サマータイムモンスターズ
横田 純
058
8月24日:そして誰も
魔獣は、ゆっくりと僕らに近づいてくる。
急いでいない。
僕らが逃げられないとわかっているからだ。
「イッチ……」
瀬凪が僕の腕を|掴《つか》んだ。
その手は、震えていた。
アリサも泣きそうな顔で僕を見ている。
いつもの元気はどこにもなかった。
「イッチさん……」
ホタルは青ざめた顔で、それでも|凛《りん》とした声で言った。
「私、みなさんが逃げる時間を稼ぎます」
「ホタル、何言ってるの!」
アリサが叫んだ。
「あんたまで消えたら……!」
「でも、誰かが|囮《おとり》にならないと──」
「そう言って獅子上さんもやられちゃったじゃん! 鞘さんだって、乙吉さんだって……あんな強い人たちでもどうにもならなかったんだよ!?」
「だとしても、それは私がやらなくてもいい理由にはなりません」
「ホタル……!!」
「みんな、なんとかしようとしてたんです。誰も死なせたくなくて、後に残る人を信じて、自分を犠牲にした。どのみち、私たちが負けたら全部おしまいなんです」
ホタルは静かに、しかしはっきりと言った。
「私に戦う能力はありません。それなら私が囮になるのが一番でしょう?」
そう言って、ホタルは僕らの前に歩み出た。
みんな知っていたことだ。
ホタルは魔石を|ひとつも《・・・・》|装備していない《・・・・・・・》。
攻撃に使える魔石が何も適合しなかったのだ。
攻撃の魔石が使えないのは「戦う才能がない」と言われたのと等しい。
この気持ちは僕にもわかる。
|神の軌道修正《コントロール・ゼット》の存在に気づく前、悔しさと焦りで、どうにかなりそうだった。
使えるのは、基礎体力を上げる魔石だけ。
たくさん持てば足も速くなるし、少しくらい攻撃されても大丈夫なはずだ。
しかし、ホタルはそれを断った。
「そんなに石を持ち歩いてたら、私は動けないから」
「それなら救急箱とか、簡単な食事とか、みんなのためになるものを持ちたい」
そう言って、ホタルは笑っていた。
ドラゴンとの戦いでは商店街で、戦況を動画に撮って共有した。
ゴーレムとの戦いでは秒殺部隊のすぐ後ろで、救急箱を持って待機した。
ホタルはいつも支援部隊として、危険な戦場に立っていた。
「私も、みんなと一緒に戦いたいから」
今までずっとそうだった。
ホタルは、ひとつも言い訳をしなかった。
「ニャアオ……」
その時、苗の腕の中でシュレディンガーが鳴いた。
シュレディンガーは苗の腕から飛び降り、魔獣の前に立ちはだかった。
全身の毛を逆立て、翼を広げて|威嚇《いかく》する。
僕らを守ろうとしてくれているようだった。
「シュレディンガー……!」
苗が悲痛な声をあげる。
シュレディンガーの体が光を帯び、巨大な虎のような姿に変身した。
「シュレディンガー……! だめ……!」
苗が駆け寄ろうとした。
「苗ちゃん、待って!」
瀬凪が苗を|抱《かか》えて止める。
シュレディンガーは振り返り、苗を見つめた。
その目は、まるで「大丈夫」と言っているようだった。
そしてシュレディンガーは、魔獣に向かって突進した。
漆黒の虎が牙を剥き、爪を立てて魔獣の体を引き裂く。
しかし、引き裂いた端から元に戻る。
シュレディンガーは何度も攻撃を繰り返した。
しかし、効いていない。
そして――
黒い触手が、シュレディンガーの足に絡みついた。
「シュレディンガー!」
苗が悲鳴をあげる。
シュレディンガーは触手を振り払おうと暴れた。
しかし、触手は次々と|這《は》い上がり、シュレディンガーの体を|覆《おお》っていく。
「いやぁぁぁっ! シュレディンガー!」
苗が瀬凪の腕を振りほどいて駆け出した。
「苗ちゃん、だめ!」
瀬凪が追いかける。
触手に覆われたシュレディンガーの体が、光を失いながら消えていく。
苗がシュレディンガーに駆け寄った瞬間、黒い触手が苗に向かって伸びた。
