サマータイムモンスターズ
横田 純
034
8月7日:ドラゴン
ドラゴンは山肌の崖の突端に不時着していた。
鱗《うろこ》に覆われた赤い巨体が、半ば横たわるようにして崖にしがみついている。残された片翼だけでは飛び立つことができず、四肢で必死に踏ん張りながら体勢を整えようとしていた。
崖の向こうは急斜面の岩場。登ることも降りることもできない断崖絶壁だ。
崖を背にしたドラゴンは、金色の瞳で僕らを冷たく見据えていた。
ローリーはすでに現場に到着し、両拳を握りしめてドラゴンを睨《にら》みつけていた。
「……最悪や」
重い言葉がローリーの口から漏れる。
崖を背にしたこの地の利によって、ドラゴンは背後を気にせず戦うことができる。逃げ道を絶たれているから|獰猛《どうもう》に抵抗してくるだろう。僕らは正面からドラゴンを打ち崩すしか方法がない。
ドラゴンは苦しそうに身をよじらせながら、ギラギラした目をこちらに向けた。
片翼を失い、全身に傷を負いながらも、まだ戦意は喪失していない。
危険な輝きを瞳に宿して、品定めするように僕らを眺めていた。
「油断せんほうがええ。追い詰められた獣は強いで」
ローリーが慎重に距離を詰める。
足を引きずるように一歩を踏み出し、低い姿勢で地面を蹴る準備を整えている。
こちらの戦力はローリー・瀬凪・蝉丸・僕の4人。村の各所での激戦で、これ以上の増員は見込めない。
翼を失ったとはいえドラゴンは弱くなったわけじゃない。
鋭い爪と牙、そして何より口から吐き出す炎がある。
僕らだけで倒せるのか?
「なんや、まだ自分に合う石見つからんかったの気にしとるんか?」
ローリーが僕の不安を見透かしたように言う。
「シケた顔すんなや。石なんか使えんくても、お前はお前や。指示頼むで、隊長」
その言葉から、僕を信頼してくれているのが伝わってくる。
ローリーは|戎橋《えびすばし》教授から託された|紫黒色《しこくしょく》の石を握りしめ、僕らを守るようにドラゴンの方へ一歩踏み出した。
「あいつに一発ブチこむチャンスくれ。後はワイがなんとかしたる」
僕は頭の中で戦略を練った。まずは距離をとって戦う方がよい。隙を作り出して|懐《ふところ》に飛び込む。それぞれの強みを生かした攻撃パターンを素早く構築し、3人に伝えた。
緊張が場を支配する。
一瞬の静寂の後、ローリーが叫んだ。
「いくで!!」
ローリーが先頭に立って突進する。
地面を蹴った勢いで一気に距離を詰め、ドラゴンの懐に飛び込もうとした。
それを見て、ドラゴンが巨大な尻尾を|横薙《よこな》ぎに振ってきた。砂塵を巻き上げながら、まるで巨大な鞭のように空気を切り裂いていく。
「飛んで!」
僕の叫びがローリーの耳に届く。|咄嗟《とっさ》にローリーは地面を強く蹴り、体を宙に浮かせた。
尻尾の一撃はローリーのすぐ下を通り過ぎていく。ギリギリの回避だった。
ローリーの後ろから蝉丸が前に飛び出す。リュックから取り出したエアガンを両手で構え、狙いを定めた。
"|電撃自動拳銃《ボルト・ガバメント》"!!!
蝉丸の手に握られたエアガンから青白い光が放たれ、電撃を帯びたBB弾がドラゴンに何発もヒットした。以前の手作りスタンガンを大幅に改良し、魔石を組み込むことで絡みやすいコードや大量の機材が不要になり、連射も可能になっている。
パチパチと放電音を立てながら、青白い電流がドラゴンの全身を駆け巡った。
「グッ……ガッ……! グオオオオ……!!」
ドラゴンが身をよじらせる。ぶ厚い鱗に覆われていても電撃は効いているようだ。
動きが鈍ったその|隙《すき》に、瀬凪が風のように素早く右側面から接近する。一瞬で間合いを詰め、ドラゴンの懐を駆け抜けながら逆手に持った果物ナイフを振るった。
"|風と共に去りぬ《かぜさり》"!!!
