アオハルクエスト
ヤマモト ユウスケ
一章
ギルド委員会(7)
空気が湿っているのである――、と武田権太郎は思った。
晴天学園を飲み込むジャングルは、見上げるような巨木と垂れ下がる蔦、低木に種類様々な花草、そしてでこぼこした地面には地衣類が茂っている。
少し歩くだけで汗だくになる、過酷な環境で……日本の夏に、少し似ている。
「これぞ“多様”ってやつっすねー! サンプル写真を見た園芸部やボタ研――ボタニカルアート研究会曰く、すべて地球上に存在する種と似ているらしいっすけど、花弁の数が足りなかったり、茎の長さが異様に長かったりで、全体的に異形化しているとかなんとか」
付いてきた裁縫部の安井がキョロキョロと周りを見ながら、いつにも増してやかましい。
(付いてこられても迷惑なのであるが……!)
実地で改造制服の使用状況を確認し、改善に活かしたいのだという。当然、危険だからと断ったが、この安井という女、ギルド委員会を通してクエスト化してきたのだ。しかも生徒会も噛ませて公共事業化されたため、断るわけにもいかない。
……安井だけなら、まだいい。
問題は、アラクネの背――蜘蛛の腹部か?――に乗っている、もう一人だ。
「菌類、微生物、虫などは目下調査中だそうですねぇ。地球のものとは違うそうで、生物部系もチームを組んで研究していますけどぉ、結局『よくわからんない』としか言えないそうですよぉ」
間延びした口調の家庭科部連合事務総長、高円円。彼女もまた、代表者として随行していた。最悪だ、と思う。
権太郎は、ごくごくゆっくりジャングルを歩く。未舗装の地面は柔らかく、一歩ごとに馬獣人サイズの巨大なスニーカーがぐっと沈み込む。額の汗を手の甲で拭う。新調した制服は布がまだ固く、引っ張られるような感覚がある。
(学園周辺の環境整備は必須であるな……。自給率とSPの減り具合から見て、畑を作る可能性も高い……)
振り返って「地面が柔らかいから気をつけるのである」と呼びかける。
権太楼の背後にいるのは、応援団所属の馬獣人が数人、空手部の虎獣人が数人、柔道部の熊獣人が数人と、そしてアラクネとブラウニーが一人ずつ。
「大丈夫っす。自分、足多いから体重分散されてて、こういう場所歩くのめちゃくちゃ得意なんっすよねー」
「……私は乗ってるだけですからねぇ」
「皆さんはどうっすか? 制服、どんな感じでしょ。動きやすいっすか?」
安井の問いかけに、権太郎は学ランの襟に指を掛け、軽く引っ張って考える。普段の学ランとは違って、表面が少しつるりとしている。魔獣皮制服も日々アップグレードされており、普通の学ランに胸当てや肩当ての形で魔獣皮を追加したものから始まり、今は完全魔獣皮製の制服を着用しての実地試験だ。
「やや素材が固いからか、肩や腕の可動域が狭く感じるのである。テスト段階においての強度実験は十分であったと聞くし、そこの調整さえ終われば、実戦にも耐えうると考えるのである」
「普通の皮なら使い込めば多少は柔らかくなるっすけど、魔獣の皮は謎テクスチャっすからねぇ」
「あとはまあ……暑いな、かなり……」
はん、と誰かが鼻を鳴らした。
「あらぁ? 体育会の皆さんは暑くて苦しいのがお好きなんじゃないんですかぁ?」
「我々体育会系ほど熱中症に真摯に取り組んでいる者はおらんのである。いやいや、涼しい場所で遊んでいるだけの高円殿がご存じないのも無理はない。少し部屋の外に目を向ければ当たり前のことなのであるが、なぁ?」
嫌味に、つい、嫌味で返してしまう。よくないと思いつつも、しかし、高円の言葉に我慢できないのは、
(……似ているから、であろうか)
背が低く、おっとりしていて、しかし芯のブレない頑固者。加えて文化部となれば、嫌な思い出が蘇る。
ひりついた空気を、安井の「まあまあ」という軽い声が崩した。
「実際問題、通気性はかなり大きな問題っすよねー。この熱帯じみた気候で戦闘……激しく動くわけっすから。そういうフィードバックが大事なんすよねぇ」
安井が手にしたメモ帳に何やら書き込みつつ言う。
「自分ら、決してプロではないですし、面白いことしかやりたくないタイプっすけど、だからこそ、服にはきちんと向き合って、着る人のことを考えたいと思っているっすよ。それが“面白い”んで」
●
安井は思う。
裁縫部の作り上げた魔獣皮制服は、決してプロ級とは言えない、と。本物の制服と見比べれば、学生の仕上げたハンドメイド品だから、当然、粗い部分がある。糸のほつれ、裏地のチープさ、縫製の歪み……。改善点を挙げれば、キリがない。
