サマータイムモンスターズ
横田 純
041
余白:自由
8月8日の夜。
昼間の会合で疲れ切っていた和寿真は、皆本商店の奥の座敷で仰向けに寝転がっていた。
天井を見つめながら、今日の出来事を思い返している。
初めて自分の言葉で村の未来を語れた。
それは小さな一歩だったが、和寿真にとっては大きな変化だった。
「和ちゃん、お疲れ様」
祖母が麦茶を持ってきてくれる。
「今日の会合、どうだった?」
「……初めて、ちゃんと話せたよ」
和寿真の答えを聞いて、祖母の表情がぱっと明るくなった。
「あらまあ、そう。よかったじゃない」
孫が自治会に馴染めるかずっと心配していたのだろう。
うれしそうに手を合わせて、そう言った。
その時、店の前から声がした。
「ガジュマさん、いらっしゃいますか?」
アンナの声だった。
和寿真は慌てて起き上がり、玄関に向かった。
「アンナさん! どうしたんですか、こんな時間に」
「喫茶店を閉めたので、お疲れ様でしたってご挨拶に」
アンナは白いワンピースに薄手のカーディガンを羽織っていた。
夜風に髪が揺れて、月明かりに照らされた横顔が美しかった。
「昼間のガジュマさん、かっこよかったです」
アンナの言葉に、和寿真の顔が真っ赤になった。
「そ、そんなことないですよ。緊張しちゃって、変なこと言ったかもしれないし……」
「いえ、とても立派でした。子どもたちのことを一番に考えてるガジュマさんを見て、素敵だなって思いました」
アンナの言葉に、和寿真の心が躍った。
今日の俺ならいけそうな気がする。
「よかったら、お話ししませんか?」
アンナはやさしく微笑んで「ぜひ」と頷いた。
◆ ◆ ◆
二人は皆本商店の軒先のベンチに座った。
夏の夜は虫の声が響いて、遠くの山々が星空に浮かんでいる。
「アンナさん、どれにしますか」
和寿真は店の冷蔵庫から出してきたジュースの缶を見せながら言った。
「でもそれはお店の……」
「いいんです。オゴリです」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
アンナはオレンジジュースを手に取り、すぐに一口飲んだ。
「実は喉乾いてたんです。ありがとうございますっ」
その仕草を見て、和寿真はうれしくなってしまう。
持ってきた飲み物を冷蔵庫に戻し、自分は烏龍茶の缶を持ってベンチに戻った。
「いやあ……こうやって二人でしゃべるのって珍しいですよね」
「ですね。もしかしたら初めてかも」
「ハッキリ言って、僕はアンナさんのことを全然知りません」
「私もガジュマさんのこと、全然知りません。村の皆さんは喫茶店に来た時いろいろお話してくれるんですが、ガジュマさんは喫茶店に来られてもあまりお話してくれないので」
「それは……すいません、駄菓子屋が結構繁盛してまして」
「そうですよねっ。いつも子どもたちと楽しそうに遊んでいて、すごいなって思ってました」
駄菓子屋が忙しいのは嘘ではない。
だが、実を言うと喫茶店でアンナと話すのが恥ずかしかったのだ。
だからいつも、飲み物を飲み終えたらそそくさと帰っていた。
「アンナさんは、3年前に村に来られたんですよね。どうしてこの村に?」
「私は……もともと田舎暮らしに憧れてたんです。それでこの村に」
「えっ!? そこで夏摩村を選ぶなんて……なんか運命的ですね」
まったく意識せず「運命」という言葉を使ってしまった事に気づき、和寿真は顔を赤くする。
それに気づいたアンナは、
「はい。運命だと思います」
そう言って、いたずらっぽく笑った。
3年前の夏、夏摩村の村祭を見に来たアンナは、喫茶店のマスター・ローラと意気投合。
その夏からすぐ住み込みでのアルバイトが決定したらしい。
「ローラさんと意気投合するなんて、タダモノじゃないですよね……」
「どうしてですか? ローラさんいい人ですよ」
「元スケバンって話だし、自治会長の甚八さんとも対等にやり合うじゃないですか」
「私スケバンってよく知らないんですよ。今でいうギャルですか?」
「ああ、いや……ギャルとはちょっと違う気がする。女性版ヤンキーみたいな?」
「ヤンキーもマンガでしか見たことないです」
「そうか……ヤンキーも絶滅したのか……!!」
こんな話をしたかったわけじゃないのだが、話がどんどんそれていく。
でも、それでいい気がした。
大して意味もない話を延々し続けられる関係。
そういうものになりたかったのかもしれない。
気づけば二人は一問一答形式で、お互いに質問をくり返していた。
