サマータイムモンスターズ
横田 純
039
余白:喫茶ヤングマンにて
8月8日の昼下がり。
和寿真は村の男衆たちと共に、喫茶『ヤングマン』にいた。
『ヤングマン』の店内は色褪せたブロマイドとポスターで埋め尽くされている。
壁という壁に貼られた昭和アイドルの写真。BGMは全部懐メロ。
喫茶店のマスター・|福住《ふくすみ》ローラの趣味である。
和寿真は店内を見回しながら、複雑な気持ちでいた。
集まったのは20人ほど。ほとんどが60代か70代の男性で、和寿真は最年少だった。
和寿真は祖父から「店を継ぐならお前が自治会の会合に出ろ」と命じられている。
だが、会合ではいつも60代70代の重鎮たちが勝手に騒いで物事を決めてしまう。
32歳で出戻りの和寿真には、ほとんど発言の機会もない。
それでも、この村で生きていくなら地域の一員としての責任がある。
祖父母が長年この村で築いてきた信頼関係を自分が壊すわけにはいかない。
「コーヒーお持ちしました」
アンナが座席にアイスコーヒーを運んでくる。
和寿真の前にグラスを置いた時、アンナは小さく微笑んだ。
その笑顔に、和寿真の緊張が少しほぐれる。
マスターのローラも店にいたが、注文を取って飲み物を作っているのはほとんどアンナだ。
ちなみにローラは60代の女性で、昔はスケバンだったとか。
派手にパーマをかけた紫髪に真っ赤な口紅。なんというか……パンチの効いた見た目をしている。
「えー、ではこれから自治会の会合を行う」
60代半ばの自治会長・|味間《あじま》|甚八《じんぱち》が威勢よく声を上げた。
甚八は昔ツッパリだったらしく、真っ白な髪をオールバックにしている。
ランニングシャツからのぞく太い腕は長年の野良仕事で真っ黒に焼けていた。
「今年の夏祭だが……今年は問題が山積みだ」
甚八が資料を広げながら言う。
「住民の高齢化が進んで神輿の担ぎ手が足りない。まわり見てみろ、全員還暦超えだ。何がヤングマンだって話だよ」
「店の名前にケチつけんじゃないよ!」
甚八の冗談に、マスターのローラがドスの効いた声で割り込んだ。
「あ?」
「お?」
二人がにらみ合い、店内がピリつく。
自治会のメンバーは「また始まった」という顔をしてコーヒーを口に運んでいる。
二人はガンを飛ばしながら接近し、互いの鼻がくっつくほどの距離で口論を始めた。
「前から言おうと思ってたけど、ローラってなんだよ!? テメェ本名『マチ子』だろうがぁ!!」
「|源氏名《げんじな》だよ!!」
「いらねぇだろ! 全員本名知ってんだぞ!? ローラって呼ぶやつ誰もいねぇだろ!!」
「うるせんだよ! やんのかコラ!?」
この二人は昔からずっとこの調子らしい。
ケンカするほど仲がいいと言うが、二人ともこの歳まで独身を貫き通した。
『くっつかなかったパターンの幼なじみ』だそうだ。
「まあまあ、二人とも」
アンナが仲裁に入ると、甚八とローラはぶつくさ文句を言いながら自分の席に戻った。
アンナは村に来て数年だというのに、村の重鎮たちの扱いがうまい。
甚八はコーヒーを一口飲んだ後、何事もなかったかのように話を続けた。
「8月14日の村祭には大勢の観光客が訪れる。一年で最も重要な日だが……」
甚八が手元の資料に視線を落とす。
全員に配られた資料には、見事に問題ばかりが記載されていた。
「最近いろいろあったからな」
甚八の表情が曇る。
「山火事。商店街の一部損壊。田んぼや畑も広範囲にわたって踏み荒らされてる」
村の大人には魔物が見えないので、襲撃は自然災害として認識されていた。
「幸い、山火事の鎮火は早かったから被害は少なかった。村の消防団に感謝だな」
そう言って甚八が全員に拍手を促す。
ぱちぱちと拍手の音が響き渡る中、消防団の面々は困惑していた。
消防団員は、ふだんは別の仕事をしている。
ラーメン屋、金物屋、黒豆専門店、ぼたん鍋屋、米農家。
これが夏摩村の消防団メンバーだ。
消防士は24時間体制で災害対応にあたるが、消防団員は地域住民のボランティア。
夏摩村から最寄りの消防署まではおよそ20kmほど距離があるため、有事の際にいち早く駆けつけ、消火・救助・避難誘導を行うのが消防団の役割なのだが──
「どうした? みんなで消防団を褒めてるのに、あんまりうれしそうじゃねぇな」
すると、消防団の代表を務めるラーメン屋のおじさんが恐る恐る答えた。
「……消火したのは我々ではないんです」
