キマイラ文庫

アオハルクエスト

ヤマモト ユウスケ

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アオハルクエスト

ヤマモト ユウスケ

一章

地竜戦(7)


 地竜討伐作戦実行日の朝、高円円は鍋の前にいた。

 場所は学食で、手には柄の長いお玉。ブラウニー化した体では、脚立を使わなければまともにかき混ぜられないサイズの寸胴鍋を、底からかき混ぜる。

 中身は鶏肉とにんじん、ジャガイモ、タマネギの入った、よくあるおうちカレー。こういうカレーは、特に体育会系にウケが良い。好き嫌いもあまりないし。犬猫系の獣人種がタマネギやスパイスを食べても大丈夫かどうかは不安だったが、検証の結果、食性に関してのタブーはほとんど無いらしい。だからごくごく普通のカレーだ。

 一つだけ、普通のカレーと違う点があるとすれば、


(ブラウニーのスキル、【フェアリーディッシュ/英雄御饌】は、料理を介して力と勇気を与えますぅ)


 【ウォークライ/応援魔法】と同じバフスキル。

 鍋全体がうっすらと輝き、側面に校章陣が浮かんでいる。

 出来ることは、全部やる。そう決めた。

 だから、家庭科部連合のうち、料理を得意とする部活やサークルが学食職員と連携して、戦士達の食事を作っている。

 微々たるバフだが、効果時間はウォークライより長い。少しでも効き目が強くなって欲しい、と心を込めて鍋をかき混ぜつつ、思う。


(異世界を舐めていましたよねぇ)


 楽観視していた。生徒会長や副会長のような、ある種の突き抜けた人間が、なんとかしてくれるだろうと。いつか、なんとかなるだろうと。

 でも、違った。安井は、作戦決行日となった今日もまだ【隔離結界/クロスルーム】から出てきていない。

 お玉で小皿にカレーを落とし、味見してみる。チキンの出汁がよく出ている。辛いものが苦手な生徒もいるから、辛みは抑えめ。特性スパイスの缶を卓上に置いてあるので、物足りない生徒はそちらで調整してもらう。


「うん。完成ですぅ」


 部員が作っている分もある。大食漢揃いの獣人系種族にも満足してもらえるだろう。

 ちょうど、生徒達がぞろぞろと食堂に入ってきた。晴天学園各所に複数ある食堂のうち、正門に一番近いこの大食堂を、今日は戦闘前の腹ごしらえ用として貸し切りにしてある。

 彼らはがやがやと話し合いながら、配膳列にずらりと並ぶ。獣人系種族だけでは無く、見知った顔の有名な美術部員もいる。地竜討伐には、二十人程度の小規模部隊で挑むという。

 彼らにカレーライスを大盛りでよそい、トレーに載せていく。

 ――と。


「高円殿。感謝するのである」

「武田さん……」


 武田が来た。彼もまた、今回の討伐に参加する。バフをかけつつ、恐竜型モンスターの取り巻きとして現れる可能性が高いトカゲに対処する役割だという。

 高円はカレーを特盛りにしつつ、


「武田君、そのぉ……無事に帰ってきてくださいねぇ……?」


 彼の目を見て告げた。武田は少し咳払いをして、


「うむ。必ず勝って帰ってくると、約束するのである」


 トレーに特盛りのカレー皿を載せて、列を流れていった。

 隣で配膳の補助をしていた家庭科部員が半目で高円を見ている。


「……なんですかぁ、その目は」

「事務総長、上目遣いでソレはちょっと……あざとすぎでは……? あと、めっちゃ特盛りでしたね」

「体格差あるから、上目遣いにはなっちゃっただけですよぉ。量は……獣人なら、あれぐらいでも物足りないでしょうしぃ」


 しゃべりつつ、流れてきた男子生徒のトレーにカレー皿を載せる。

 熊耳の男子生徒は大盛りのカレーを見て、流れていった武田の特盛り皿を見て、それから満面の笑みで「この誤差……推せます!」と言って流れていった。いやもう、なんなんですかぁお前ら。

 ともあれ。


(作戦、うまくいきますようにぃ。みんな、無事に帰ってきますようにぃ)


 と、内心で祈りながら、カレーを盛る。それが、高円に出来る精一杯のことだとわかっているから、真摯に祈る。

 部員達もまた、同じように祈っているだろう。


 ●


 学園長、皐月ガブリエルは、屋上から出発する討伐隊を見ていた。

 正門前にある、校舎群の一つ。屋上に、丸いテーブルと椅子、日傘を置いて、リラックスモードだ。手には紅茶のカップを持っている。どれも自分で用意したものではなく、傍らに控える源湊が用意したものである。

