サマータイムモンスターズ
横田 純
057
8月24日:消滅
黒い触手が、僕に向かって伸びてくる。
避けろ。動け。
頭ではわかっている。
でも、足が地面に縫いつけられたように動かなかった。
"|百獣の防衛結界《ヴァリアブル・キングダム》"!!!
獅子上さんのバリアが僕の前に張られ、触手を|薙《な》ぎ払った。
触手は一瞬|怯《ひる》んだように引っ込む。
「隊長、しっかりしろ!」
獅子上さんが僕の肩を|掴《つか》んで揺さぶる。
「お前が怯んだら、みんな終わりだ!」
「……っ! はいっ……!!」
僕は歯を食いしばった。
そうだ。僕は隊長だ。
ここで僕が折れたら、みんなが死ぬ。
「同じ場所にいたら危険です! 全員、後退しながら攻撃を続けてください!」
僕は声を張り上げた。
しかし、魔獣は容赦なく迫ってくる。
黒い霧が広がり、逃げ場がどんどん狭くなっていく。
僕らは攻撃を続けていた。
でも、何をやっても効かない。
電撃も、炎も、すべてが黒い霧に飲み込まれて消えていく。
「くそっ……! どうすりゃいいんだ……!」
乙吉が悔しそうに両手を握りしめる。
「俺が|囮《おとり》になる」
獅子上は一歩前に出た。
「全員下がってろ。俺があいつの注意を引く」
「獅子上、無茶だ」
鞘が眉をひそめる。
「触れたら終わりなんだぞ」
「わかってる」
獅子上は振り返らずに言った。
「だが、誰かがやらなきゃ全滅だ」
「獅子上さん……」
僕は声をかけようとした。
しかし、獅子上はすでに走り出していた。
「来い、化け物……!」
獅子上が魔獣の前に立ちはだかる。
黒い触手が伸びてくる。
"|百獣の防衛結界《ヴァリアブル・キングダム》"!!!
獅子上は紙一重でかわし、距離を保ち続ける。
バリアによって防がれた触手はすぐに形を変え、獅子上を狙う。
それでも獅子上は止まらない。
囮として、魔獣の注意を引き続ける。
「今だ! みんな、離れろ!」
獅子上の声に従い、僕らは後退を始めた。
その時だった。
魔獣の体から、複数の触手が同時に伸びた。
「っ……!」
獅子上は一本目をかわした。
二本目も、ギリギリでかわした。
しかし――三本目の触手が、獅子上の左腕をかすめた。
「ぐっ……!」
獅子上が|呻《うめ》く。
左腕の肘から先が、消えていた。
「獅子上っ!」
駆け寄ろうとした鞘を見て、
「来るな!」
獅子上が|怒鳴《どな》る。
「お前らは逃げ――」
そこで、言葉が途切れた。
四本目の触手が獅子上の胴体に絡みついた。
触手は獅子上の体を持ち上げ、魔獣の口へと引きずっていく。
「獅子上さんっ!!」
獅子上さんは最後まで僕らを見つめていた。
その目が、黒い裂け目の奥に消えた。
「獅子上ィィィィーーーーーーッ!!!」
乙吉が絶叫した。
「てめぇ……! てめぇぇぇっ!!!」
乙吉は理性を失ったように、魔獣に突っ込んでいった。
「乙吉、やめろ!」
鞘が追いかける。
「戻れ! 死ぬぞ!」
しかし、乙吉は止まらなかった。
「ふざけんなよぉぉぉっ!!!」
"|九頭竜拳《くずりゅうけん》"!!!
手応えは、なかった。
「あ……れ……?」
乙吉の動きが止まった。
拳から先が――肩まで消えていた。
「乙吉……!」
鞘が乙吉の体を引っ張ろうとする。
「鞘ちゃん……逃げ……」
声が途切れた。
体が引きずり込まれていく。
やがて乙吉は、喰われて消えた。
「ああああああああっ!!」
鞘が悲鳴をあげる。
|水月《すいげつ》|一刀流《いっとうりゅう》――
"|海獄龍《リヴァイアサン》"!!!