「苗ちゃん!」
瀬凪が走った。
苗より先に触手の前に飛び出し、その体で苗を押しのけた。
触手が、瀬凪の背中に触れた。
「……っ!」
瀬凪の動きが止まった。
「瀬凪ーーーーーーーっ!!!」
僕は絶叫した。
触手が触れた背中から、瀬凪の体が消えていく。
肩が。腕が。髪が。
少しずつ、少しずつ、背中の中心から広がるように消えていく。
「イッチ……」
瀬凪は振り返って、僕を見た。
その目には、涙が浮かんでいた。
僕は駆け寄ろうとした。
しかし、瀬凪は首を振った。
「来ちゃだめ……」
瀬凪の声が、|掠《かす》れていく。
「イッチ……生きて……」
その言葉を最後に、瀬凪の体が完全に消えた。
僕は|膝《ひざ》から崩れ落ちた。
「イッチ、しっかりして!」
アリサの声が聞こえた。
顔を上げると、アリサが魔獣の前に立ちはだかっていた。
その後ろには、苗を|庇《かば》うホタルがいる。
「あたしが時間稼ぐから……! イッチ、苗ちゃんを連れて逃げて……!」
「アリサ、だめだ!」
「いいから! あんたは隊長でしょ!? 最後まで生き残んなきゃ!!」
アリサはコントローラを構えた。
「ガーディアンがなくても……! あたしにはこれがある……!」
"|STGの星《シューティング・スター》"!!!
アリサの操作する戦闘機が空へ舞い上がった。
しかし、魔獣は容赦なく触手を伸ばした。
一瞬にして戦闘機が消され、次にアリサが狙われた。
「アリサちゃんっ!」
ホタルがアリサの前に飛び出した。
両手を広げて、盾になろうとする。
「ホタル、あんたは下がって!」
「いいえ! 私も一緒に戦います!」
二人の少女が黒い霧の前に立つ。
触手が二人に向かって伸びる。
「アリサ! ホタル!」
僕は叫びながら走り出した。
二人の間に割り込もうとした時、黒い触手が、僕の行く手を|遮《さえぎ》った。
|咄嗟《とっさ》に身をかわす。
右へ。もう一本。左へ。
触手の隙間を縫うように走る。
あと少し。あと数歩で手が届く。
しかし、三本目の触手が僕の足元の地面を|抉《えぐ》った。
足場が消え、僕はバランスを崩して倒れ込んだ。
「イッチ、来ちゃダメ!」
アリサが振り返って叫んだ。
「あんたまで消えたら誰が苗ちゃんを守るの!?」
その声が、僕の足を|縫《ぬ》いとめた。
触手がアリサとホタルに触れた。
二人の体が、同時に消えていく。
「イッチ……」
アリサが最後に僕を見た。
「蝉丸に……ごめんって……伝えて……」
その言葉を最後に、アリサの体が消えた。
「イッチさん……どうか……ご無事で……」
ホタルも、静かに消えていった。
残ったのは、僕と苗ちゃんだけだった。
「シュレディンガー……みんな……」
苗の目から、涙が|溢《あふ》れ出す。
「いやだ……いやだよぉ……」
苗が泣き崩れた。
みんな消えた。
魔獣は、ゆっくりと僕らに近づいてくる。
無数の目が、最後の獲物を|見据《みす》えている。
僕は、泣いている苗ちゃんを背中に|庇《かば》いながら、魔獣と向き合った。
もう打つ手がない。
でも、僕は最後まで立っていなければならない。
みんなを守れなかった、情けない隊長として。
せめて最後は、逃げずに立っていよう。
瞬間──
ふと、蝉丸の姿が頭をよぎった。
自分の部屋で。学校の裏庭で。公園のあずま屋で。
部品を並べて頭を抱えて、いつも何かを作っていた。
離れてみてわかる。
蝉丸が僕にどれだけ影響を与えてくれていたか。
あいつがここにいないことが、僕の力をどれだけ削いでいるか。
いつだって、逆境を打開する|発想《アイデア》を出してくれた。
ひとりじゃ何もできないなんて、そんなことないだろ?
お前がいたから何とかなったことが、たくさんあったんだ。
ああ。
僕の走馬灯は蝉丸か。
僕は少し、笑った。
「──お前がいたら勝てたかもな」
魔獣の触手が、僕に向かって伸びてくる。
これで、終わりだ。