アオハルクエスト
ヤマモト ユウスケ
一章
不信任決議(6)
荒坂木蓮は本校舎近くの小さな学食にいた。
フロアの端のテーブルを衝立で囲み、簡易的な個室として、黒揚羽陣営の拠点にしているのだ。普段であれば、生徒会室に集まるところだが、
(今は不信任決議中。候補の一人ですからね)
無料の水をすすりつつ、黒揚羽聖十郎を見る。大見得を切って議会を退出した虚栄の政治家は、テーブルの上の座布団に突っ伏して呻いている。
ややあって、黒揚羽先輩は、ふと、顔を上げて、
「閃いた。こういうのはどうだ。身はたといー、学食の野辺に朽ちぬともー」
ビブラート効かせて何か言いだした。如月院副会長……副会長候補が呆れ顔で、
「留め置かまし晴天魂、なんて言う気ですか? 黒揚羽生徒会長――いえ、聖十郎君。辞世の句を詠まないでください。しかもパクリで。縁起でもない。……髪も乱れていますし」
「ふふ、失脚したからな……七三も乱れに乱れて当然というもの」
小さな櫛で、黒揚羽先輩の髪を整えてやっている。
木蓮は苦笑して、指摘する。
「まだ失脚はしていないでしょう。しかけているだけで」
「しかけているのは否定せんのだな、貴様。……では聞くが、メイドフェチ。会計の専門家として、あちらの策に付け入れるような粗は見つけられたのかね?」
「そりゃ、数字的な粗はもちろんありますけど、こちらの『三ヶ月保たない予算計画』も相当ですからね。そこで戦うのは泥沼です」
黒揚羽先輩が再度、座布団に顔を沈ませた。
「ううむ、やはり倫理の観点からしか崩せそうにないか。というか、木蓮」
黒揚羽先輩が、上目遣いで見上げてくる。
「貴様、あまり衝撃を受けていないと見える。失脚が怖くないのかね?」
「僕はどうせ会計のオファー来るんで……」
「自分は失脚しないからって余裕こきおってからに!」
「あまり気乗りしないですけどね、【隔離結界/クロスルーム】へ生徒を送り込むことを前提とした予算計上なんて。……オファーされたら受けざるを得ませんが」
自信過剰かもしれないが、そう思う。黒揚羽先輩も溜息を吐いた。
「ま、お前抜きでは無理だろうな。9000人削ってからの予算の再計上なんて。監査委員長補佐の萌葱も優秀ではあるが、どちらかと言えば実務より交渉を得意とする人間で、ポストは副会長だろうし」
黒揚羽先輩が小さな手でポテチの袋を手に取り「ふん!」と力一杯引っ張って、しかし開かなかった。木蓮が代わりに開けて、テーブルの中央に置いてやる。
「ありがとう、木蓮。おい大道寺、ポテチ食え。そして、貴様はどう考える?」
「しゃす。いただきます。……そうですねぇ、私は結界送りされる側でしょうから、ぶっちゃけどっちでもいいっていうか」
大道寺あさ子は、あっさりと言った。
「|文車闇妃《わたし》のスキル、【呪書作家/グリモアライター】はいろいろ使い道ありそうですけどね? 規模縮小で生き残りを目指す平岩監査委員長の方針って“使い道の模索”とは真逆ですし。スキルの発展性より、レプラコーンに代用可能かどうか、が大事になりますよね。私はスヤスヤでワロタ状態になりやす」
「それでいいのか」
「地球に帰れるなら、なんでもいい、ってのが正直なところで。地球にっていうか、お兄ちゃんのところに帰れるなら、ですかね」
「貴様、ブラコンが過ぎて実兄襲って実家から出されたのに、まだ懲りてないのか」
「民法変えれば実兄もセーフです」
じゃあ現状アウトだろ。
誰もがそう思ったが、ツッコミは入れなかった。意味がないので。黒揚羽先輩はポテチの先端で庶務を指した。
「流川。貴様はどう思う?」
指された流川ルーシーは、眉を寄せて目を伏せた。
