アオハルクエスト
ヤマモト ユウスケ
一章
青春白球大暴投(1)
その声は、不意に、全校生徒の脳裏に響き渡った。
『諸君、聞け! 静かにせい! 静かにせい! 話を聞け! 生徒会長、男――いや妖精一匹が、命を懸けて諸君らに訴えているんだぞ! いいか、それがだ。今、我々はどうやら地球ではない場所に――』
●
斎藤は、天井を仰いで呟いた。
生徒会長の演説は、衝撃を持って全校生徒へ伝えられた。
「マジかよ。い、異世界……?」
斎藤は硬式野球部の男子である。学年は三年。ポジションはピッチャー。
生徒総会の終わり際に地震があって、気づいたら隣の席に半透明のぷるぷるした人外がいて、驚いて飛び上がったら他にもゲームかアニメのモンスターみたいなのが大量にいて、慌てて大講堂から逃げ出した。
だが、飛び出して気づいた。ガラスに反射した自分の姿もまた、巨体の人外になっていると。
なにがなんだかわからないまま、棘の生えた狼みたいな怪物に襲われ、とりあえず殴り返しながら野球部の部室棟まで逃げ延びた。
ほかの野球部の奴も駆け込んできて、そいつは斎藤と同じ巨体に変化していた。なにがどうなっているんだ、と混乱しながら金属バットで狼をシバき倒し、部室に立てこもっていたのだが、そこで生徒会長の声を聴いて……という流れだった。
濃密な十数分であった。が、説明されても、意味が分からない。
「学園ごと異世界に転移して、変な人外になって、え、ええ……」
生徒会長に言われた通り、生徒手帳を取り出して、種族を確認する。ビッグフット。アメリカだかカナダだかの、デカい類人猿のUMAだったか。それくらいは知っている……が、重要なのはそこではない。
与えられた|能力《スキル》もあるらしいが、そんなのだって、どうでもいい。
「待ってくれよ、おい。夏の大会は、どうなるんだ……!?」
「斎藤、いま気にすることじゃねえだろ、それ」
と、呆れ顔のキャッチャー、小林が言う。コイツも部室棟に逃げ込んできたのだ。斎藤は泡を食って言い返した。
「馬鹿野郎! 球児にとっちゃ、野球以外のことは考える必要もねえし、頭の片隅にすら置かなくていい煩悩だろうが! せっかく地区予選勝ってんだ、夏の大会に行けるんだぞ、ウチは! 高校最後の甲子園によ!」
「……それは、確かにそうだが……」
斎藤は悔し涙を流してうつむいた。
「とにかくがむしゃらに戦ってよ、そんで、出来たら優勝とかしてよぉ……。俺は何球だって投げるつもりだったんだ。それなのに、それなのによぉ……」
「……わりぃ、斎藤。俺、キャプテンで、キャッチャーなのに、そこんとこ意識が抜けてたわ。そうだよな、甲子園行きたかったよな。俺たちの青春、どうなっちまうんだろうな……」
斎藤の熱い思いに胸打たれた小林も、鼻をズビっと鳴らして目じりを拭った。
「だがよ、希望を捨てるには早いぜ。異世界だか何だか知らねえが、こういうのって案外、すぐに元の世界に戻れたりするんじゃねえか? だから、まずはとにかく生き延びることを考えて、黒揚羽の言うとおりに……」
小林の言葉を全く聞いていない斎藤が、小さく呟く。
「優勝して、カッコよく……告白するつもりだったんだよ。桐野に、よぉ」
小林が首をかしげた。
「桐野……、って、二年の桐野マネージャーか。あのスッゲェ仏頂面で、各校のデータとか作ってる子」
「そうだ。表情変わんねぇけど、野球が大好きで、メジャーまで含めていろんな選手のデータ取ってる桐野……」
「凄いよな、あの子。荷物運んでるときもボール磨いてるときも何考えてんのかわかんないけど。……で、その桐野がどうしたって?」
がばっと斎藤が顔を上げた。
「だから、告白するんだよ!」
「……うん? 告白?」
「優勝したら、告白するつもりだったんだよ、好きだって! 付き合ってくださいって言うつもりだったんだよ!」
「……え? 桐野に?」
「そうだ! 桐野に!」
斎藤はぼたぼたと涙と鼻水を垂らしながら、小林の胸ぐらを掴んだ。
「それが、いきなり意味わからん姿にされて、意味わからん異世界? だかに送られて、意味わからん怪物に襲われてるんだぞ! わかるか、俺の気持ちが!」
小林は半目で「告白の部分以外は、俺も同じ状況なんだけどな……」とぼやく。
「甲子園優勝投手になれば、きっとプロからスカウト来るだろ? 受験勉強なんてしなくていいし、秋冬は桐野と遊園地いったり映画見に行ったり、ひょ、ひょっとしたら泊まりで旅行なんてのも……わかるか!? この、俺の純粋な気持ち!」
小林はにっこりと微笑んでから、斎藤をグーでぶん殴った。
「痛ってェ! なにすんだテメェ!」
「お前が一番煩悩だらけじゃねえか! ボケ!」
「うるせえ! この煩悩が俺の青春なんだよ!」
しばらくガチで殴り合った後、二人は揃って溜息を吐いた。
「どうすんだよ、これ。生徒会長、なんて言ってたっけ?」
「自分と周りの安全を確保しつつ、とにかく生き延びろ……だっけな」
つまり、部室で隠れる以外にやることがない。
ふと、小林が顔を上げて、窓の向こうに目を遣った。
「おい、グラウンドで誰か襲われてるぞ」
「ああ? グラウンドで? なんで、あんな狙われ放題なところに……」
「……あれ、女子か。顔はよく見えないけど、セーラー服だよな。なんでトンボなんて持ってんだ、アイツ」
斎藤も窓からグラウンドを眺めた。トンボを振り回して、狼に応戦しているセーラー服の女子生徒がいる。
――どくん、と心臓が脈打った。
姿かたちは、変わってしまっている。距離があって、表情もよく見えない。
だが。
「――桐野だ」
「は? なんでわかるんだよ」
「わかるからわかるんだよ、あれは桐野だ! 助けに行かねえと!」
「ちょ、ちょっと待て、おいなんでバット二本も持ってんだお前……!?」
斎藤は、両手に金属バットを握りしめ、窓を蹴破って飛び出した。
「桐野ーッ!」
「せめて扉から行け、馬鹿!」