アオハルクエスト
ヤマモト ユウスケ
一章
地竜戦(4)
荒坂木蓮はプラスチックのコンテナを抱えて廊下を歩いていた。
中に詰め込まれているのは、すべて同じ文面のA4のプリントで、記されたタイトルは『地竜討伐クエスト参加有志向け説明資料』だ。
木蓮の隣で、一人の女子生徒が歩いている。姿形は人間そのもの――だが、その皮膚には特有の艶があり、指や肩の間接は人形のような球体関節で構成されていた。
女子生徒は、にこやかな笑顔で木蓮の方を向いて、
「それでねそれでね木蓮君! この世界でもアートやろうと思って! 今回参加することにしたんだー!」
と、嬉しそうに話しかけている。木蓮は微妙な顔で横を見た。外ハネの茶髪に、大きくくりくりとした瞳。鼻の頭には絵の具を擦った跡がついている。
(参加することにした、って……。そんな気軽な……)
木蓮はそう思い、嘆息した。
「あのね、|輝木《かがやき》さん。これ恐竜型モンスターの討伐クエストですよ? 強すぎて歯が立たないから、これまでの体育会だけが戦っていた体制を刷新し、自由参加での有志を募ったんです。だから、ちょっとした小遣い稼ぎみたいな気分での参加は……」
「ちょっとした小遣い稼ぎじゃないよ! 大事な大事な材料費だよ! やだなぁ木蓮君! アートにはお金がかかるんだよ! この世界ではSPだけど。それを働いて貯めようと思うのは当然じゃない?」
「いや、だから、現代アート研究会の輝木さんには危険で……」
木蓮は、輝木と呼んだ少女の頭からつま先までを再度確認する。スタイルは平均的で、体育会系の獣人種族と比べれば、あまり強そうに見えない。どころか球体関節はもろそうに見える。
……と、輝木は頬を赤くして、両腕をクロスさせ、己の肩を抱いた。
「もー、やだ。木蓮君のえっち」
「あ、いや、そういう意図はなくって……」
「でもいいよ! 受け入れてあげる! 隣に女の子がいたらつい見ちゃうよね! 木蓮君、むっつりドスケベだし!」
「んくァッふ」
木蓮は咽せた。
「変な咽せ方するね、木蓮君」
「な、は、はァ!? むっつりドスケベって、何ですかそれ!」
「え? だって、毎週|MDS《メイドデリバリーサービス》利用してるんでしょ? しかもメイド長の源先輩を指名して。ドスケベじゃん」
「い、いやいやいや! あれはちょっと溜まった家事をやってもらっているだけで! 変な意図とかは全く無くて!」
「じゃあ源先輩を指名しなくてもいいじゃん」
くりくりした瞳から目を逸らす。
「あー、えー、それはぁ……そのぉ……もっとピュアな想いっていうかぁ……」
「わかってる、わかってるよ木蓮君。源先輩――MDSメイド長の源湊と言えば、この学園で数少ない如月院副会長以上のスタイルを持つ大怪獣だもんね! 私だって何度あのおっぱいで型取りたいと思ったことか……!」
「おっ……って、か、型取り……?」
「うん、型取り。いろんな女子のおっぱいの石膏像作って、学園祭で展示しようと思ったんだけど、学園側の許可が下りなくて。芸術に対する弾圧だよね! オーボーだよ! だからサークル部員の分だけ型取って勝手に展示したんだけど、如月院副会長にバチクソ怒られちゃってさー」
「ああ……去年の学園祭、現代アート研究会の展示室は規制線張られて入れなくなってましたね……」
「表現の自由の侵害だよねー! だから今年こそリベンジしようと思って、いろいろ動いてたんだけど」
「……それ、生徒会役員の僕に言っちゃ駄目なのでは?」
「あっはは! 木蓮君やらしいから展示許してくれると思って!」
「やらしくないんですけど!?」
「ごめん間違えた、優しいから!」
というか、
「まさか、輝木さん。源委員長に、その、型取りの依頼とかしてないでしょうね」
「したよ?」
「んぐくァッふぉ」
咽せる木蓮に対して、輝木は肩を落とした。
「でも断られたっていうか、折り合いがつかなかったっていうか。おっぱい型取るだけなのに、年間予算の五百倍くらい要求されちゃってさー……」
「源代表委員長らしい断り方ですね……」
「いや、ちゃんと払ったらやってくれるって言ってたよ?」
「んごふくぁッふァ」
咽せすぎて俯いた木蓮を置いて、輝木はスキップで廊下を進んだ。大会議室と書かれた部屋のドアを開き、
「とうちゃーく!」
と元気よく叫ぶ。
少し遅れて、咳き込む木蓮も入室した。
長机が並んだ室内には、すでに幾人かの生徒会役員と、討伐クエスト参加希望の有志が集まっている。その中に、ふわふわした狐耳と尾を持つ片眼鏡のメイド服を見つけて、木蓮は気まずくて視線を逸らした。
が、メイド長の方から木蓮に近づいてきて、一礼した。
「お疲れ様でございます、木蓮書記。お久しぶりですね、輝木さん。どうぞお好きな席に」
「はいはーい! じゃ、木蓮君また後でね!」
球体関節を持つ女子生徒が最前列に陣取るのを眺めてから、木蓮は源に向き直った。
「お疲れ様です。……源代表委員長は、どうしてこちらに?」
「代表委員長としての、事務方での参加でございます。攻略、戦闘に携わる有志としての参加は、ご用命があれば……というところでございましょうか」
源湊が両手を差し出してきて、木蓮の持つ段ボールを抱えた。布越しの大きな膨らみが段ボールの上に載って、木蓮はまた気まずくて視線を逸らす。
「ですので、こちらの資料はわたくしが預かります。木蓮さん、ありがとうございました」
「あ、はい。よろしくお願いします」
言って、木蓮が段ボールから手を離すよりも早く、源湊はふわりと笑って木蓮の耳に口元を寄せた。
「ねえ、木蓮さん。狐って、耳が大きいでしょう? 遠くの音も、よぉく聞こえるのでございます。――ええ、ちゃんと対価を支払っていただけるのであれば……木蓮さんでも、ね?」
段ボールを渡した後、木蓮はカクカクしながら壇上横にある椅子まで歩き、すっと座った。
卓上の座布団に座って資料を見ながら如月院真理愛と会話をしていた黒揚羽聖十郎が、そんな木蓮をめざとく見つける。
「む? どうした木蓮。いきなり着席して。まだ準備は残っているぞ、仕事をしたまえ、仕事を! ……なんだ貴様、なぜそんなに必死に深呼吸をしている?」
「ええ、ちょっと荷物運んで疲れて立てなくなったので、呼吸を整えて心頭滅却し血流を正常化しているだけです。ええ」
黒揚羽生徒会長は、しばらく考えた後、狐の尾を楽しげに揺らしてプリントを配る源湊の後ろ姿を見、それからポンと手を打った。にんまりと笑う。
「……なあおい健全書記、いま生徒会長命令で起立するよう求めたらどうなる?」
「黒揚羽生徒会長の失言集をイントラネットのSNSに流し、会計職を辞して部屋に引きこもります」
「それは困るな。座っておけ、木蓮」
黒揚羽会長が、長机に座る有志全員にプリントが行き渡ったのを確認する。如月院副会長はマイクを卓上でふんぞり返る黒揚羽会長の口元に寄せた。スイッチを入れると、少しだけハウリングのノイズが響く。
「さて、それでは――そろそろ説明会を始めようか」