アオハルクエスト
ヤマモト ユウスケ
一章
地竜戦(1)
高円円は、何があったかを思い出す。
見上げるほど大きな巨樹の陰から、それは現れた。
一見すれば恐竜の骨格に近い。映画で見たことがある、CGで再現されたティラノサウルスのような姿だった。
ただ、だらりと地面まで垂れ下がった前肢は、ティラノサウルスの小さな前肢ではなかった。立派なかぎ爪と羽毛を持つ、長い前脚だったのだ。
「色は黒でしたけどぉ、魔獣特有ののっぺりしたテクスチャーじゃなくてぇ……もっとこう、リアルになったっていうかぁ……」
説明が難しい。ただ、そう、例えるならば、
「解像度が上がった、という印象でしょうかぁ。世代がひとつ上がったっていうかぁ、ポリゴン数が増えたっていうかぁ……」
「これまでとは違う性質を持つ大型の魔獣に、羽毛付きの前脚ですか。始祖鳥のような形態かもしれませんね。写真等の記録は?」
「ごめんなさい、完全にパニックになっちゃってたのでぇ……」
記録用のデジカメは持っていたし、SP運用端末と化したスマホなら動画だって撮影可能だが、完全に忘れてしまっていた。
「ああ……ですよね。失礼しました」
副会長が頭を下げる。いえいえ、と両手を振って頭を下げ返す。
実際、円は【隔離結界/クロスルーム】のことを失念していたのだ。即死級の傷であっても、即座に別空間に移送される。だから……。
「慌てずに、写真を撮れば良かったですぅ。あの場で、あたしだけが何もしていなかったわけですしぃ……」
「……パニックであったならば、仕方あるまい」
意外にも、武田がそう呟いた。
「問題は、我らの方である。守るべき護衛対象を守ることが出来なかった。【隔離結界/クロスルーム】のあるなしは、関係なく……我らの手落ちである」
生徒会長が「そうだ」と断言した。
「武田の言う通り。傷を負っても死にはしないのはありがたいことだが、それを前提にすべきではない……と、私は思うがね。問題は護衛を全うできなかった武田の部隊だ。反省すべきだな」
その物言いに、円は思わず、
「彼らは全力でしたよぉ!?」
と、武田を擁護してしまう。だが、
「全力であることは過程を構成する要素の一つでしかない。無論、全力で事に臨む生徒のことは好ましく思うが、その上で、結果を見て評価、判断するのが我々代表職の仕事だろう」
「でも……!」
「残酷な話だがね。例えば、全力で試合に挑んだが一回戦敗退のテニス部と、手を抜いた作品だがコンクールで入賞出来た美術部なら、結果としては後者の方が上だと私は言わねばならん。違うかね?」
卓上でふんぞり返っている妖精生徒会長は腕組みをした。
「そして、あえて言うが。そもそも君ら、|全力だったかね?《・・・・・・・・》」
一瞬おいて、何を言われたか理解した円は、抗議しようと口を開きかけ、しかし、出来なかった。
隣にいる大男が、拳をテーブルに叩きつけ、轟音と共に破壊したからだ。
「……撤回して頂きたいのである。我らが手を抜いた、などと……!」
鋭い眼光が、生徒会長を射貫く。
体をすくめる円だが、十倍近い身長差があるはずの黒揚羽聖十郎は、冷ややかな視線を保っている。
生徒会副会長が、紫の校章陣を浮かべ、いつでも割って入れるよう構えているが、それがなくても黒揚羽聖十郎は|こう《・・》だっただろうな、と円は思う。
「怒りはもっともだ。存分に怒りたまえ。だが、君がまだ体育会の代表を名乗るならば、上に立つものとして、冷静になって考えてみたまえ。君たちは全力だったかね? 努力の余地が、まったくなかったのかね? ン?」
「我らは――!」
「もっと他人を信用し、頼り、短所を補い、長所を伸ばし、互いの知恵を借り、知識を分け合い……そんな協力が出来たはずではないのかね?」
武田が、拳を握って押し黙った。円もまた、何も言えなくなる。