“補正”が働いていれば、それでいい――なんて、思わない。
機能的で、快適で、そして見た目も良くてテンションが上がる。そういう服を目指してこそだ。改善を一つずつ積み重ねたい。そのために、校外での試験に同道を申し出た。
「皆さんは、どうっすか。通気性とかも含めて、思ったことがあれば何でも言ってほしいっす!」
笑顔で問いかけると、馬と虎と熊の顔が全員頬を赤くして目を逸らした。
「……なんっすか。変なところとか、あるんすか?」
「アー……エット……」
「キゴコチ、イイデス」
安井は首を傾げる。
「なぜ片言……? 何か不具合があれば、全部言って欲しいんっすけど」
武田が微妙な顔で「あー……」と歯切れ悪く言った。
「すまないが、彼らは女子と話し慣れていないのである。もう少し距離を取って話してやってもらってもよいであるか……?」
「だ、団長! それは事実陳列罪ですよ! 確かに俺達汗臭系運動部は女子と話す機会が少なくて、正面から顔を見ることすら恥ずかしい純朴男子ですが!」
「純朴とはまた良いように言うのであるな……」
高円が「なるほどぉ」と納得の相槌を打った。
「安井ちゃん、メイクも髪もバッチリで、けっこうギャル系ですしねぇ。慣れてないと、圧力強めに見えちゃうんじゃないですか?」
「ファッション作ってるやつが、ファッションを怠るわけにはいかないっすからねぇ……。中身はただの女オタなんで、そんなに怖がらないでほしいっす。なんでも話してください、なんでも。制服関係なくてもいいっすよ」
男子どもが顔を見合わせ、ややあってから虎獣人が小さく手を上げた。
「じゃあその、聞いていいかわかんないけど……足がいっぱいあるって、どんな感じなんだ……です……?」
「タメ口でいいっすよ、タメで。でも、あー、うーん、説明しづらい……。もはや“普通”って感じなんすよね、慣れちゃって。あ、触ってみるっすか? 普通の蜘蛛の足と違って、ちょっとつるつるしてるんすよねー」
「触っ……!」
パンツルックの八本足のうち一本を持ち上げて、虎獣人の男子生徒に寄せる。裾から覗く、尖った先端には土がついており、靴の類いは履いていない。が、虎男子は触ろうとしないので、安井は足の側面を彼の頬に触れさせ、
「ほら、意外とつるつるっしょ?」
笑いかけると、虎男子は消え入るような声で「ハイ……」と呟いた。
「そうだ。せっかくだし、お返しに肉球触らせてほしいっす、肉球。おー、柔らけえっすねぇ……ずっと揉める……」
「……そろそろ進みたいのであるが?」
「あ、すんませんっす!」
虎男子を解放すると、彼はそそくさと周囲の護衛の中に戻っていった。
安井は苦笑して、背中に乗る高円に、
「嫌われたっすかね? 気安すぎましたか」
「いやぁ、どっちかっていうと逆ではぁ?」
逆とはどういうことだろうか。
●
権太郎は先行して歩きつつ、耳を少し動かした。馬の耳の性能は高い。
少し離れた場所でコソコソ話をする運動部達の声も、十分聞き取れる。
「……俺ァもうダメだ……好きになっちまったよ……」
「仕方ねえよ……あれは……で、どうだった?」
「つるつるしてた」
「いいなぁ……」
あとで気合いを入れてやらねばなるまい、と嘆息する。
恋愛を否定する気は無いが、しかし、付き合うなら価値観の合う相手がいい。文化部はやめておけ、と思う。
(必ず齟齬が生まれ、衝突が生まれ、軋轢が生まれ、そして禍根が残るのである。文化部とは、そういう相手で……)
……いや。これは偏見なのだろう、と権太郎自身も分かっている。過去を引きずって、歪んだレンズで文化部を見てしまっているだけだと。しかし、
(最近のアレコレについては、高円殿に問題があるのである……!)
突っかかってくるし。嫌味ばっかり言うし。……あの子に似てるし。
だから仕方ないのである、と開き直って視線を上げると、視界の中で黒いものが動いた。
トカゲだ。のっぺりとした黒いテクスチャーを持つ、巨大なトカゲ。それが巨樹に張り付くようにして、こちらを見下ろしていた。体長は少なくとも一メートル半以上。デカすぎる。
そんなトカゲと目があった。ばっちりと。
トカゲはちろりと舌を出し、鋭い牙を剥いて、樹の表面を蹴って宙に身を投げた。
――権太郎の方に向かって、まっすぐに。
「――敵襲ーッ!」
間髪入れず叫び、即座に戦闘態勢へ移った。