アオハルクエスト

ヤマモト ユウスケ

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アオハルクエスト

ヤマモト ユウスケ

一章

転移する学園(1)


 始まりは、一学期の最終日。

 黒揚羽聖十郎は、大講堂で演説を打っていた。


『――諸君! いいかね、諸君!』


 身長一七〇センチ。ポマードできっちり固めた七三分けの毛髪と、歯並びのいい白い歯が、照明に照らされてきらりと光る。

 聖十郎の背後にある大きなスクリーンには『晴天学園一学期末生徒総会』の文字が投影されていて、つまり、夏休み前最後の演説であった。

 マイクを通して、スピーカーから声がハウリングして響き渡る。


『明日から待ちに待った夏休みが始まる! しかし、危険な行為や不純な異性交遊は避け、晴天学園の生徒として清く正しく規範に則った振る舞いを――』


 晴天学園の生徒総会は、文字通り規模が違う。

 大講堂は最大で一万二千人収容可能な超大型の公会堂だ。現在、席の九割が埋まっている。全校生徒が一堂に会しただけで、さながらアイドルのライブのごとく……である。

 聖十郎は自分がナルシストであると自覚しているが、それでも、この場に少しも緊張しないと言えば嘘になる。

 生徒会長の演説とは、その一万人の前にたった一人で立ち、言葉を届ける行為に他ならない。乾いた空気に喉は干上がり、明るすぎる照明が視界を焼く――。

 その時、広大な講堂の端の方から「うるせえ暴君! だったらお前も如月院さんとイチャつくんじゃねえぞ!」と野次が飛んできた。


(こうでなくてはな……!)


 聖十郎は唇の端を吊り上げて、笑った。

 頭のてっぺんからつま先までを支配する緊張と、まったく台本にない想定外の事態を楽しんでこそ、だ。すぐさまマイクを握り直して、野次が飛んできた方向を指さす。


『おっと、いま野次を飛ばしたのは誰だ!? 何部所属だ!? 黒揚羽聖十郎が私的な怨恨で権力を振るう暴君だと知っての野次かね!? 部費を減らしてやるから、挙手して学年と名前を述べてから意見したまえ……!』


 大講堂にブーイングが飛び交う。やれ「暴君」だとか「ナルシスト」だとか「失言野郎」だとか。

 壇上、聖十郎の斜め後ろから、すっとまっすぐ手が上がった。しん、と大講堂が静まり返る。


『……おや、意見かね、如月院副会長』


 振り返ると、艶やかな長髪を持つ美しい女子生徒が挙手していた。彼女はマイクを手に取って、『三年A組、如月院・F・真理愛です』と自己紹介した。


『不純異性交遊は駄目という話ですが、どこまでが清くて、どこからが不純なのでしょうか。例えば、男女二人きり、プライベートビーチで海水浴なんていうのは? もし不純だとすれば、私と聖十郎君は毎年違反していることになりますが』

『はっはっは、黒揚羽会長と呼んでくれたまえ、如月院副会長。君のファンからガチの殺意が飛んでくるのでな。そして海水浴の話は出来れば伏せておいてほしかったのだが』

『わかりました。では、名前で呼ぶのは二人きりの時だけにしますね』

『おっと、殺意が倍になったぞ。……いま「夜道に気を付けろ」と叫んだ生徒は誰かね!? 普通に怖いぞ!』


 講堂に笑いが沸く。聖十郎も笑った。


『ともあれ、ともあれだ、諸君。楽しい青春に満ちた夏休みを、無事に終えてくれたまえ。トラブルは避けて、無事に新学期を迎えようではないか。なんせ、夏休みが終わって、秋になれば……生徒会選挙があるからな』


 再び、大講堂が少し静かになる。


『ご存知の通り、我が校のモットーは学生自治。生徒会には莫大な権力が与えられ、同時に諸君らの学生生活を潤滑にする義務を背負う。では、権力とは何か? わかりやすく、簡単に言い直そう――権力とは、執行部が持つ予算決定権だ』