瀬凪の周りに旋風が巻き起こり、果物ナイフを包み込む。風をまとった刃が瀬凪の動きをも加速させ、目にも止まらぬ速さでドラゴンの胸元を切り裂いた。
「ギアアアアオオオオッ!」
キリキリと鋭い音を立てて赤い鱗が剥《は》がれ落ちていく。
ドラゴンが痛みに|悶《もだ》えながら、大きな体で地面を強く打ちつけた。
「よっしゃあ! 効いとるっ!」
ローリーが勢いづき、再びドラゴンの懐に飛び込もうとする。しかし、ドラゴンの反応は予想以上に素早かった。痛みと怒りに身を震わせながらドラゴンは頭を振り下ろし、ローリーに向かって鋭い牙で噛みついてきた。
「ローリーさん! 退《ひ》いてっ!」
僕の叫びが空気を震わせ、ドラゴンの大きな|顎《あご》がローリーの居た場所に突き刺さった。わずかなタイミングの差で、ローリーは身をひるがえす。しかし、続けて放たれたドラゴンの爪がローリーの右腕をかすめ、鮮やかな赤が滴り始める。
「あっぶなぁ……! ワイのスピードじゃ、まだ懐には入れへんか」
ローリーは右腕を押さえながら後方に跳びさがった。
僕は攻撃と防御のバランスを考えながら、じっくりとドラゴンの動きを観察していた。何度かの応酬を経て、あることに気づく。
ドラゴンが常に保護しようとしている場所があった。首の付け根、胸の中央にある黄金色の鱗だ。先ほどまでは赤い鱗に隠れて見えなかったが、瀬凪の攻撃によって鱗が剥がれてむき出しになった部分。他の部分を攻撃されても反射的に身をよじるだけだったが、その部分に近づくと特に激しく反応する。
「あそこだ……!」
僕はハッとして叫ぶ。
赤い鱗に覆われた体の中で、一か所だけ異なる色が輝いていた。
「みんな! ドラゴンの胸の金色の鱗、あそこが弱点だ!」
頭の中で作戦が素早く組み立てられていく。蝉丸の遠距離からの電撃でドラゴンを足止め、麻痺させて動きを鈍らせる。動きが鈍くなったところで、僕と瀬凪が前に出てドラゴンを|撹乱《かくらん》し、|隙《すき》を作り出す。そうしてなんとかドラゴンの攻撃をかわして、ローリーがとどめを刺す。
"|電撃自動拳銃《ボルト・ガバメント》"!!!
蝉丸が遠距離から電撃弾を撃ち始めたのを合図に、僕は瀬凪と目を合わせて小さく頷いた。息を合わせて左右から接近し、ドラゴンの気を引く。ドラゴンはしつこく襲ってくる僕らに怒りを爆発させ、口の中に赤い炎を溜めていく。これまでの攻撃で消耗しているはずなのに、こんな力をまだ残していたのかと思うほどの大きな火球が形作られていく。
ドラゴンの口から、灼熱の炎が放たれた。
火球は僕めがけて飛んでくる。熱風が顔を打ち、汗が蒸発する音が耳に届く。
――まずい、よけきれない!
「イッチ、あぶない!」
とっさに瀬凪が僕の前に飛び出し、果物ナイフを大きく振りかざす。渦巻く風の刃が炎をかき消した。
「瀬凪、ありが――」
お礼を言おうとした瞬間だった。
火球の炎と煙に紛れるようにして、ドラゴンが一瞬にして距離を詰めてきていた。巨大な体とは思えない俊敏さで、ドラゴンの太い腕が瀬凪めがけて振り下ろされる。
ズガッ!
一瞬の出来事だった。
瀬凪の体は弧を描いて高く舞い上がり、崖の突端より向こう側へと飛んでいく。
全身の力を失ったように、瀬凪が崖の向こうに真っ逆さまに落下していく姿が、まるでスローモーションのように僕の目に焼きついた。
この高さから落ちたら助からない。
「瀬凪ーーーーーーーっ!!!」
僕はもつれる足を無理やり前に出し、崖の端へと駆け出した。
岩肌で左肘を擦りむきながらも、目いっぱい手を伸ばして瀬凪の体を掴もうと必死にもがいた。
伸ばした手が、瀬凪の服の端にかすかに触れた。
しかし、指先はむなしく空を切り、瀬凪の姿はどんどん小さくなっていく。
「あ……! あああああ……!!」
崖の突端から崖下に向かって左手を伸ばしたまま、僕は何かをたぐり寄せるように、左手の指を無意識にわなわなと動かしていた。
力なく伸ばした左腕の肘から|滲《にじ》んだ血が、ぽたりと崖下に落ちていった。