サマータイムモンスターズ
横田 純
055
8月24日:Null
8月24日、午後。
僕らは公園に集まり、その時を待っていた。
蝉丸の姿はない。
「……来ぇへんな」
ローリーが公園の入口の方を見ながら呟いた。
「蝉丸、アカンかったか」
僕とアリサが蝉丸を訪ねてから6日が経っていた。
その間、防衛隊の面々で集まって、いろいろな話をした。
次の襲撃のこと、資料館で見つけた本のこと、蝉丸のお父さんのこと。
しかし、蝉丸は一度も姿を見せなかった。
カレンダーの日付は8月24日で終わっている。
つまり――今日が、決戦の日だ。
「みんな、聞いてくれ」
湯水准教授が口を開いた。
「昨夜、蝉丸くんのお父さんの容態について新しい情報が入った」
全員の視線が湯水に集まる。
「意識は戻った。命に別状はないそうだ」
「よかった……!」
瀬凪がほっとした表情を見せる。
しかし、湯水の顔は険しいままだった。
「ただ、深刻な問題がある」
「……問題?」
「下半身が『ない』んだ」
「ないって……切断されたってことですか?」
「違う。|本当にない《・・・・・》んだよ」
言葉の意味がわからなかった。
「出血もない。切断面もない。まるで最初から下半身など存在しなかったかのように、腰から下が『ない』状態だそうだ」
ざわめきが広がった。
「そんな……」
アリサが顔を|青《あお》くする。
「傷がないのに体がなくなるなんて、そんなことありえるの……?」
「医者も首をかしげていた。こんな症例は見たことがないと」
湯水は言った。
「だが、この夏に起きた出来事を思い出してほしい」
湯水はタブレットの画面を全員に見せた。
ニュース記事の写真。世界各地に空いた巨大な穴の映像が並んでいる。
「世界7か所に同時に空いた穴。覚えているな?」
直径50メートル、深さ100メートルを超える巨大な穴。
数千人以上が行方不明。
真上から撮影された穴の底は真っ暗で、地上からは何も見えなかった。
「私はずっとこの穴について調べていた。穴の中には何があったと思う?」
「何があったって……土とか、岩とか、落ちた人とかじゃないの……?」
「いや」
湯水は首を振った。
「|何もなかった《・・・・・・》」
「何も……?」
「穴の底を調査したチームの報告によると、土も、岩も、建物の破片も、何ひとつ見つからなかったそうだ。穴の中は完全な空洞なんだよ。まるで、そこにあったものが|最初から《・・・・》|存在しなかった《・・・・・・・》かのように」
僕は背筋が凍るのを感じた。
「それって……」
湯水は続けた。
「蝉丸くんのお父さんの症状と同じだ」
全員が黙り込んだ。
嫌な予感が確信に変わっていく。
「さらにもうひとつ」
湯水はタブレットをスワイプした。
「カレンダーの日付が消えた現象。あれも同じ原理だと考えている」
「……同じやつの仕業っちゅうことか?」
ローリーが険しい顔で聞いた。
「おそらくな」
湯水はそこで言葉を区切り、全員の顔を見回した。
「日付という|概念を喰った《・・・・・・》んだ」
その言葉を聞いて、僕は資料館で見つけた本の一節を思い出した。
Have you greeted the beast that devours all?
(すべてを食い尽くす魔獣に挨拶は済ませた?)
「すべてを食い尽くす魔獣……」
「気づいたかイッチくん。それだよ」
湯水は立ち上がり、全員を見回した。
「物質だけじゃない。概念や情報、|存在そのものを《・・・・・・・》|喰う《・・》。そういう能力を持った魔物がいる」
「それが、蝉丸のお父さんを襲った……」
「そう考えて間違いないだろう」
湯水は頷いた。
「私は以前、卵から魔物が孵化したと推測した。だが、蝉丸くんのお父さんの症状を聞いて、それは間違いだったと確信した。『魔獣』は最初からこの世界にいたんだ。カレンダーの日付を消し、世界に7つの穴を空け、どこかで様子を|窺《うかが》っていた。この本に書かれた筋書き通りにね」
「つまり……そいつは今も、この村のどこかにいるってことか」
獅子上が低い声で言った。
「ああ」
湯水は厳しい表情で告げた。
「やつの能力は『|Null《ヌル》』──プログラミングやデータベースにおいて何も存在しない状態を示す、ラテン語の『無』に由来する言葉だ。蝉丸くんのお父さんの下半身も、世界に空いた穴も、カレンダーの日付という概念も、すべて『無』にされた」
すべてを食い尽くす魔獣──
名付けて、|Null Eater《ヌル・イーター》。
そう言って、湯水は説明を終えた。
「そんなやつと、どうやって戦えばいいんだよ……」
乙吉は視線を落とした。
乙吉だけではない。
防衛隊の全員が表情を曇らせていた。