「なにぃ? じゃあ勝手に火が消えたっていうのか?」
「それが……よくわからないんです」
ラーメン屋のおじさんは、ひとつひとつ思い出すように、ゆっくり話を続けた。
「あの日は大学のセンセイから『がけ崩れがあるかもしれない』と室内待機を勧められていましたよね? 我々はがけの専門家じゃありませんし、何かあったらいけないと思って、皆さんにもご連絡して自宅にいてもらったわけですが」
「そうだったな。結局がけ崩れはあったのか?」
「いいえ。どこも崩れていませんでした。その代わり、山火事、田畑の踏み荒らし、商店街での騒音被害などが報告されました」
「ちょっと待て。騒音被害って何だ?」
「そうか、甚八さんは商店街から離れたところにお住まいだからご存知ないですか。実はあの日、商店街では原因不明の異様な音がしていたんです。バゴーンとか、ゴゴゴゴ、というような」
「口で言われてもわからん」
「ですよね……。私は商店街に店を構えていますから、外の様子を見てみたんですが別に何も……ああ、そういえば、牧場の獅子上くんが道の真ん中で叫んでるのが見えましたね」
「あいつか。まあ年頃だからな。ケンカでもしてたんだろ」
「それが、獅子上くんはひとりだったんです」
「ひとり!?」
「はい。ひとりで『クソが!』『ふざけんじゃねぇ!』と言いながら両腕を振り回していました」
「おお……そうか。今年の夏は暑いからな……。あいつ大丈夫なのか……?」
「実はその日、18時を過ぎてから、|商店街だけ《・・・・・》|気温が急激に上がった《・・・・・・・・・・》という話もあります」
「商店街だけ……? 珍しいこともあるもんだな」
「ええ。多くの住民は冷房の効いた室内にいたので気がつかなかったそうですが、商店街に設置していた電気式温度計に記録が残っていました。18時から18時20分までの20分間で、気温が5℃上昇しています」
「5℃!? そんなに上がることあるか!?」
「ありませんよ。だから変なんです」
ここまで立て続けにおかしな報告がされる会も珍しい。
そんな中、ラーメン屋のおじさんは話を続けた。
「ここで火事の話に戻しますが、室内待機をしていた我々は火事に気づくのが若干遅れました。すぐに連絡を取り合って準備をして、大体18時50分ごろには現着したのですが……我々が駆けつけた時にはすでに火は消えていて、現地には放水された跡がありました」
「放水のあとがあったんなら、消防団の誰かがやったんだろ?」
「火災が発生したのは6か所で、消防団員は5人しかいません。みんなで集まってようやく1台のポンプ車を出すんですよ。しかし、我々が見回った6つの現場はすべて水がまかれた後でした。誰かが消火したのは間違いないんですが……やったのは我々じゃないんです」
「それなら近くに住んでるやつだろう。この中に、山火事を自分で消した、という者は?」
誰も手を挙げなかった。
「自治会長。私は消防団に入ってもう40年になります。その私が言いますが、あの時の山火事は自宅のホースやバケツで消火できるようなものではありません。住民の誰かが短時間で消すなんて無理です。なのに、火は消えていた。遠方の消防署から出発した増援の車が到着する前に、全部鎮火していたんです」
「ふむ……不思議なこともあるもんだな」
消防団よりも速く現場に駆けつけ、消火を行ったものがいる。
この違和感を放っておける人物は、ここには存在しなかった。
「この夏は変なことばっかり起きやがる……」
甚八の独り言を皮切りに、自治会員たちはそれぞれ騒がしく話し始めた。
会合とはいうものの、話にまとまりがなく進行もグダグダだ。
これではただの雑談と変わらない。
手持ち無沙汰になって、和寿真も最近のことを思い出してみる。
最初に村の各所が破壊される事件があったのは7月31日。
被害はさほど大きくなく、皆川商店は運よく無傷だったが、隣の店は窓ガラスが割れていた。
みんなは「台風でも来たのか」って言ってたけど、あの日風なんて吹いてたか?
山火事があったのは8月7日。離れた場所が6か所も燃えた。
火元がひとつじゃないのは明らかだが、イタズラで燃やすには大がかりすぎる。
そもそも火が出た原因も不明だそうだ。こんな火事はあり得ない。
その間に田畑が踏み荒らされて、商店街では騒音と急激な気温の上昇?
こんなに不可解な事件が重なるなんて、ちょっと考えられない。
その時、カランコロンカランと音がして店の扉が開いた。