「アンナさんの好きな花はなんですか?」
「お花ですか……白いバラとか?」
「バラ! ロマンチックですねぇ!」
「ふふっ。次は私の番ですね。ガジュマさんの趣味はなんですか?」
「うわー趣味ですか。趣味っていざ聞かれると答えに困るんですよね。えーと……」
「子どもたちと遊ぶこと、ですか?」
「ああ! そうですね、あれは仕事というより趣味に近いかもしれません」
「素敵です」
「ちなみに、アンナさんの趣味は……?」
「実は私、小説を書くのが好きなんです」
「え! アンナさんの小説!? 読みたいです!!」
「ダメですよー。下手の横好きレベルで見せられるものじゃ……」
「なろうとかカクヨムとかに投稿してないんですか?」
「私アナログ派で。ペンで原稿用紙に書くのが性に合ってるみたいで」
「なるほど! アンナさん、田舎暮らしに向いてますね!」
楽しい。なんて楽しいんだ。
自分だけに話してくれたのだと思うと、和寿真の心は軽やかに舞い上がった。
話をしているうちに、和寿真は自分の深い部分の話をしたくなった。
今日の会合で初めて本音を語れたように、アンナにも本当の自分を見せたかった。
「アンナさん。ちょっとマジメな話になるんですが、聞いてくれますか」
少し空気が変わったのを感じ取り、アンナも姿勢を正して「はい」と頷いた。
「……俺、両親が商社で働いてて、子どもの頃からずっと祖父母に育ててもらったんです」
和寿真は空を見上げながら続けた。
「両親のことは大事に思ってるんですけど、どこか表面的なやりとりしかできなくて。都会で働いてた時も、自分は親と同じ世界で生きられないって思ってました」
アンナは静かに聞いている。
その横顔に、和寿真は安心感を覚えた。
「あの頃は、毎日が上滑りしてるような感じで。会社でも、仲いい同僚の前でも、本当の自分を出せないっていうか……」
和寿真は言葉を選びながら続けた。
「自分の中に足りない部分……余白があって、そのせいで俺はダメな人間って気がするんです」
それを聞いたアンナは、和寿真の方を向いて言った。
「余白があった方がいいじゃないですか」
アンナの言葉に、和寿真は驚いた。
「どうしてですか?」
「だって、余白があったら、そこに何でも入れられます。和寿真さんはその余白に、好きなものを詰め込んでいいんですよ」
「好きなもの……」
「はい。私、思うんです。完成された人なんていない。みんな余白を持っていて、その余白を埋めていくのが人生なんじゃないかって」
アンナは夜空を見上げながら続けた。
「出会った人たち、経験したこと……すべてが少しずつ余白を埋めていく。だから和寿真さんの余白を埋めるのは、この村の子どもたちかもしれないし、まだ出会ってない誰かかもしれません」
月明かりで照らされたアンナの横顔は美しく、和寿真の目に焼きついた。
アンナはにこっと笑って振り返りながら、
「和寿真さんは『自由』ってことです」
衝撃だった。
俺は余白を『欠落』だと思っていた。余白がある方がいいなんて考えもしなかった。
だけど、アンナからそう言われたら、余白がある方が誇らしいような気がしてくる。
「私も両親とは疎遠だったんです。小さい頃に亡くなって……だから、ガジュマさんの気持ち、少しわかります」
アンナはベンチから立ち上がり、和寿真の方を振り返って、
「私たち、似てるかもしれませんね」
似てる? 俺たちが?
考えもしなかったことばかり言われて、うれしいんだか何なんだかわからない。
気づいたら、和寿真もベンチから立ち上がっていた。
「アンナさん、今度デートしませんか」
思い切って和寿真が言うと、アンナは驚いた顔をした。
「私とですか」
「はい」
「うれしいです。でも、お店が……」
アンナは居候させてもらっている手前、店を空けることに抵抗があるようだ。
喫茶『ヤングマン』は村人たちの憩いの場。
かき氷や冷たい飲み物を求めて、連日多くの住民が喫茶店を訪れていた。
「この夏いっぱいは毎日お店を開けようと思ってるんです。そうしたら村の人たちに涼みに来てもらえるので」
「じゃあ、夏が終わったら」
和寿真がそう言うと、アンナはにこっと笑った。
アンナは俺の話を聞いて「似てるかもしれない」と言った。
だとしたら、アンナも俺と同じような空虚な気持ちを抱えていたんだろうか?
俺が彼女の余白を埋められるかはわからない。
だけど、もし彼女にも余白があるのなら、そこを埋めるのは自分であってほしい。
夏の終わりが、新しい始まりになるような予感がしていた。