刀から解き放たれた水流が、巨大な龍の姿をとった。
巨大ゴーレムをも弱体化させたあの技──
しかし、魔獣には通用しなかった。
「これでも……ダメなのか」
その瞬間、黒い触手が鞘に向かって伸びた。
「鞘さん、危ない!」
瀬凪が叫んだ。
鞘は咄嗟に刀で触手を払おうとした。
しかし、刃が触手に触れた瞬間、刀身が|柄《つか》に向かって消えていった。
「な……っ!」
武器を失った鞘に触手が群がる。
鞘は身をよじってかわそうとした。
数本の触手が空を切る。
しかし、避けきれず、触手が足に絡みついた。
「鞘さん!」
僕は手を伸ばした。
鞘は僕の方を見て、悔しそうに表情を歪ませた。
「……すまない、隊長」
その言葉を最後に、鞘の体が足元から消えていった。
「おい……これは何かの冗談か……?」
フジキューが震えながら呟いた。
「高校生が……全員……」
「逃げよう……!」
フトシが叫んだ。
「もう無理だよ! 勝てっこないよ!」
「逃げてどうするんだよ!?」
次春が怒鳴った。
「逃げたって、あいつは追ってくる! ここで戦わなきゃ――」
次春の言葉が途切れた。
「っ……足が……!」
次春が視線を落とす。
黒い触手が、次春の足元から這い上がってきていた。
気づいた時にはもう遅かった。
「次春!」
僕は弟の名を叫んだ。
「イッちゃん……ごめん……」
次春は僕を見て、泣きそうな顔で笑った。
僕は駆け寄ろうとした。
しかし、間に合わなかった。
次春の体が、足元から消えていった。
「次春……! 次春……!」
「イッチ、しっかりして!」
崩れそうになった僕を、瀬凪が|掴《つか》んだ。
その時、魔獣の輪郭が崩れた。
門の形を保っていた体が、黒い霧となって一気に広がった。
「うわあああっ!」
フジキューとフトシが悲鳴をあげる。
二人の足元にも、霧が|纏《まと》わりついていた。
霧に触れた靴の先から、じわじわと消えていく。
二人だけではない。
「うわああああ! ちくしょう!! 俺かよぉっ!!」
着ぐるみを着たデコイさんが黒い霧に巻かれて消えた。
そして。
「私も……ここまでのようだ」
湯水准教授の|右半身が消えていた《・・・・・・・・・》。
「私には魔獣の姿は見えないが、自分の体が消えているのは視認できる」
湯水准教授は消えかかった腕を持ち上げて、まじまじと眺めた。
「……興味深い現象だが、記録する時間がないな」
残った体を侵食するように。
湯水の体がゆっくりと、宙に溶けるように消えていく。
「力になれなくて、すまない」
湯水准教授のタブレットが、持ち主を失い、地面に落ちた。
次に狙われたのは僕と瀬凪。
霧がこっちに迫ってくる。
「イッチ! 逃げないと──」
必死で走り出したが、間に合わない。
霧が僕に届く。
その直前。
走り込んできたアヅが、僕の体を横から押した。
「アヅ……!!」
押された僕は瀬凪と一緒に地面に倒れた。
アヅは僕をかばったのだ。
「アヅーーーーっ!!!」
僕は叫んだ。
アヅは消えかけた自分の体を|一瞥《いちべつ》して、静かに言った。
「悪い……こんなことしかできなかった」
その言葉を最後に、アヅは消えた。
「アヅ……! みんな……!」
瀬凪が泣き崩れる。
僕は地面に転がったまま、ただ呆然と空を眺めていた。
みんな消えた。
一瞬で。何も残さずに。
残っているのは――
僕と、瀬凪と、アリサと、ホタル。
そして、苗ちゃんとシュレディンガー。
たった5人と1匹。
魔獣は再び門の|形状《フォルム》になり、ゆっくりと僕らに近づいてくる。
無数の目が、次の獲物を見定めている。
「イッチ……」
瀬凪が震える声で僕の名前を呼んだ。
「どうすればいいの……?」
答えは見つからない。
それでも、瀬凪を安心させたかった。
「……落ち着いて」
僕は自分を奮い立たせるように、前を向いて言った。
「まだ終わってない。まだ、方法はあるはずだ」