「私は……隔離結界内で眠りにつくのは、決して悪いことじゃないと思います。その、平岩先輩のやろうとしていることって、冷凍睡眠で未来に繋ぐっていう、SF映画とかでよくあることな気が……。あ、もちろん、そのために生徒を傷つけるのはどうかと思いますけど。でも、倫理的な問題って捉え方をするなら、それこそ手術だって人の体にメスを入れるわけですし……」
ほほう、と黒揚羽先輩が感心の息を吐いた。
自信のなさそうな話し方だが、面白い視点だと木蓮も思う。
「いい視点ですね、流川さん。つまり“生徒を眠らせる致命傷”が、結果的に生徒を守ることになるなら、それは傷つけるのではなく“処置する”のである、という捉え方になります。冷凍睡眠の例もいいですね」
「ただの言い換えだが、強固な言い換えだよなぁ……」
黒揚羽先輩がぼやく。如月院先輩が困り顔で頬に手を当てた。
「やはり厳しそうですね、聖十郎君」
「ああ、厳しい。倫理的な観点からの切り崩しも難しいだろうな。こちらが『言い換える以前の倫理の話』をしても、向こうが『言い換えたあとの処置の話』に終始すれば、論点は噛み合わず、不成立となるわけだが……」
「見ている側からすれば、私達が議論の前提を飲み込まず、一つ前の論点に固執しているように見えますからね」
それは議論を前に進めようとしない態度に見えるし、そうなれば、黒揚羽陣営の印象は悪くなる。
さらに言えば、
(社会に余裕がなければ、倫理は機能しないんだよなぁ……)
木蓮は嘆息した。
現状の困窮した晴天学園で、倫理を盾にした正論は力不足だ。
「餅川、何かないか」
最後に指名された餅川麗依は、膝の上に置いたエレキギターを調律しながら、ニヒルに笑った。
「アタシはロックな方が良いと思うね」
「……具体的には?」
「誰かを瀕死にしたり、誰かに瀕死にされたりして、カタツムリみたいに夢の殻に籠もるくらいなら、腕の長いティラノの前で一曲演奏しながら食われる方がロックだと思わねぇ?」
「結局、隔離結界送りになるだけだろう、それは」
黒揚羽先輩が呆れ声で突っ込む。
「停滞するくらいなら派手に死んだ方がいい――アタシはな。だが、全員が全員、そういう考えじゃないってのもわかってる。そんで、そういう奴らにも、ソウルとハートを届けるのが|広報《ロック》の役割だろ。平岩センパイが勝つとしても、黒揚羽センパイが勝つとしても、な」
「おやおや。貴様、私の勝利のために戦ってはくれないのかね?」
「アンタの勝利のために戦ったことはねえよ。一番ロックな政治家がアンタだっただけだ」
相変わらず独特な価値観である。
しかし、
(そうなんだよなー……。黒揚羽先輩が、一番……)
木蓮には、ロックという価値観はわからないから、黒揚羽聖十郎がロックかどうかは判断できないが、予算にないことばかり言ったりやったりするので大変だし、仕事中に如月院先輩とイチャついていてムカつくし、一回……いや十回くらい痛い目に遭えばいいと思っていて――なんでこの男について行っているんだろうな、と木蓮はちょっと真顔になった。
「では、餅川。貴様は、気に入らない平岩の策を、どういう手なら崩せると考える?」
「奴らはまだ、レプラコーンに防衛行為の代行が可能だと|実証《・・》できてねぇ。そこを突く」
「なるほど。戦闘能力の実証か。しかし、レイドが起きたりしない限り、この一時間で実証させるのは難しそうだが」
「おう。だから、ロックで行くんだよ」
黒揚羽先輩が顔をしかめた。
「容認できん。それは不要な抗争だし、我々の評価をも貶める行為だぞ」
「そうだな。だが、アンタに止める権利はねえぞ、黒揚羽センパイ。アンタが会長の任を解かれている以上、アタシもまた同様に広報じゃねえ。一人の学園政治家だ。だから――」
餅川が調律の済んだギターの弦を弾いた。びいん、と弦が震えて音を立てる。
「――アタシのロックを聴かせてやるよ」