キマイラ文庫

アオハルクエスト

ヤマモト ユウスケ

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アオハルクエスト

ヤマモト ユウスケ

一章

青春白球大暴投(3)


 桐野が振り回すトンボを潜り抜け、狼の爪が閃いた。

 鮮血が散る。腕を裂かれたのだ。取り落としたトンボが、グラウンドに転がった。


「痛ぅ……!」


 涙がにじむ。どうして、こんなことになったのか。これからどうなるのか。そんなことはわからない。

 あの地震のあと、自分を含めた周囲が変異していて、慌てて逃げ出した。逃げ込んだグラウンド脇の用具室から、狼が見えた。

 生徒会長のアナウンスも聞いた。意味の分からない状況だと知った。意味の分からなさに、怒りが湧いた。

 大切なグラウンドを荒らされることも、夢がどうなるか不透明になったことも、許せなかった。怒りのままに、トンボを持ってグラウンドに飛び出した。


 その結果が、これだ。

 桐野は価値を示すことなく、信用を裏切って、終わる。それが、たまらなく悔しかった。

 狼が牙を剥いて飛び掛かってくる。

 桐野は目を閉じることなく、正面からその牙を睨みつけ――

 ――そして、狼が横合いからの打撃で吹き飛ばされた。


「桐野、無事か!?」


 突如、飛び込んで来た大柄な男子生徒が、両手に持った金属バットでぶん殴ったのだ。おそらく自分と同じビッグフットで、体型が大幅に大きくなってしまってはいるものの、顔立ちと声に覚えがあった。


「斎藤、先輩……? ですか……?」

「おう! 立てるか!? 走れるか!?」


 斎藤は変な先輩だ。ピッチャーとしての性能は申し分なく、勝負勘にも秀でているが、調子が良い日悪い日のムラが大きく、性格にやや難がある。具体的にいうとコミュニケーション能力が変だ。

 話すときはいつも目が泳いでいるし、やたら「休日って何してる? 映画好き?」みたいな話をしてくる。あと、自分の練習をサボって、ボール磨きを手伝おうとする。これらのことから、桐野は斎藤のことを、


(ボール磨きが大好きなコミュ障の先輩……!)


 と、判断していた。

 その斎藤が、金属バットで桐野を助けに――よく見たら部活のバットですね、それ。桐野は眉を吊り上げた。


「斎藤先輩、バットをそんな使い方しないでください! 凹んだらどうするんですか! 自費で弁償してもらいますからね! 予算、そんなに多くないんですよ!?」

「えっ、俺この流れで怒られんの!?」


 斎藤がバットで狼を殴り飛ばす。さすが、体を動かし慣れているだけあって、トンボが一度も当たらなかった桐野とは大違いだ。


「あっ、また備品でそんなことを!」

「言ってる場合じゃないって! 桐野、逃げるぞ!」


 斎藤が左手のバットを狼に投げつけ、桐野の手を掴んだ。


「で、でも、グラウンドが……!」

「命のほうが大事だろ!」


 飛び掛かってきた狼を蹴りでいなしつつ、斎藤が桐野を引っ張って走り出す。

 狼は襲い掛かってくるものの、斎藤が巨大な体を使って、しっかりとブロックしたり、殴り飛ばしたりしてくれる。

 グラウンドの端には、大きく手を振る、別のビッグフットがいる。面影から察するに、キャプテンの小林だ。部室棟の窓ガラスの前に防球ネットなどの備品を積み上げて、バリケードらしきものを作り上げている。

