サマータイムモンスターズ
横田 純
024
異聞:小さなお友達の処遇
8月4日。
|十六夜《いざよい》|鞘《さや》は、商店街の裏路地で獅子上と向かい合っていた。
夏の日差しを避けるように、二人は古い商店の軒先に立っている。
「あの黒猫――シュレディンガーのことだけど」
鞘は腕を組みながら話し始めた。
「あれは明らかに普通じゃない。今のうちに考えておかないと、取り返しのつかないことになるぞ」
「わかってる」
「本当にわかってるのか?」
「ああ」
「覚えてるだろ。7月31日のこと」
鞘の問いに、獅子上は静かに頷いた。
7月31日、獅子上は鞘と一緒に魔物と戦った。
部活を終えて商店街にいた鞘は異変に気づき、すぐさま獅子上に連絡した。牧場で作業をしていた獅子上は鞘と合流し、鞘は家にあった刀で、獅子上は牧場の畜産フォークを|槍《やり》のように駆使して商店街を襲う魔物を|退《しりぞ》けたのだった。
「シュレディンガーは魔物だ。間違いない」
鞘は断言した。
「でも、今のところ悪さはしてないだろう」
獅子上はそう言ったが、鞘は納得しない。
「相手は魔物だぞ。子猫のようでも、いつ凶暴化するかわからない」
「しかし……」
「危害を加えてからじゃ遅いんだぞ」
鞘は厳しい声で言った。
獅子上は複雑な表情を浮かべる。
あの少女――|枕木《まくらぎ》|苗《なえ》がシュレディンガーを本当に大切にしているのは、痛いほどわかっていたからだ。
「苗は本当にあの猫を可愛がってる。いきなり取り上げるのはな……」
「それは……」
鞘も言葉を詰まらせた。苗の境遇は獅子上から聞いて知っている。
家族と共に都会から移り住んできたばかりで、慣れない環境の中で見つけた友達がシュレディンガーなのだ。それを取り上げるのは忍びない。
「様子を見よう。少しでも危険な|兆候《ちょうこう》があったらすぐに対処する」
「それがいいな」
二人が合意したところで、獅子上のスマホが鳴った。
画面には「|九頭竜《くずりゅう》|乙吉《おときち》」と名前が表示されている。
「なんだ、あいつか」
そう言って、獅子上はスマホをツナギのポケットにしまいこんだ。
「出ないのか?」
「どうせ大した用事じゃねえだろ」
「かもな。最近毎日お前のとこの牧場に出入りしてるみたいだし」
「ああ。あいつもシュレディンガーに夢中なんだよ」
乙吉はシュレディンガーに翼があると気づいた時一番ビビっていたが、「こんなにカワイイんだし大丈夫っしょ!」とすぐに切り替えて、連日シュレディンガーのいる小屋を訪れていた。
乙吉は声が大きくて騒がしいせいか、苗はあまり乙吉に|懐《なつ》いている様子ではなかったが、乙吉はまったく意に介さず、「苗ちゃんが喜ぶようにシュレディンガーをキレイにしておかなきゃな!」と、タオルで拭いたり寝床の毛布を洗濯したりと、都会からきた少女のために献身的に尽くしていたのだった。
すると、再び獅子上のスマホが鳴った。
画面に表示された名前は、またも「九頭竜乙吉」。
「クソ、何なんだ」
「出てやれよ」と鞘。
獅子上は渋々スマホの通話ボタンをタップした。
「もしもし」
〈てめぇふざけんな!! なんですぐ出ねぇんだよ!!〉
スピーカーモードにしたスマホから乙吉の叫び声が大音量で響き渡った。
続いて、ハァ、ハァ、と荒い息づかいが聞こえてくる。
「……なんだお前? 走ってるのか?」
〈うるせぇ!! てめぇ今どこにいる!? 早く来てくれ!!〉
「来てくれって……どこに?」
〈やべぇんだ……! 今、俺と苗ちゃん、魔物に襲われてる!!〉
「なっ!?」
獅子上と鞘は顔を見合わせた。
「詳しく言え!」
〈俺……苗ちゃんと一緒に、シュレディンガー連れて川に遊びに来たんだ〉
九頭竜は声を震わせながら続けた。
〈そしたら突然、林の方から変な影が出てきて……最初は人かと思ったんだけど、違うんだ。歩き方がおかしい。それに、人間の二倍ぐらいでかい。頭は牛みたいで、でも体は人間っぽくて――〉
「ミノタウロスか!?」
鞘が声を上げた。
「ギリシャ神話に出てくる、牛の頭を持つ巨人だ」
「お前、なんでそんなの知ってるんだよ」と獅子上。
「村に魔物が出たから調べたんだ。敵のことを何も知らないまま戦うなんて自殺行為だろう。そんなことより乙吉、それでお前は苗を置いて逃げてきたのか?」
〈苗ちゃん置いて逃げるワケねぇだろ! 苗ちゃんとシュレディンガー抱えて逃げ回ってんだよ!!〉
「すぐ行く。場所を詳しく言え!!」
〈川沿い! 橋の近くだ〉
「わかった」
獅子上は急いで牧場に駆け戻り、軽トラに畜産フォークを積み込んだ。
鞘はすでに刀を背中に背負っている。
何かあった時のため、あの日から常に竹刀袋の中に刀を忍ばせていたのだ。
「私も乗せてくれ」
「飛ばすけどいいか?」
「ああ。苗を助けるぞ」
初心者マークをつけた軽トラが、田んぼのあぜ道を駆け抜けていった。
商店街を抜け、川沿いの道に差し掛かると、遠くに橋が見えてきた。
河川敷の向こう――
乙吉と苗の姿があった。
泥だらけになった乙吉は苗を抱きかかえ、肩で息をしている。
苗の腕の中には黒猫のシュレディンガー。
そして、二人に近づいていく巨大な影――
ミノタウロスの姿も見えた。
「あれか……!」
乙吉の倍はありそうな|体躯《たいく》の|牛頭《ごず》の魔人。他に仲間はいないようだ。
「乙吉! 乗れっ!!」
獅子上は乙吉の脇に軽トラを滑り込ませる。
乙吉は苗を抱えたまま器用に荷台に飛び乗った。
「逃げるぞ!」
獅子上はハンドルをぐるぐる回し、軽トラで河川敷をドリフトしながら来た道を引き返した。
「苗ちゃんは? 無事か!?」
助手席の鞘が荷台の方を見ると、リアガラスの向こうで乙吉が親指を立てているのが見えた。
「よかった……」
鞘は一瞬ほっとした顔をしたが、すぐに真剣な表情で言った。
「あんなやつと戦えるか……?」
7月31日に商店街を襲った魔物たちのどれよりも大きく、|禍々《まがまが》しかった。
誰かが倒さない限り、ミノタウロスは村に居続けるだろう。
もし、あいつが村を襲ったら。考えたくもない。
しかも、獅子上たちは顔を見られてしまった。
逃げた獲物として目をつけられたら?
今度は戦わなきゃならないのか?
全速力で走る軽トラの中。
遠くで聞こえる|蝉時雨《せみしぐれ》と、砂利道を噛むタイヤの音が響いていた。