アオハルクエスト
ヤマモト ユウスケ
一章
ギルド委員会(5)
バスケ部の高橋は、新品のボールを両手で弄びつつ、階段に座って、広場を見ていた。
巨大な晴天学園敷地内には、校舎間の街路や小施設の狭間に、大小いくつもの広場が存在している。それらは憩いの場であり、昼休みに駆け回る場であり、たまに馬鹿が無申請でバーベキューを敢行して風紀委員にぶち切れられる場でもある。
ここはそのうちの一つ。時刻は昼下がりだ。行き交う人の数は多いが、広場に留まる者は多くない。通り過ぎるだけ、という様相である。
高橋は右手でボールをスピンさせ、人差し指に載せた。回転するボールを、右腕の上を滑らせて右肩、首後ろ、左肩へと通し、左腕に通そうとしたが、
(ん……)
左腕に、少し痛みが走った。だから、肩でボールを跳ね上げ、左の兎耳、右の兎耳へと受け渡し、また右手の人差し指の上で回転を引き継ぐ。
兎人への変異で、身体の感覚は大きく変わったはずだが、親しんだ動きは問題なく出来る。馴染んだ行動が、しかし、馴染むはずのない肉体で行えるのは、
(ちょっと、気持ち悪いよなぁ……)
気持ち悪くないのが、気持ち悪い。そう思う。割り切ってしまえれば楽なのだが。
回転の落ちてきたボールを耳で叩いて、回転数を上げてやる。
つやつやと陽を反射する黒いバスケットボールは、つい先日、黒揚羽生徒会長に陳情して、監査委員長の横やりを受けつつも、なんとか新規で製作してもらったものだ。陳情中にモンスターの|強襲《レイド》などもあって、大変だった。
指先から弾き上げて、また、左の兎耳の上に。柔らかく受け止めて、両耳で数度バウンド。使用感はバスケットボールそのもので、戦闘時には主にダンクでモンスターに叩きつけて使用する。普通のボールであっても“補正”があるため、武器として有用ではあるのだが、とはいえ耐久性は有限だった。そこで、魔獣皮製の“武器”としてのボールを、裁縫部や工芸部が苦労して作ってくれたのだ。
担当した三年の工芸部員のドワーフは、
『いやーまじで大変だった! 四層構造で、発泡ゴムみたいな、それぞれ普通の服飾や工芸じゃ使わないものが多い上に、外側は魔獣の皮だろ? 加工のノウハウなくて、全部試行錯誤でさ、やりがいあったわー!』
と、目の下に濃い隈を作って笑っていた。そんなに大変なものだと思っていなかったから、『大変なもの作らせちゃってすいません』と謝ったら、
『いや。気ぃ滅入ってたからさ。のめり込めることあって、助かった』
ドワーフの先輩はそう苦笑した。
支払いはギルド委員会を通して行われるが、処理はそれぞれのスマホにインストールされた晴天学園内通貨決済アプリ『受付嬢』によって行われる。
インターネットには当然繋がらないが、晴天学園内のイントラネットに接続し、クエストの発行や受注、SPの支払いと受け取り等に利用できる。SNS機能もあり、電話は無理だが、メッセージの送受信は可能だ。パソコン部をはじめとする技術系の部活動が総力を挙げて作ったらしい。凄いと思う。
ボール代は生徒会新予算の防衛費から支払われたが、部長が管理する部費や、個々人の小遣いも配られている。小遣いは一月5000SP。
自費で|購買部《化け狸》に物資の発注も可能だ。高橋はいろいろ考えた結果、インスタントのラーメンを箱で購入した。学食は毎日無料で三食を提供してくれるが、定刻外、特に深夜帯に高校生の小腹を満たすものが欲しかった。毎晩、ラーメンを奪おうと襲い来る同じ寮の生徒達から守るのに必死である。
両耳でボールをくるくる回して、そんな風に益体もないことを考えていると、
「おう、高橋君。それ、作ってもらったボールかいな」
と、声を掛けられた。
ボールを両手に落として振り向く。そこにいたのは背の低い制服姿のレプラコーン。先日、黒揚羽生徒会長とともに直談判をした相手だ。
「……平岩監査委員長。あ、ええと、こんにちは……」
「立たんでええ、立たんでええ。ウチが座るから」
よっこらせ、と、平岩が階段に座った。
「で? 作ってもらったんが、それけ?」
「え、あ、はい。そうです」
「使い心地、違うか? 普通のボールと。そんなに」
「使い心地は一緒ですけど、なんでか、ダンクで攻撃するときの威力とか、かなり上がってる気がしてます」
「ふぅん。攻撃力が高いっちゅうことかね。制服は?」
平岩が細い指を高橋の制服に向けた。元の学ランをベースにしつつ、黒の魔獣皮で胸や肩を覆うアーマーを追加した、改造制服だ。
「怪我人はかなり減りました。戦い慣れて来ているのも、あるでしょうけど」