 あそこまで逃げられれば、籠城して助けを待てます――。

 と、安堵したのも束の間、桐野の視界に大きな影が差した。走りながら空を見上げて、桐野は息を呑んだ。


「……鳥……?」


 狼同様、黒くてのっぺりした鳥である。しかし……大きい。とにかく大きい。翼の端から端まで軽く十メートルはありそうだ。

 それが、ぐるぐるとグラウンド上を旋回して――桐野たちを、睥睨している。


 ●


 黒揚羽聖十郎は、助けてくれ、という声を聞いた。

 いや、助けを求める声はそこかしこから聞こえ続けている。

 だが、この声は特に、


「黒揚羽生徒会長? どうされました、顔を顰めて」

「普段から大声で話している野球バカは、念話の声もデカくなるらしい」

「……斎藤君ですか」


 とにかく声がデカい。

 黒揚羽聖十郎は眉を寄せつつ、学園敷地の端を指さした。


「高等部第三グラウンドだ、助けを求めている。巨大なカラスがどうとか」

「向かいます」

「頼む。私は指示を続ける。……頭が割れそうだ」


 一言だけ、泣き言をこぼしておく。

 現在、聖十郎の脳は誇張なく一万人の声とつながっている。

 ある程度の選別は可能なようで、重要な単語や会話だけピックアップして聞くようなこともできる。ラジオのチャンネルを切り替えるように。だが。


(習熟が足りん……! 私は聖徳太子ではないのだがね……!)


 如月院真理愛に抱えられたまま、ぬいぐるみサイズの頭を揉む。

 現状、何が重要で何が重要でないかの判別すら難しい。一万のチャンネルのうち、喫緊の一千チャンネルに絞ったとしても、人間ひとりの処理能力をはるかに超えている。


『とにかく、近くにいる集団で集まれ。教員がいれば教員が、いなければ集団内で一番の上級生が代表して私と念話しろ。モンスターには集団で対応するんだ。倒す必要はない、遠ざけて逃げればいい……! 最寄りの校舎、体育館、小講堂、部室棟、サークル棟、どこでもいい。立てこもれ!』


 基本の方針は、それだ。加えて、可能であれば。


『自分の能力を把握しろ! 強力な能力ならば、モンスターに対抗して身を守れ! 周りのやつも助けてやるがいい!』


 平岩金雄から『危険な力の行使を推奨するんは無責任とちゃうか!?』と念話が飛んできたので『緊急時につき議論は後にする!』と念話で怒鳴り返す。


「くそ、状況の整理が終わり次第、すぐに指示系統を構築せねば……!」

「黒揚羽生徒会長、第三グラウンドに到着します。――少し、よくない状況かもしれません」


 少し険のある声色に、聖十郎が視線を上げる。

 グラウンドの上で、狼が輪になっている。その中央にいるのは、同学年で野球部の斎藤と、有能なマネージャーの桐野だ。

 斎藤は桐野をかばうように立ち、桐野は顔面蒼白で斎藤を見上げている。


「上です、会長」

「上? ……なんだ、アレは」


 聖十郎は空を見上げて、眉をしかめた。聖十郎たちは校舎のやや上を飛んでいるが、さらに上空に、旋回する大きなものが見えた。黒い鳥類に見えるが……。


「デカすぎないか……!? 狼のような外敵かもしれん。真理愛、攻撃できるか」

「遠すぎます。ここからでは」

「では下の二人と合流してくれ」


 真理愛が校章陣を輝かせて狼を蹴散らし、グラウンドに降り立った。

 聖十郎は、斎藤をちらりと見て、顔をしかめる。


「斎藤。貴様、その怪我どうした」

「先輩は、私をかばって……!」


 斎藤は桐野を手で制して、笑った。


「おう、生徒会長。やっと来てくれたかよ。……お前こそどうした、ずいぶんカワイイ感じになっちまってよ、オイ」

「元から私は癒し系だ。知らなかったか? ……本当に大丈夫か、貴様」


 斎藤の側頭部から、赤い血がだらだらと流れ落ちている。斎藤はバットの先端で空を差した。


「空飛んでるアレ、見えるか。でっけぇカラス。アレを何とかしないと、俺たちゃここから動けねえ」


 巨大な影は、依然、超上空を旋回している。


「カラスではないと思うぞ。鷹だ、あれは。やはり襲われたのか」

「カラスでも鷹でもペンギンでもなんでもいいけど、やべえぞ、あの鳥。バケモンみたいな速度で突っ込んできやがる。ちゃんと避けたのに、風圧かなんかでアタマがスパッといっちまって、このザマだ。おかげで狼にも囲まれちまったしよ」

「……狼と連携しているのか? いずれにせよ、対処する必要があるんだな? 如月院副会長。校章陣で盾を。野球部二人は守りを固めろ。迎撃するしかなかろう」


 旋回する鷹が、その鼻先をぴたりと聖十郎たちに向けた。照準が定められたのだ。

 狼が唸り、つま先がグラウンドの砂を掻く。斎藤がバットを構えて囁いた。


「――来るぞ」