アオハルクエスト
ヤマモト ユウスケ
一章
不信任決議(11)
入れ替わって、聖十郎が演説台に立った。
(……もう、何も言えんな)
この世界に来る直前にも、この台に立ち、演説を打っていた。
そのときはこんな小さな姿ではなかったし、夏休みが始まるという高揚感に満ちていた。
何を言うべきかと思考を巡らせる。いろいろ言えることはある。だが――
(――整理すれば、簡単な話だ。この私、黒揚羽聖十郎に、今の状況を打破する手段はない。証明することも出来ない。だから反倫理にも負ける。もう張れるハッタリもないしなぁ……)
無言で生徒達を見渡す。防衛に控えている生徒もいるから全校生徒ではないが、それでも八千人以上が大講堂に集っている。普段の演説と違って、野次はない。ささやき声での現状考察や、平岩の策への考えがそこかしこで話し合われ、それがざわざわとした喧噪になっている。
聖十郎が何を言うのかは、もはや俎上にない。そういう段階だ。
それでも、どれだけ見苦しくても、何かは言わなければならない。意を決して口を開こうとしたそのとき、
『黒揚羽候補、いいですか』
脳裏に声が響いた。
緊急用に、数名に向けて限定的に開いている【念話魔法/テレパシー】の回線を使って、語りかけてきた者がいた。
『どうした、如月院君。緊急か』
舞台袖にいる、真理愛だ。こんなタイミングで通話を試みるような人間ではないはずだ。何かあったのか、と思ったが、どうやら違う。
『黒揚羽候補――聖十郎君。あの砂浜での約束を、憶えていますか?』
不意な問いかけだった。やや面食らいつつも聖十郎は答える。
『忘れたことは一度もないよ、真理愛。私が政治家を志した理由だ』
『私もです。ですから――』
一拍おいて、真理愛が言った。
『――何が何でも、勝って。勝ちなさい、聖十郎君。私のために』
『……相変わらず難しいことを言うなぁ、如月院家のお嬢さんは』
内心で苦笑する。
それから、聖十郎は小さな両手で前髪をぐいっと抑えて、そのまま思い切り後ろに撫でつけた。ポマードによって固められていた七三が、まったく整っていない、荒々しいオールバックに変わる。その動作に、大講堂が少しどよめく。
「――諸君。もうこれ以上、下がることはない。背水の陣で挑ませていただこう」
額に汗を浮かべて、聖十郎は両手を広げた。
そして、言う。
「私には――いや」
言い直す。
「|俺《・》には夢がある」
●
如月院真理愛は、その演説を聴いていた。
「いきなり何だと思うかもしれないが、まあ聞け。俺の夢の話だ。すぐ終わる――至極シンプルな夢だからな」
嘆息する。
聖十郎の夢。それは、真理愛の夢でもある。
(言ってしまうんですね、聖十郎君――)
胸中にあるのは、恥ずかしさと寂しさと、そして誇らしさ。
「俺は離島の出身でな。海岸線の綺麗な島だ。砂浜も白くて……、だからだろうな。鼻持ちならない金持ちが、避暑地だとかプライベートビーチだとか言って、一区画を丸ごと買い上げて保有していたんだ。普段は全く使わなくせに、だぞ? 信じられるか?」
生徒達が、少し静かになる。
黒揚羽聖十郎――政治家になるために生まれたと豪語する男の過去は、
(小さな離島の、ごく普通の漁師の家系……)
今でも、真理愛はふと思うことがある。
自分と出会わなければ、この学園政治家は生まれなかっただろう、と。晴天学園にも来ることなく、普通に生きていただろう、と。
「もちろん、私有地だから勝手に入ってはいけないんだが、そこの浜はいつも人がいなくて……穴場だった。ガキが遊ぶには、ちょうどいい場所だったんだ。俺はちょくちょく潜り込んで、そこで釣りをしていた。不法侵入だ、要するに。そして――ある日の早朝だ。俺はまた、そこへ潜り込んで、ある人を見つけた」
出会わなければ――。
「女の子だ。鼻持ちならない、金持ちの娘だよ。まだ日が昇り始めたころだ。東向きのビーチで、朝焼けが鮮やかでな。綺麗な白いワンピースが、日に染まって美しかったよ。……その女の子は海岸線を眺めていた。飽きもせず、何十分も」
出会わなければ。
黒揚羽聖十郎の人生は、もっと普通の、喜びと幸せに満ちたものだっただろう。
漁師の後を継いだかもしれない。穏やかで優しい女性と出会って、結婚して、きっと子供もたくさん育てて、いい父親になって――。
「そして俺も、その女の子を眺めていた。岩陰に隠れて、飽きもせず、何十分も。彼女のそばに大人が……使用人がいたから、近づくことは出来なかったが」
出会わなければ。
如月院真理愛の人生は、もっと淡々とした、|予定通り《・・・・》のものだっただろう。
政治家の一人娘として十二分な教育を受け、女流政治家として活躍するか、あるいは政略結婚でもして、次の世襲政治家を生み、育て――。
「そんな日々が、一週間ほど続いた、ある日のことだ。……女の子は、一人で海岸線にいた。使用人の姿はなく、彼女は――砂浜にうずくまっていた。白いワンピースに砂が付いていた。俺はしばらく彼女を眺めて、思ったんだ。ひょっとすると、調子が悪いのかも、ってな。大人に怒られるかもしれないが、でも、心配が勝った。俺は岩陰から出て、近づいて、彼女が泣いていると気づいた」