「そかそか。まあ大事に使いや。何回も予算通す気ィないし、そのたびに黒揚羽とゴチャゴチャ言い争うんも面倒や」
苦々しい顔で言う。つい「すいません」と頭を下げてしまった。このところ、謝ってばかりだな、と思う。平岩監査委員長はひらひらと手を振って微笑んだ。
「ああ、高橋君は悪ぅない。……極端な話、自分らがバスケ部の予算からSP出すなら、好きにしたらええんよ。でもな、武器や防具は生徒会の新予算から充てるってルールにした以上、ウチら監査は厳しく見るしかないねん」
高橋は「もしかして、生徒会も金がないから厳しいのか?」と思った。なので、
「もしかして、生徒会も金がないから厳しいんですか?」
素直に聞いた。
「十億、あるんですよね? 余裕じゃないですか、そんだけあったら」
「政府広報、見とらんのか。読めばわかるで。晴天学園のお財布事情もバッチリや」
「あー……。細かいグラフとか表ばっかりで、わかりにくくて……」
「せやろなぁ。黒揚羽は言動こそアレやけど、嘘や隠蔽は極力行わん。データをヒネりもせず出してきよる。……ま、簡単に言うたら『十億SPを一万人で割ったら一人十万SPしかない』が答えやな」
くく、と平岩が笑う。
「簡単で、わかりやすく……ってのは、あれのやり方やない。経済、経営っていう難しいものを難しいまま理解してもらいたいし、そのために言葉は惜しまん。高い理想を民衆に求めるタイプの、自分にも他人にも厳しい政治家やね」
「はあ……」
気の抜けた返事しか出来なかった。平岩がまた笑う。
「転入生の高橋君には、よう分からんか。ま、それでええ。政治なんか、わからんくらいがちょうどええ。……ほんで最近、バスケ部はどないや。けっこう、しんどなって来とる子もおるって聞いとるけど。なんか変化とかあったら、教えてくれ」
明確に話を変えに来た。
(……そもそも、俺と話したい理由がわからんよな)
いわゆるドブ板営業というやつなのだろうか。支持を得たい、という……。
そうであっても悪くないか、と思う。高橋は、平岩金雄を恐ろしい先輩だとは思うが、同時にどこか憎めない魅力も感じていた。
なんというか、黒揚羽聖十郎にも同じ雰囲気があった。人懐っこいヒグマのような、あるいは抜き身の刀が輝くような、そういう危険な魅力だ。
「俺はまだ、割り切れているほうですけどね。この体も、この環境も。耳とか、かなり上手く使えるようになりましたし、ジャンプ力めっちゃあるのも面白いですし。ただ、割り切れる奴ならともかく……」
ちょうどその時、目の前を、緑色の肌で頭部に角を持つ小さな鬼――ゴブリンの一団が通りかかった。
「ゴーブゴブゴブ! 今日もボドゲ同好会が溜め込み続けたボードゲームで初等部の子供達を楽しませてやブリンねェ~!!」
「娯楽は最大のメンタルケア! ゲームを通してメンタルチェックもするブリンよォ~!!」
高橋は半目で一団が通り過ぎるのを待った。
「……いやまあ、俺もあそこまで割り切れてはいませんけど」
「やけくそやなぁ、ボドゲ同好会。アホみたいな言動しながら面倒見る側に回ることで、無理にメンタル保とうとしとる感じもするなぁ」
「メンタルでいうなら、バスケ部は半々くらいですね。荒れてるのと、多少は割り切れてるのと。あとは……体育会系全体の話ですけど、最近ちょっと、文化会系との空気が悪くて……気まずいです」
「せやろなぁ。武田も高円もアホやから」
同意しづらくて、曖昧に笑いながら左手で頭を掻く。少し痛みが走った。
平岩が眉をひそめて、首を傾げた。
「高橋君、怪我しとるんか?」
「え? ああ、はい。昨日の|強襲《レイド》で……。よく気づきましたね……」
学ランの下、左の二の腕を包帯で巻いてあるのだ。魔獣の黒狼から爪の一撃を避け損ねて、一閃されたもの。とはいえ、
「大したことないですよ。獣人系は体が頑丈で、怪我の治りも早いですし。保健委員に消毒と包帯してもらったんで、二日もあれば」
「【治癒魔法/キュア】は使ってもらってないんかいな」
「スキルも有限ですから。ヤキトーリってやつですよ」
「トリアージやね」
「それです」
「百点満点中二点のボケやね……」
平岩は少し考えたあと、にやりと笑った。
「ちょうどええ。試させてもらうで」
その笑顔に、高橋は少し身を引く。
「な、何をです……?」
「悪いようにはせんから、そう身構えんと。もっとこっち近づきや。【通貨魔法/コインマジック】起動、|保健委員《ユニコーン》との契約に基づき、そのスキルを時給支払いで一時間購入――」
一息入れて、平岩はスキルを発動した。
「――発動、【治癒魔法/キュア】」