 聖十郎は、じっくりと大講堂を眺めた。一万人の両目が、聖十郎を貫いている。


『百を超える部活、サークル、同好会に分配する部活動費。文化祭や体育祭に関わる行事費。その他、生徒会執行部や監査部、代表委員会の活動費、維持費、印刷費……この晴天学園では、生徒一人につき年間十万円の予算が与えられている』


 単純な掛け算をしよう。


『生徒総数一万人に、一人当たりの十万円を掛けてみれば、我々生徒会が扱える予算の総額は、すぐに算出できる。――そう、十億円であると』


 一呼吸置いて、言葉を続ける。


『ケタにして十桁、1がひとつとゼロが九つ。本邦の平均生涯賃金四回分の莫大な日本円。それを振り回す力……諸君はどうかね? 権力が欲しいと考えるか? 恐ろしいと感じるか? 自分には関係ないと思うか? そのどれもが、正しい』


 聖十郎は右手で背後を示した。壇上に居並ぶ、生徒会執行部、監査委員会、代表委員会……学生自治に関わる精鋭たちが、ずらりと並んでいる。


『だから、我々のような|学園政治家《・・・・・》が発生する。権力が欲しいと考え、恐ろしいと感じる者達の代行となり、関係ないと思う者達から票を得ようと画策する、しょうもない連中だ』


 そう、我々はしょうもないのだ――と、聖十郎は自嘲した。


『汗水たらして演説し、根回しのために学園中を駆けまわり、青春を政争に捧げ、信を得たと思ったら翌週に失脚するような愚かな連中だ。ご存じの通り、私も失言で三回失脚している』


 また、少し大講堂が沸く。自虐ネタはウケるが、多用は厳禁だな、と気を引き締める。


『初等部一年生から足掛け十二年目。初等部三年生で初当選し、生徒会書記として経験を積んだ。五年生次には歴代最年少で生徒会長となったが、半年で失脚。以降、生徒会長職に立候補し続け……これが四度目。最後の生徒会長職となる』


 少し、しみじみとしてしまう。


『現行の生徒会執行部には、生徒会長たるこの私、黒揚羽聖十郎と、如月院副会長の、ふたりの三年生がいる。つまり、夏休み明けには、二人の有力な学園政治家が引退することになるわけだ』


 一万人を見渡して、聖十郎は言う。


『退任演説にはまだ早いが、しかし、わかっているだろう? なあ、諸君。瞳を自尊心でぎらつかせ、腹の底で野心の炎を燃やす諸君……! 根回し策謀陰謀談合、その他諸々のあらゆる手段をもって、この椅子を狙うがいい!』


 ぐっと、拳を握って振り上げ、叫ぶ。

 マイクがハウリングし、スピーカーが揺れる。


『二学期には、元気な姿で政争に明け暮れる諸君らの姿が見られることを、真に願って……一学期末生徒総会の挨拶とさせていただく! 以上、解散! 夏休みだ、野郎ども!』


 聖十郎の演説に応えて、一万人の生徒たちが拳を振り上げた。

 怒号にも似た声援が飛び交い、足踏みで大講堂が揺れる――。


(――む?)


 聖十郎は眉をひそめた。轟音を立てて、床が揺れている。


『待て、本当に地面が揺れてないか? というか、デカくないか!?』


 地震だ、と直感する。それも、相当に大きな。きゃあ、と女子生徒の悲鳴が聞こえる。聖十郎はマイクを掴みなおした。


『諸君、身をかがめて椅子に掴まりたまえ!』


 叫んだ直後、大きな縦揺れが連続して、足が床から浮く。立っていられないほどの大地震。聖十郎は足をもつれさせながら、背後を振り返って跳んだ。


「――真理愛!」


 目を白黒させていた副会長に覆いかぶさり、抱きしめる。

 そして、最後にひときわ大きな縦揺れが来て――天地がひっくり返るような衝撃と共に、聖十郎は意識を失った。