でも、出会った。
「俺は、大丈夫か、なんで泣いてるんだ、と聞いた。緊張したよ。島には四人しか子供がいなくて、知らない子に話しかけるなんて初めてのことだったからな。……彼女は、顔を上げてこう言った」
黒揚羽聖十郎と、如月院真理愛は、出会った。
朝焼けに染まった砂浜の上で、出会ってしまった。
『――おとうさまが、わるいせーじかだったから』
そう。真理愛は言った。
……今ならわかる。
父も祖父も立派な政治家だ。
そして、立派な政治家とはたいていの場合、清濁併せ呑むものだ。その日、真理愛は偶然、濁の部分を見てしまった。良くない通話を聞いてしまった。……よく分からなかったけれど、後ろ暗い話であることだけは、わかった。
それがショックで、使用人を置いてビーチに出て、泣いていたのだ。
初対面の男の子に話しかけられて驚いたが、人恋しさが勝った。
「俺は彼女の顔を、ようやく近くで見た。朝焼けに照らされた泣き顔だ」
今なら分かる。どんな国でも、どんな時代でも、少なくない数の人間が濁流の中で生きている――濁流の中で生まれてくるがゆえに。清流にしか向き合わない政治家は、濁流で生まれ落ちた子を見捨てているようなものだ。
けれど、あの日の真理愛は幼かった。絶対の正義があると信じていた。世の中には唯一絶対の“正しさ”があるに違いないと思い込んでいた。
「本当に――本当に、綺麗でな。我ながらマセたガキで失笑ものだが、どうにかして彼女の心を揺らし、気を惹きたいと、そう思った。だから、俺は言ったよ」
壇上の黒揚羽聖十郎は、まるで薄氷で出来たシャボン玉をそっと手のひらで包むような口ぶりだった。それがたまらなくくすぐったい。
「じゃあ、俺が政治家になるよ、って。俺が正義の政治家になって、悪い政治家全員やっつけてやる、約束する、って。……馬鹿だろう? 社会ってのは、そういう仕組みじゃないのにな。でも、俺はその約束を守るために、今の今まで生きてきた。これからもそうだ。そうやって生きていく。それが俺の“夢”だ。だから――」
真理愛は祈るように胸の前で両手を握り合わせた。
私達は、出会ってしまって、変わってしまった。
それでも、出会わなければ良かった――なんて思わない。
出会えて、良かった。
真理愛は、あの日、馬鹿な少年に救われた。今も救われ続けている。
(聖十郎君……!)
身長三十センチメートルの小さな妖精が、壇上で大きく声を張り上げた。
「――聞け、生徒諸君! 俺は黒揚羽聖十郎だ! 惚れた女に良い格好をするためだけに、複雑な現実を否定して単純な理想を謳い、この世に唯一絶対の“正しさ”があると嘯く暴君だ! 正直に言おう――諸君の夢を応援するのは、諸君のためなどではない! もう全ッ然どうでもいい! ただ彼女の前で格好付けているだけだ! そうでないなら他人の夢を後押しなんかするか! 知ったことか! なのに、なのにだ! 俺は、そんな態度おくびにも出さず、夢を叶えるため努力することこそが“正しい”のだと煽り立てて来た! まったく悪辣な扇動家だな!」
聖十郎が一呼吸おいて、少し息を落ち着けた。
「……だから俺は、少しでも“正しい”と思う方に進みたい。付いてこいとは言わないし、付いてくるなとも言わない。ただ、諸君はどちらかを選べるし、どちらも選ばなくたっていい。それが選挙だ。付いてくる奴は、俺と一緒に行こう。付いてこない奴は、暇なときに話を聞かせてくれ。どちらも選ばなかったなら、俺とサボって昼寝でもしようじゃないか」
聖十郎が笑う。その笑顔は、
(あのときと変わりませんね)
何の根拠もないが、ただ、前だけは向いている男の顔。
しん、と大講堂が静まる。
聖十郎が再び黙り、議長の源湊が無表情ながら柔らかい声で、問いかけた。
「……黒揚羽様。演説は以上でございますか?」
聖十郎は答えない。
平岩が鼻を鳴らした。
「なんや色々ゴチャゴチャ昔話して、結局『何も新しい策はないです』で、感情に訴える作戦かいな」
「不規則言動でございます、平岩様。ご注意を」
「へいへい。ま、これやったらウチの案のが、ちゃんと考えられとるなぁ」
「平岩様。怒りますよ」
平岩が肩をすくめて押し黙った。それはきっと、情に流されそうな生徒達を戒めるための一言だったのだろう。
だが、真理愛は見た。聖十郎が、何かに気づいて、はっと顔を上げたのだ。にやりと笑う――それは先ほどの無垢な笑顔ではなく、歴戦の学園政治家の顔で。
「ああ――そうだ。そうだな! 平岩の案のほうが、ちゃんと考えられている。源議長、俺の演説はまだ終わっていない。いいな?」
「許可いたします」
ざわつく大講堂に対して、汗まみれの黒揚羽聖十郎は拳を振り上げた。
「生徒諸君! 演説も佳境ではあるが、ここで|私《・》、黒揚羽聖十郎は新たに政策を提案しよう! ――平岩候補の案、あれを私も採用する! みんなで夢の世界に閉じこもろうではないか!」