キマイラ文庫

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サマータイムモンスターズ

横田 純

023

異聞:黒猫の名前

「どうして物置に子どもがいるんだよ!?」


 乙吉は獅子上の耳元に顔を近づけて言った。獅子上は顔をしかめる。


「こっち来い」


 そう言って、獅子上は乙吉を牧場の外まで連れ出した。


「あの子の名前は|苗《なえ》。怪我した猫を連れてうちの牛小屋に逃げ込んでたんだ」


「怪我した猫だと?」


 乙吉は思わず振り返り、小屋の方を見る。

 たしかに獅子上の言う通り、苗のすぐ横には黒猫が丸くなっていた。

 すっぽり毛布に包まれ、腕には包帯が巻かれている。昨日、獅子上が手当てしたものだ。


 鞘が小屋の中に入っていき、苗に近づいて腰を下ろす。


「苗ちゃん、どうしてここに?」


 苗は涙で濡れた目をこすりながら、ぽつりぽつりと話した。


「猫を見に来たら……ドアが閉まっちゃって……真っ暗で、怖くて……」


「……なるほどな」


 鞘は優しく微笑みながら、苗の頭を撫でる。


「びっくりさせてすまない。もう大丈夫だ」


 その様子を見て乙吉も納得したらしい。


「牛小屋に子どもを監禁するクソ野郎かと思ったぜ」


「誰がだ」


 乙吉の肩を思いっきり殴る獅子上。痛そうに肩をさする乙吉。


「お前らも苗に紹介する。猫が驚いちまうから、静かに頼む」


 そう言って、獅子上は牛小屋の中に入る。

 3人の高校生に囲まれて苗は少し緊張したようだったが、それでも獅子上を見て柔らかな表情になる。


「苗、この二人は俺の友達だ」


「|十六夜《いざよい》|鞘《さや》だ。よろしく」


「俺は|九頭竜《くずりゅう》|乙吉《おときち》! よろしくな、苗ちゃん!」


 乙吉の声があまりにも大きかったので、苗はびくっと肩を震わせた。


「静かにしろって言っただろ」


 獅子上が乙吉の頭を小突くと、「わりぃわりぃ」と乙吉は頭を下げた。


「なあ苗ちゃん! この猫、名前はなんていうんだ?」


「なまえ……」


 乙吉に言われて、苗が困った顔をする。


「なまえ、ない……」


「ふふっ、そうか。じゃあ、名前を考えよう」


 まるで妹にでも話しかけるような調子で、鞘は優しく言った。

 乙吉も干し草の上に腰を下ろし、「名前か~」と言いながら首をかしげる。


「そんじゃ、ミケっていうのはどうだ?」


「ミケ? 黒猫だぞ」と獅子上。


「あ、そうか。じゃあクロだな!」


「ありきたりすぎる」


「なんだと!? 獅子上、お前も何か考えろよ!」


「そうだな……黒くて丸いから……『おはぎ』」


「おはぎだとぉ!? てめぇ、なに絶妙にカワイイの出してんだ! いいじゃねえかそれ!!」


 盛り上がる獅子上と乙吉を横目に、鞘は呆れた声を出す。


「まったく、何もわかっちゃいないな」


 鞘は獅子上と乙吉をまっすぐに睨みつけ、


「猫といえば『シュレディンガー』に決まっているだろう」


 と、勝ち誇ったように言った。


「シュレディンガーって……鞘ちゃん、それは猫の名前じゃねえと思うんだが……」


 困りながら返答する乙吉。「じゃあ、他にいい名前あるのか?」と鞘。

 鞘の勢いに押されて、乙吉は腕組みをして「う~ん」と|唸《うな》っている。


 苗は「シュレディンガー……」とつぶやきながら、黒猫をじっと見ていた。

 ややあって、苗は微笑みを浮かべながら、握りしめた両手を小さく上下に揺り動かした。


「えっ? もしかして苗ちゃん、シュレディンガーがいいのか?」


 乙吉が|尋《たず》ねると、苗はわずかに頷いた。


「決まりだな。これからこの子はシュレディンガーだ」


 鞘は満足そうに微笑んだ。


「……シュレディンガー」


 苗は両手で子猫の名前を呼びながら、シュレディンガーを抱きかかえるようにして胸元に寄せた。

 それを見て3人の高校生は思わず笑顔になる。


「かわいいな。苗ちゃんもシュレディンガーも」


 乙吉がそう|呟《つぶや》くと、鞘も頷いた。


「それで、この猫どうするつもりだ?」


 鞘が聞く。


「とりあえず、元気になるまではここで面倒見ようと思ってるが――」と獅子上。


「それなら、苗ちゃんとシュレディンガーに会いに、俺も毎日ここ通っちゃおっかなー!」


 乙吉は楽しげに笑っている。

 4人と1匹で過ごす時間はあっという間に過ぎ、日が傾き始めていた。


「今日はもう遅いから、送っていくか」


「私も行く」


 鞘もそう言って立ち上がる。乙吉も「俺も!」と言って立ち上がろうとしたその時だった。


 苗が抱いていたシュレディンガーが、少し動いて体勢を変えた。

 少女の腕からすり抜けて地面に着地したその瞬間、黒猫の背中に付いた|それ《・・》が見えた。


「あ……」


 鞘が小さく声を上げる。

 シュレディンガーの背中には、小さな翼のようなものが生えていた。


「羽……?」


 乙吉が口をぽかんと開けて言う。

 さらに、シュレディンガーの瞳は片方が青く、もう片方は緑色だった。


 翼を持ったオッドアイの黒猫。高校生たちは思わず顔を見合わせる。

 苗は3人の様子を不思議そうに見つめていた。


「……十六夜、乙吉。話は後だ。苗ちゃんを送るぞ」




 苗を家に送り届けた後、3人はもう一度牛小屋に戻った。

 シュレディンガーは干し草の上で丸くなって寝ていた。


「あれ……羽だよな?」


 乙吉がシュレディンガーの背中を指さし、小声で言う。


「獅子上。お前知ってたのか? シュレディンガーの羽のこと」


 鞘が真剣な顔で問い詰める。


「ああ。昨日気づいた」


「苗ちゃんはなんて言ってるんだ?」


「なにも」


「なにもってことはないだろう。この黒猫……魔物じゃないのか?」


 鞘が静かに言った。


「まさか。そんな……」


 乙吉は笑おうとしたが、笑顔が引きつっていた。


 しんと静まり返った小屋の中、天井からぶら下がった裸電球の光が|隙間風《すきまかぜ》でゆらゆら揺れる。

 沈黙を破るように、鞘が口を開いた。


「……もう一度聞くぞ。この猫どうするつもりだ?」


 鞘は獅子上をまっすぐ|見据《みす》えている。

 言い回しは同じだが、先ほどとは意味が違っているのは獅子上もわかっていた。


 獅子上は、ふぅ、と一息入れてから、迷いのない口調で告げた。


「俺は苗とシュレディンガーの面倒を見る。最後までな」