サマータイムモンスターズ
横田 純
025
異聞:ミノタウロス
「ふぅーー……どうやら追ってきてないな」
|乙吉《おときち》は軽トラの荷台から下り、大きく息をついた。
泥だらけになった服を払いながら、ぎこちない笑みを浮かべる。
獅子上の運転する軽トラは村を縦断し、牧場まで戻ってきた。
軽トラを停めてエンジンを切った今も、まだ心臓の鼓動が落ち着かない。
「お前が強引に苗ちゃんを連れ出したのか?」
「いや、ちげーよ!」
乙吉は慌てて両手を振った。
「シュレディンガーのいる小屋の中は日当たり悪いし、クセェだろ? だから外の空気吸わせてやろうって、散歩に誘ったんだよ!」
「勝手に川まで行くんじゃねぇよ。結構遠いだろ」
「ンなことねえよ。すぐじゃねえか」
「毎日チャリで村の中走り回ってるお前と苗ちゃんじゃ体力が全然違うだろ! まさか歩いて行ったのか? こんなに暑いのに振り回しやがって」
「だって、せっかく都会から自然あふれる村に来たってのに、ずっと牛小屋の中にいるこたねぇだろ」
「ふざけんな。先に相談しろ」
「だって……苗ちゃんがすっごくうれしそうな顔してたんだもん!」
乙吉は少し|拗《す》ねたように言い返す。
いろいろ言いたいことはあったはずなのに、「苗がうれしそうな顔をしていた」と聞いて、獅子上もそれ以上何も言えなくなってしまった。
「……まあ、とにかく無事でよかった」
獅子上はため息をつきながら、軽トラの荷台に乗っている苗に視線を移した。
苗は黒猫を抱きしめ、ぽつんと座っている。
「苗、大丈夫か?」
苗は小さく|頷《うなず》いたが、まだ|怯《おび》えたような顔をしていた。
「小屋で休もう」
獅子上がそう言い、牛小屋の中に入る。
いつもの干し草の上に苗が座り、シュレディンガーを抱きしめた。
高校生3人もまわりに座り、しばし無言で休んだ。
「……ワリィ」
乙吉が|俯《うつむ》いて言った。
「さっきはあんなこと言ったけど、俺が勝手に苗ちゃんを連れ出したばっかりに……」
「もういい。お前のせいじゃない」
獅子上はそう言ったが、乙吉は顔を上げなかった。
無事に帰ってきて少し冷静になったからか、自分の軽率な行動が許せないようだった。
獅子上は見かねて、乙吉に語りかける。
「あいつがたまたま川にいただけだ。村をうろついてたんなら、どのみちどこかではち合わせてたかもしれない。あんなデカい魔物相手に、お前一人でよくやったよ」
「そうか……?」
乙吉は相変わらず肩を落としたままだったが、少しだけ声色に元気が戻ってきていた。
「あんなの初めて見たぜ。ミノタウロスだなんて……」
「ああ。かわいくねぇ牛だ」
獅子上は普段牧場で世話をしている牛を思い浮かべて苦笑いした。
「正面からぶつかれば、間違いなく負ける」
|鞘《さや》が冷静に言う。
「でも……なんか方法ねぇのか?」
乙吉が絞り出すようにつぶやく。
「倒す方法だよ。弱点とかあんだろ?」
「それがわかれば苦労しない」
鞘はため息をついた。
不意に、シュレディンガーが小さな声で鳴いた。
ニャォ。
全員の視線がシュレディンガーに集まる。
シュレディンガーは苗の腕の中で姿勢を変え、どこかを見つめている。
何かに反応しているように見えた。
「――なんだ?」
すると、外からガタゴトと物音が聞こえてきた。
「誰かいる?」
鞘が立ち上がり、牛小屋の扉に向かう。
扉を開けると、そこには――
「……ミノタウロスだ」
鞘の声に、全員が凍りついた。
巨大な角を持つ|牛頭《ごず》の魔人が小屋の前に立っていた。
