キマイラ文庫

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サマータイムモンスターズ

横田 純

037

夜凪

 次の襲撃は8月14日――

 作戦は『秒殺』に決まった。


「みんな、ドラゴンとの激戦で疲れているだろう。今夜はこれでお開きにしよう」


 湯水准教授のランクルにローリーとデコイが乗り込み、健康ランドへ帰っていく。

 獅子上は苗ちゃんを送ると言い、鞘と乙吉も一緒についていった。


 ややあって、黒塗りのアルファードがアヅマートの横につけられた。

 ホタルを迎えに来たナワシロの車だ。


「あれ? いつもの車じゃないね」


 アリサが車を見て首をかしげると、ホタルが微笑みながら答える。


「もう暗いですし、皆さんをお|家《うち》までお送りするために大きな車で来ていただきました」


 運転手が会釈する。

 黒いスーツに身を包んだ初老の男性で、いかにも会社の専属運転手という雰囲気だった。


「皆さん、どうぞ乗ってください」


 ホタルの誘いに、アリサと瀬凪が車に同乗する。


「お言葉に甘えて」


 蝉丸も遠慮がちに車に乗り込んだ。


「小学生の皆さんもどうぞ」


 ホタルが声をかけると、フトシとフジキューが目を輝かせた。


「やったー!」


「すげー! かっこいい車!」


 ハイテンションで車に乗り込む二人を見て、みんなが笑った。


 僕は車に乗ろうとしなかった。

 後部座席に乗り込もうとした次春が、ふと僕の方を振り返って言った。


「イッちゃん、帰らないの?」


「もう少しゆっくりしていく」


「そっか。じゃあ先に帰ってるね」


 黒いアルファードが夜の闇に消えていく。

 静まり返ったアヅマートの前に、僕とアヅの二人だけが残った。


「今まで力になれなくて悪かった」


 アヅが頭を下げる。

 僕は慌てて首を振った。


 アヅがいなかったらドラゴンを地上に落とせなかった。

 きっと今頃、村は火の海だったろう。


「大会……出たかったよな?」


 僕がそう聞くと、アヅは少し考えてから答えた。


「そりゃあな。そのためにやってきたんだし」


 チームのがんばりで得た決勝戦の切符と、今まで過ごした地元の村。

 天秤にかけられるものじゃない。

 きっとアヅも、最後まで迷ったに違いない。


「悪いけど、俺もう戻るわ。父さんと母さんに謝らないと」


「謝るって?」


「決勝戦、俺のワガママですっぽかしてきちゃったから」


 アヅによると、決勝戦は動画配信サイトや衛星放送で生中継されていたらしい。

 アヅの両親はもちろん、野球好きの住民も、地元が誇る若きアスリートの雄姿を楽しみにしていた。この日のために配信サイトの有料会員になったり、自宅のテレビにアンテナを取り付けたりしていたのだ。

 アヅはそこに責任を感じている。


 アヅが謝ることなんてない。

 そう言おうとしたけど、僕は言葉を飲み込んだ。


 ――魔物が襲ってくるから試合に出ずに帰りました、なんて言えるか?