「……話を戻そうか。恐竜はどれくらいの大きさだった? 群れていたか?」
しばらくの沈黙のあと、武田がゆっくりと口を開いた。
「……十メートル以上はあったのである。ほかの個体は確認できなかったのであるが、おそらく、小型のトカゲと連携していたのではないかと考えている」
「ふむ。成長前の同種……あるいは共生か? そも、魔獣という生き物の生態がまるでわからんからな……。如月院副会長、魔獣に関するレポートはどうなっているのだったか」
副会長は、資料を見ることもなく、すらすらと返答する。
「罠猟の免許を持ちジビエ解体の経験もある三年生がおりましたので、彼女と生物教師数人で解剖を試みております。ただ、やはり専門家というわけではありませんので……」
「ふむ。余裕があれば捕獲も視野に入れるべきか。了解した。……竜に遭って、それからどうなった?」
「空手部の虎系獣人が足に攻撃を仕掛けたが、びくともしなかったのである。蹴り飛ばされ、一人目が隔離結界に送られた。一撃で、である。これは撤退するしかないと判断した。幸い、巨樹のおかげで逃げやすかったのであるが……」
円は、隣の武田が、拳を強く握りしめ続けていることに気づいた。
理解できる。これは、怒りだ。おそらくは、自分の不甲斐なさに対する。
「それでも、サイズの差は如何ともしがたく。奴が一歩進むだけで、我らの五歩以上の距離を詰めてくるのである。大量のトカゲに纏わり付かれ、逃げ損なって二人目がやられた。その二人目を助けるために、三人目が足を止めてしまい、犠牲となったのである。四人目は、追いつかれると判断した護衛団員が……」
「自ら囮になった、か」
武田は頷いた。
円はその言葉の続きを紡ぐ。自分で言うべきことだ。
「……五人目の裁縫部部長、安井ちゃんはぁ、アラクネなので足は速かったんですけどぉ……あたしが背中から落ちちゃってぇ……」
「高潔な人物であった。高円殿を拾い、我に向かって投げ――」
安井は青い顔で笑いながら言った。『あとは頼むっす』と。
「……なんとか、残りのメンツで学園の外壁まで辿り着いた頃には、もう追われていなかったのである」
「深追いしてこなかったか。【晴天領域/スクールリング】の効果か、あるいは別の要因か。少しでも学園から離れれば、また襲われることになるかもしれんな。いや、あるいは諸君が、その竜の縄張りに入り込んでしまったのか……」
「それと、」
武田が言葉を続ける。
「逃走中に、妙な構造物を目撃した……と、思う」
「構造物? 建物か!? どこでだ!?」
目の色を変える黒揚羽に、武田は首を横に振って応えた。
「わからん。逃亡のさなか、一瞬、視界の端に見えただけであるからな。朱塗りの鳥居のようなものだったと記憶しているが……」
「あたしも見た気がします。赤い何かがあったなって」
「確証はない。ただの赤い木だったのかもしれんが、報告しておくのである」
「わかった。ありがとう。さっそく調査を――いや」
聖十郎は長く息を吐き、頭を振った。
「……確定情報だけで動こう。学園のほど近くに祠型の建造物があり、恐竜型の魔獣が少なくとも一頭はいて、犠牲者がおり、調査や研究の妨げとなっている。そういう纏め方で問題ないだろうか」
「我としては、その認識で問題ないのである」
「あたしもですぅ」
「ならば、次は対処だな。公共事業として、生徒会から討伐クエストを発行し、討伐隊を組織する。……武田、高円。現場を知る者として、何か意見はあるかね」
武田は黙って、自分が破壊した机を見つめた。
円もまた、少し考える。必要なものはわかっている。
「……少し、時間を頂きたいですぅ」
言って、ソファから飛び降りて、隣に座る馬耳の大男を見上げた。
「武田代表。あたしとサシで、お話しできますぅ?」
「……ああ。我もその必要があると思っていたところである」