 ただ見守りたいだけだから、椅子だけあればいい……、と言ったのだが、源湊は全く手を抜かなかった。困った生徒である。

 丸テーブル周辺には皐月と源湊しかいないが、そこから数メートル置いて、飾り気のない長テーブルとパイプ椅子が並んでいる。

 長机上に置かれた座布団には、険しい顔のダークフェアリーが胡座をかいて座っている。パイプ椅子にはダークエルフの副会長と文車闇妃の書記、そして家庭科部連合事務総長の高円円が座り、周辺には執行部役員の補助を行う代表委員や、討伐隊に参加しなかった体育会の獣人などがいる。

 その誰もが、緊張と不安をため込んだ、張り裂けそうな顔をしている。


(……出発したばかりなのに、もう難しい顔をして)


 皐月は微笑んで、


「首尾はどうかしら、黒揚羽生徒会長。この作戦本部全体が、すごくひりついているように感じますけれど」


 声をかけた。

 黒揚羽聖十郎は、むっつりとこちらを見て、口を開く。


「根本の作戦立案はそこの|兼光《かねみつ》に任せている」


 兼光と呼ばれた女子生徒が立ち上がり、皐月に向かって敬礼を行った。背は低く、黒髪は短い。かぶった軍帽の左右両端から丸い獣の耳がぴょこんと飛び出しており、犬か何かの獣人種族か妖怪種だとわかる。

 徽章や肩飾りを追加して軍服風に改造した男子用制服は――というかそこまで追加した学ランはシンプルに軍服と呼んでじゃないかしらね――襟までぴっちりと閉じており、皐月は一目で、


「ミリ研の三年生の、|兼光《かねみつ》|雅美《まさみ》さんね? 去年、自由研究で『有事に備えて自宅で作ろう! 護身用DIY武器五選』をやって、三週間の自宅謹慎を食らったっていう、面白い子」


 と言い当てた。

 兼光は大真面目な顔で頷き、


「はっ! ミリ研部長、兼光|雅美《まさよし》であります! あと、自由研究については良くなかったと反省しております! 官憲に悟られぬよう、自由研究として発表せず、口コミを頼ったワークショップで共有すべきでありました」


 きれいなソプラノの声で答えた。


「あら、やっぱり三週間程度じゃ意味ないタイプの子だったのねぇ」

「お褒めにあずかり光栄であります」

「マサヨシさん、と呼んだ方が良いのかしら」

「どちらでもかまいません。サークル内で呼び合うためのソウルネームですので。大本営付き軍事顧問でも、参謀長でも、戦略アドバイザーでも、政府の犬でも、あるいは単に兼光と呼んでいただいても」


 皐月は口に手を当てて笑った。呆れ顔の黒揚羽聖十郎から「褒めてはいないし、ここは大本営でもないがね」とツッコミが入った。


「本部はわかったわ。それじゃ、現場は? 武田君かしら」

「ああ。武田が現場の指揮だ。本部との連絡は私の【テレパシー/念話魔法】を使うが、現場で――つまり接敵後に、私と会話をしている暇はほとんど無いだろう。何かあれば常に受信できるよう構えておくがね」

「受信したら、どうするのかしら」

「状況を鑑みて臨機応変に即時の判断を用い、本部から出来うる限りの対処を行うつもりだ」

「つまり、何が出来るかは、ことが起こってからじゃないとわからないのね?」


 黒揚羽聖十郎は、無言で応えた。


「学園政治家らしい物言いだけれど、黒揚羽生徒会長。本来のあなたは、こういうとき、笑って構える人よ。そうでしょう、如月院副会長」


 話を振ると、如月院真理愛はきょとんとしてから、すぐに笑った。


「……ええ、そうですね。私もそう思います。緊張しすぎかもしれませんね、今日の私達は」

「私だって、出来るならそうする。だが、戦いなのだ。楽しむわけにはいかん」

「そうですね。でも、あなたは方針を掲げたはずですよ。青春を推進する、と。あなたの青春は、そんな顔で過ごすことなのかしら」

「しかし……」

「あなた自身の青春とは、何かしら。如月院副会長も、よくお考えなさいな。自分自身のそれがわからなければ、他人のそれを推進することなんて、到底無理なんじゃないかしら」

「……ご忠告、痛み入る」


 黒揚羽は慇懃にそう言って、少し目を閉じて小さなこめかみをぬいぐるみのような手でぐいぐいと押した。目を開いて、唇の端をつり上げる。


「どうだ、如月院副会長。私のアルカイックスマイルは」

「今日も邪悪で大変素敵ですよ、黒揚羽生徒会長」

「ならばよし! 政治家足るもの、笑顔は邪悪でうさんくさくあらねばな! ――諸君!」