 ふざけてると思われるに決まってる。

 だからアヅは事実を伏せて、ただ謝るつもりらしかった。

 期待してくれていたのに、申し訳なかったと。


「だけど、俺の野球はこれで終わりじゃない。今回は残念な思いをさせちゃったけど、この先も続けるつもりだから、応援よろしくお願いしますって言ってくる」


 アヅは大人だ、と思った。

 それと同時に、僕らはどうしようもなく子どもだとも思った。


「またな」


 アヅは軽く手を上げて、店の中に戻っていった。

 その背中を見送りながら、僕は一人で夜道を歩き始めた。



 ◆ ◆ ◆


 蝉の声が闇の中に響いている。

 街灯の少ない田舎道は暗く、足元がおぼつかない。


 大人は僕らが戦っていることを知らない。

 何度村を救っても僕らは子どもとして扱われる。

 それが少し|歯痒《はがゆ》かった。


 歩きながら今日のことを振り返っていると、前方に人影が見えた。


「瀬凪……?」


 みんなと一緒に車に乗っていったはずの瀬凪が、そこに立っていた。


「途中で降ろしてもらっちゃった」


 瀬凪は少し照れくさそうに笑って言った。


「今日はありがとう」


「何が?」


「勝てたのはイッチのおかげだよ」


 僕だけじゃない。みんなでがんばったから勝てたんだ――

 そう言おうとしたが、瀬凪が続けた。


「それと……もうひとつ」


 瀬凪は少し|俯《うつむ》いて、でも微笑みながら言った。


「あの時、『瀬凪』って呼んでくれたよね」


 ――あの時。


 ドラゴンから攻撃を受けて、瀬凪が崖から落ちていった。あの瞬間のことだ。

 僕は必死で「瀬凪」と叫んだ。


「うれしかった。昔に戻ったみたいで」


 瀬凪はやさしく続けた。


「あの時は、ああ、私死んじゃうんだと思ったから……最後に名前呼んでもらえてよかったなって」


 瀬凪の言葉に、僕の胸が締めつけられる。


「だから、ありがとう」



 僕は中学に上がってから、瀬凪を「|陽菜乃川《ひなのがわ》」と呼んでいた。


 足が速くて、かわいくて、男子から人気があって。

 いつもすぐ隣にいたのに、どんどん手が届かない存在になっていくような気がして。

 そんな瀬凪に気後れして苗字で呼び始めたんだと自分では思っていた。


 でも違う。

 もっと単純な話だ。


 小学校の時はちゃんとわかっていなかったけど、中学に上がる頃に気づいた。

 瀬凪を好きになったから、名前を呼ぶのが恥ずかしくなっただけだ。


 これは僕の勝手な心境の変化で、瀬凪には関係ないことだと思っていた。

 だけど、今思えばそんなわけない。

 今まで名前で呼んでくれていた人が、いきなり苗字で呼ぶようになったら――


「本当はね、ちょっとさみしかったんだ。昔は名前で呼んでくれてたのに……私、何かしちゃったかなって、ずっと考えてた」


 頭の中で考えていたことと瀬凪の発言がリンクして、僕ははっとして瀬凪の顔を見た。

 瀬凪は今までと同じように、やさしく笑いかけてくれていた。


「……瀬凪は何もしてないよ。全部僕のせいなんだ」


「イッチのせい?」


「なんていうか……中学に上がって、かっこつけたかったのかも」


「苗字で呼ぶのがかっこいいの?」


「……かっこよくない、よな」


「うん。全然かっこよくないよ」


 そう言って、瀬凪は笑った。


 僕はいつも、自分が相手からどう思われるかばかりを気にしていた。

 相手を思っているつもりで、本当は相手のことを考えられていなかったのかもしれない。



「イッチ。ひとつだけ……お願いしてもいいかな」


 瀬凪が不意に、まっすぐ僕の方に向き直った。

 僕らはあぜ道の真ん中で、互いに顔を見合わせて立ち止まった。


「前に約束してくれたよね。私のことを特別扱いしないって」


「……ああ」


「アリサはアリサ、ホタルはホタルなのに……私だけ『陽菜乃川』なのは、特別扱いだよね?」


 その瞬間、風の音も虫の声も聞こえなくなった。 


「私のことも、名前で呼んで」


 瀬凪の声は小さかったが、澄み切った旋律のように僕の耳に届いた。


「……わかった」


 僕の答えを聞いて、瀬凪は、泣きそうな顔で笑った。




 二人で歩く夜道は穏やかで、あっという間に家の近くに着いた。

 横を歩く瀬凪が僕の顔を覗き込み、小さく手を振る。


「それじゃ、また明日」


「また明日」


 瀬凪は手を振りながら、横道に入っていった。



 今日はいろんなことがあった――

 心地よい余韻の中、僕は無意識に、さっきまでの瀬凪との会話を思い返していた。


 なにか変なことを言っていなかったか。

 もっとこんな言い方をした方がよかったんじゃないのか。

 ひとりで反省会をする癖がついてしまっていた。


 その時、僕は気づいた。



 ――あの時、『瀬凪』って呼んでくれたよね。



 ドラゴンとの戦闘中。

 崖の下に落下した瀬凪を、僕は『|神の軌道修正《コントロール・ゼット》』で元に戻した。



 ――ああ、私死んじゃうんだと思ったから……最後に名前呼んでもらえてよかったなって。



 瀬凪には、|元に戻す前の記憶が《・・・・・・・・・》|残っている《・・・・・》。



 ぞくりと背すじが冷えるのを感じた。

 よく考えたら、僕はまだこの能力のことを何も知らない。


 瀬凪に記憶が残っていることが問題なのではない。

 能力を使ったら|具体的に《・・・・》|何が起こるのか《・・・・・・・》、僕自身が把握しきれていないのが問題なのだ。



 |神の軌道修正《コントロール・ゼット》――

 最新の現象をなかったことにして、ひとつ前に戻す。

 ひとつ前とは、|何秒前《・・・》だ?


 すでに死んでいる人に|神の軌道修正《コントロール・ゼット》を発動したら、その人は生き返るのか?

 今、目の前で死んだばかりなら、元に戻せるかもしれない。

 じゃあ、死後1時間経過していたら?

 元に戻せなくなるデッドラインはあるのか?


 次に魔物が攻めてくるまで、あと一週間。

 残された時間で、この能力を深く知る必要がある。


 そんなことを考えていたら、あっという間に家に着いた。

 中に入ろうとして、ふと気づく。


 玄関先に茶封筒が落ちている。


「なんだ? これ……」


 『シンメイイチロウ様』と手書きで宛名が書かれているが、差出人の名前はなかった。

 よく見ると切手も消印もない。

 ということは、この手紙は誰かが直接僕の家に置いていったものだ。


 開けてみると、中には三つ折りにされた便箋が一枚入っていた。


 ゆっくり便箋を開いてみる。

 でかでかと書かれた赤い文字が目に入った。



 |その力に頼るな《・・・・・・》


 |このままでは死ぬ《・・・・・・・》



 乾きかけの極太マジックでなぐり書きされたように、文字は不気味にかすれている。

 汗が伝う火照った体が、急速に冷えていくのを感じた。


 内容からして、魔石の能力のことを言っているのは間違いない。


 誰だ?

 なぜ力のことを知っている?

 このままでは死ぬって、どういうことだ──?


 僕は震える手で便箋を封筒に戻し、急いで家の中に入った。

 玄関の鍵を二重にかけて、次春の「イッちゃんおかえり」の声も無視して自分の部屋に戻った。



 夜の暗闇と静けさが村を包みこんでいく。

 その中に、得体のしれない何かが潜んでいるような気がして、僕は眠れなかった。