逃げ出してしまえたらどんなに楽だろう。
でも、それはできない。
僕は蝉丸と約束した。
仇をとってくる。
「イッチ……私たち、勝てるのかな?」
瀬凪が僕の横に来て、か細い声で言った。
「勝てるよ」
根拠はない。
けど、迷いもなかった。
僕は不安を吹き飛ばすように、みんなに向かって言った。
「どんな魔物にも弱点はありました。弱点さえ見つければ、勝機はあります」
◆ ◆ ◆
17時55分。
僕はランクルの助手席から、空を眺めていた。
湯水の読みでは、今日、魔王城は現れない。
だが、万が一に備えて、僕らは2チームに分かれて襲撃に備えていた。
ランクルの後部座席にはアヅとアリサが乗っている。
もし魔王城が現れた時に、遠距離から迎撃できる2人。
それ以外のメンバーは全員なつまの森公園で待機している。
『魔獣』に少数で挑むのは現実的ではない。
チームを細かく分けずに、集団で戦うのが得策──
僕らが偵察部隊として動き回り、本隊と連携を取り合う作戦だ。
獅子上さんは軽トラを、鞘さんはバイクを用意し、機動力も備えた。
これである程度は対応できるだろう。
「イッチくん、ここでいいか?」
そう言って、湯水准教授は車を停めた。
展望台と商店街の間のあぜ道だ。
「ここなら見通しもいいし、魔王城が現れなかった時すぐに戻れるだろう」
「はい、ありがとうございます」
18時。
防災無線用のスピーカーから帰宅を促すメロディが流れ出す。
いつもなら上空に魔王城が現れ、無数の魔物が飛び出してくる時間。
魔王城は、来ていない。
「18時1分……魔王城、現れません!」
〈ホンマ!? 読み当たったやん!!〉
スマホからローリーの声がする。
「だから言っただろう。今日は来ないと」
湯水は鬱陶しそうに言った。
読みが当たったというのに、ちっともうれしそうではなかった。
「これで証明されたぞ。これから現れる魔物は、魔王城なしで世界を滅ぼせる」
湯水はアクセルを踏み込み、僕らを乗せてなつまの森公園へ急いだ。
◆ ◆ ◆
18時25分。
僕らは公園で待機していたメンバーと合流した。
「おお! 帰ってきたか! おつかれ!」
ローリーが笑顔で声をかけてくれる。
「あたしたちもまだ何もしてないけど……」
アリサが困惑した表情で言う。
「ホントに今日来るのかな?」
「カレンダーが24日で終わってる以上、何か起こるのは間違いないと思う」
ペットボトルの水を飲みながら、アヅが答える。
「それにしても……だいぶ暗くなるのが早くなってきたな。まだ8月なのに」
アヅの言う通りだった。
天気は良かったのに、もう薄暗い。
公園のあちらこちらで、すでに街灯がついているのが見えた。
その時だった。
苗の腕の中で、シュレディンガーが低く|唸《うな》った。
「……シュレディンガー?」
苗が不思議そうに黒猫を見下ろす。
シュレディンガーは全身の毛を逆立て、ある方向を|睨《にら》みつけていた。
「何かいる……!」
獅子上が叫んだ。
全員がその方向を見る。
村の外れ。田んぼと森の境目。
そこに――『何か』がいた。
「なんや、あれ……」
ローリーの声が震えている。
それは、形容しがたい『何か』だった。
黒い霧のような|塊《かたまり》が、田んぼと森の境目に|漂《ただよ》っている。
大きさは、せいぜい人ひとりぶんぐらいだと思った。
次の瞬間、それは広がった。
ザァッという音と共に四方へ滲み出し、空を埋め尽くした。
気づけば、サッカーコート一面をすっぽり覆うほどの大きさになっていた。
「……デカすぎる」
獅子上の汗が首筋をつたって、ぽたりと一滴落ちた。
「君たちには……見えているんだな? 魔獣の姿が」
湯水が心配そうな声で尋ねる。
誰も返事をしなかった。
みんな上空を見つめたまま、言葉を失っていた。
黒い霧の中心に、巨大な裂け目が浮かんでいる。
その奥は、この世界の『外側』につながっているように見えた。
なんだか、大きな口みたいだ──と思った瞬間、全身に寒気が走った。
|口だ《・・》。
世界に空いたあの七つの穴は、この口でできたのだ。
魔獣は吸い込んだ。
土も、岩も、建物も、そこにいた人間も。
黒い霧の塊は形を変えながら、こちらへ向かって飛んでくる。
近づくにつれて輪郭が内側へ収縮し、やがてひとつの形をとった。
それは、巨大な門のように見えた。
縦は10メートル、横はその半分ほどだろうか。
黒い霧を圧縮して固めたような、|歪《いびつ》な塊。
|縁《ふち》はまだ霧のようにぼやけて揺れている。
中心には、ブラックホールのような裂け目が、ぽっかりと口を開けている。
口の縁には無数の目──
大きさも形もばらばらな目が、ギョロギョロと動いてこちらを見ている。
防衛隊メンバーが、一斉に構えた。