キマイラ文庫

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サマータイムモンスターズ

横田 純

012

練習は裏切らないが闇雲な練習はムダ


 7月20日。


 夏の日差しが照りつける学校の裏庭。

 午前中からの特訓で、僕はもう何度目かわからないほどクワを振り上げていた。


「くっ……」


 ザクッ。


 全力で振り下ろしたクワが、のろのろと楕円形の軌道を描いて地面に突き刺さる。

 思うように腕が動かない。泥で汚れた手のひらは両手とも小刻みに震え、Tシャツは背中までぐっしょり濡れて肌にまとわりついていた。


「はぁ……」


 まだ半日しか経っていないのに、全身が悲鳴を上げている。

 僕は地面にクワを転がしたまま、シャツの袖《そで》で顔の汗を拭《ぬぐ》って木陰に避難した。


 そこでは蝉丸が工具箱を広げて、なにやら作業に没頭していた。ダンボールで作った粗末な作業台の上に、取り外した基板や電子部品が散らばっている。


「蝉丸は何やってるんだ?」


「スタンガンを作ってるんだ」


「スタンガン!?」


 びっくりして、僕は蝉丸を二度見した。


「でも、こんなんじゃダメだ」


 蝉丸は|眉間《みけん》にしわを寄せながら回路図を指さす。


「普通のスタンガンじゃ魔物には効かないだろうから、もっと強い電圧が必要なんだ。そこでこのコンデンサーを使おうと思ったんだけど……」


「コンデンサーって……それ、どうしたんだ?」


「放置されてた|耕運機《こううんき》から取り出してきたんだ。これを直列に繋いで電圧を上げられれば……」


 蝉丸は手元で配線をつなぎ直しながら、何かのメーターを確認する。


「でも、この出力じゃまだ弱いかな」


 ノートには様々な回路図が書き殴られ、その横には×印がたくさんついている。

 生々しい試行錯誤の痕跡。蝉丸の本気さが見て取れた。


「手持ちの部品だと、せいぜい5000ボルトぐらいしか出せないと思う」


 それが多いのか少ないのか、いまいち僕にはわからない。

 蝉丸の言い方からすると、魔物と戦うには心もとない威力なのだろう。

 蝉丸は工具箱の中を|漁《あさ》りながら続ける。


「安全に使えるスイッチもないし……できれば遠隔で操作したいんだけど」


「遠隔?」


「接近戦は危ないでしょ? ちょっと見て。こういうのがあるんだよ」


 蝉丸はスマホを操作して、ネットの記事を見せてきた。


「トルコの企業が、遠距離発射型のスタンガンを開発したって書いてあるだろ。遠距離から電気弾を発射するハンドガン仕様で、最大射程距離は8メートル。電気弾はターゲットの体にくっついて、リモートで電圧を変えることもできる」


「マジかよ。そんなのが作れるのか!?」


「いやぁー……がんばってはいるんだけどねぇ……」


 工具箱の中に転がっているのは、電気工事の余り物ばかりだ。

 満足な材料も時間もない。

 けれど、蝉丸は諦めていないようだった。


「このスタンガン、弾丸はワイヤレスみたいなんだ。絶縁もしっかりしなくちゃいけないし、特殊弾を打ち出すハンドガンも作らないといけない。同じものを作るのは絶対無理だけど、やれるだけやってみるよ」


 蝉丸が黙々と作業を続けていると、ふいに声がした。


「お疲れ様」


 振り返ると、瀬凪が立っていた。

 陸上部の練習を終えたばかりのようで、セミロングの黒髪を後ろで結わえ、練習着姿のままだ。両腕と太ももが大きく露出したスポーツウェアが夏の日差しに照らされて輝いている。思わず目を奪われて、チラチラと瀬凪の方を見てしまう。


(――やばいって。何考えてんだ僕は)


 慌てて視線をそらす。


(これから魔物が襲ってくるのに。バカか!)


 さっきから汗だくだったのに、また変な汗が出てきた。

 僕は不意にわき上がった邪念を振り払おうと、深く息を吸い込んだ。

 その間、瀬凪は裏庭の様子を観察するように、ゆっくりあたりを見回していた。


 穴だらけの地面に転がったクワ。

 肩で息をする僕。工具箱の前で頭を抱える蝉丸。


 瀬凪は少し困ったような顔をして、僕の方を向いて言った。


「うまくいってないみたいだね」


「……ああ」


 斧よりマシとはいえ、クワも軽いわけじゃない。

 それに、このまま闇雲にクワを振り回すだけで勝てるとも思えない。


「私にできることはない?」


「えっ?」


「だって、二人ががんばってるんだもん。私だって――」


「ダメだ」


 僕は即座に首を振る。


「陽菜乃川《ひなのがわ》は戦わなくていい」


「どうして? 武器だって探したのに」


 瀬凪がスポーツウェアを少しめくりあげると、腰に差していた果物ナイフがきらっと光った。

 瀬凪の白いお腹が見えて、動揺した僕は慌ててまた目をそらした。


「そんな小さいナイフで魔物と戦えるわけないだろ。死にたいのかよ」


 そう言い放ってしまってから、すぐに後悔した。

 瀬凪を危険な目に遭《あ》わせたくない――その一心で口走った言葉は、自分でも驚くほど荒々しい語気を帯びていた。

 蝉丸も顔を引きつらせて、僕と瀬凪の顔を交互に見つめている。


 ――なんでこんな言い方。もっと他にあっただろ。


 それ以上何も言えずにいる僕を見て、瀬凪は微笑《ほほえ》みながら言った。



「この中で一番足が速いのは私でしょ?」



 瀬凪が胸に手を当てて、僕の顔を覗《のぞ》き込むように一歩前に踏み出す。


「私は魔物の気を引く。イッチと蝉丸くんを援護する」


「それって|囮《おとり》になるってこと!?」


 蝉丸が思わず声を上げた。

 瀬凪の黒い瞳に、強い意志が宿っていた。


「私だって役に立ちたい。でも、私じゃきっと魔物は倒せないから――攻撃はお願い」



 蝉丸が眼鏡を直しながら考え込むような表情をする。

 きっと、考えていることは僕と一緒だろう。



 ――魔物の気を引く。

 つまり、瀬凪が一番危険な役回りをするってことだ。


 一番死んでほしくない人が、一番危険な役回りを望んでいる。

 役に立ちたい。その一心で。


 そうだった。

 瀬凪は、小さい頃からそういう人だった。



「イッチ、私を信じて」


 その言葉で僕も覚悟を決めた。


「じゃあ、約束しよう」


 僕は真剣な声で言う。


「本当にヤバいと思ったら、絶対に無理しないですぐ逃げるんだ」


「うん。約束する」


 瀬凪の表情が柔らかくなる。


「イッチも約束して。私のことを特別扱いしないって」


「――ああ」



 僕は、ぐっと拳《こぶし》を握りしめた。