どうやら追跡されていたようだ。
「逃げろ!」
獅子上は叫び、畜産フォークを手に取った。鞘も背から刀を抜く。
「乙吉! 苗を連れて逃げろ!」
「おおっ! 任せろ!」
乙吉は苗を抱き上げ、小屋の裏口へと走った。
苗はシュレディンガーを強く抱きしめている。
ミノタウロスは低く|唸《うな》りながら、獅子上と鞘に向かって歩みを進めてくる。
「デカいな……」
獅子上は畜産フォークを構えながら|呟《つぶや》いた。
剣道の心得があるとはいえ相手は人間ではない。
どこまで通用するのか、まったく見当がつかなかった。
「ここから出るぞ。小屋の中じゃ身動きが取れない」
二人は牛小屋を飛び出し、開けた場所に出る。
彼らの後を追って屋外に出たミノタウロスは、両腕を高く上げて|咆哮《ほうこう》した。
ミノタウロスは牛小屋の周りをぐるりと見回すと、急に走り出した。
乙吉と苗が逃げた方向へ。
「やばい! 追いかけるぞ!」
獅子上と鞘は必死でミノタウロスを追う。しかし、ミノタウロスのほうが速い。
四つん|這《ば》いになって走り出し、牧場の柵を飛び越えて畑の中に消えていく。
その先で、乙吉の悲鳴が聞こえた。
「うわああぁぁぁ!!」
急いで畑を駆け抜けると、そこには乙吉と苗の姿があった。
乙吉は苗を抱きかかえて走っていたが、ミノタウロスに行く手を阻まれ、地面に尻餅をついていた。
「くそっ!」
獅子上は畜産フォークを投げつけた。
だが、ミノタウロスの厚い皮膚に阻まれ、ほとんど効いていない。
「はあああっ!!」
鞘が刀で斬りかかる。
――キンッ!!
硬い金属を斬りつけたような音と手応え。
鞘の振り下ろした刀は見事ミノタウロスの背中をとらえたが、まったく傷はつかなかった。
「ば、馬鹿な……」
ミノタウロスは鞘を|一瞥《いちべつ》しただけで、すぐに乙吉と苗の方に視線を戻した。
鞘の一撃など、気にもとめていないようだった。
「まずい……!!」
獅子上はあたりを見回して何か使えるものを探す。
いつも綺麗に掃除している牧場のまわりには、ゴミひとつ落ちていなかった。
「……鉄パイプでも落っことしておくべきだったぜ」
獅子上は素手のまま、ミノタウロスに向かって走った。
「逃げろ!!」
獅子上の叫びに、乙吉は苗を抱えて必死に走ろうとするが、足がすくんでうまく動かない。
「くそっ、動けッ!」
乙吉は自分の足を何度も叩く。
しかし、足は|痺《しび》れるばかりでまったく動きそうにない。
乙吉は苗を離すまいと強く抱きしめ、ミノタウロスに背を向けた。
ウウウウ……と低い唸り声をあげながら、ミノタウロスはゆっくり近づいてくる。
獅子上が息を切らせ、乙吉と苗の前に立ちふさがった。
「――獅子上!? てめぇ何やってんだ!?」
地面に転がったままの乙吉が、目の前に立つ獅子上の背中を見つめながら言う。
乙吉の声に反応して、苗も乙吉の腕の隙間から獅子上の方を|覗《のぞ》き見る。
獅子上は肩越しにちらりと二人の様子を確認し、へっ、と挑むように笑った。
「……言っただろ。俺は苗とシュレディンガーの面倒を見る。最後までな」
獅子上は二人を守るように両手を大きく開いて、ミノタウロスの進路をふさぐ。
ミノタウロスの血走った眼に獅子上の姿が映る。
どうやら魔物は邪魔者を先に始末することにしたようだ。
「獅子上ーーーーーっ!!!」
「ば、馬鹿野郎ーーーっ!!!」
ミノタウロスがゆっくり腕を振り上げ、鞘と乙吉の叫び声が響き渡る。
獅子上は覚悟を決めて、全身に力を入れた。
その時――
苗の腕から、シュレディンガーが飛び出した。