、胸の鼓動がだんだん激しくなっていく。

 僕は緊張で乾いた喉を|潤《うるお》すため、缶コーヒーを開けて一口飲んだ。


 その時、通話アプリからアリサの声が飛び込んできた。


〈ねえみんな! なんか空がおかしくない?〉


 僕はすぐに上空を見上げた。

 青空の一部が深い紫色に染まり、ブラックホールのように歪んでいく。


 今までとは違う。


 18時。

 村の各所に設置された防災無線用のスピーカーから帰宅を促すメロディが流れ出す。


 上空に魔王城が現れ、無数の魔物が飛び出してくる。

 その中で、ひときわ大きな影が目を引いた。


 巨大な翼に長い尾。

 頭に二本の角を持ち、全身が真っ赤な|鱗《うろこ》で覆われている。

 体長は優に20メートルはあるだろうか。

 空気を切り裂くような鋭い羽ばたきと、古代から蘇ったような禍々しい姿。

 黄金色の瞳が僕たちを見下ろし、口からは溶岩のような熱気が漏れ出している。


 あれは。あの魔物は――


「ド、ドラゴン……!?」


 蝉丸が悲鳴のような声を出す。

 僕は慌ててスマホに向かって言った。


「皆さん、上空に出現したのはドラゴンです! ドラゴンが来ました!!」


〈マジかよ! いきなり出てくる魔物じゃねえだろ!〉


 スマホから乙吉の声が響く。


〈あいつ、ボス|級《クラス》ちゃうか!?〉


 ローリーも声が上ずっている。

 僕はスマホに向かって叫んだ。


「全員、自分の担当エリアを守ってください!」


 言いながら思った。

 守るって、|どうやって《・・・・・》?


 ドラゴンは|空を飛んでいる《・・・・・・・》。

 空を飛ぶ魔物は前にもいたが、そのほとんどが地上付近まで降りてきていた。

 しかし、ドラゴンは違う。

 村の上空を旋回し、力強く羽ばたいてさらに高度を上げていく。

 その口に、みるみる炎が溜まっていく。


「あいつ……火を吐く気だ!」


 蝉丸が展望台前の柵から身を乗り出しながら叫ぶ。


「嘘でしょ……? あんなの吐かれたら村が火の海に……!!」


 瀬凪が上空を見つめながら|呟《つぶや》いた次の瞬間、ドラゴンは火球を吐き出した。