魔法捜査官

喜多山 浪漫

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目次

魔法捜査官

喜多山 浪漫

第2話

『Monsters(怪物たち)』<1>

 連続殺人鬼(シリアルキラー)・時任暗児を逮捕してから数日間、僕は警視庁地下5階にある魔法犯罪捜査係のデスクで報告書の作成に追われていた。

 刑事ドラマなんかでは事件現場へと颯爽と駆けつけ、聞き込みや張り込みで得た情報を元に鮮やかな推理を展開し、派手なカーチェイスと、なんだったら銃撃戦まで展開して被疑者をカッコよく確保する。街の平和は無事に守られて、めでたしめでたしハッピーエンドとなるのだが、現実はそうはいかない。被疑者を逮捕した後も残念ながら仕事は続くのだ。


 警察官の仕事は刑事ドラマと違って、とても地味だ。世に溢れる刑事ドラマの大半が警視庁によるプロパガンダなのではないかと疑いたくなるほど、そのギャップは大きい。

 とにかく書類作成が多いのなんの。ましてや連続殺人鬼(シリアルキラー)が起こした事件、ましてや魔法犯罪である。上層部に提出する書類の膨大なこと、気が遠くなる。

 それでも魔法生命体(ゴーレム)が蠢く迷宮を捜査するよりも、警視庁の地下奥深くに引きこもって書類と格闘していたほうが、まだマシではあるのだが。


「ん~~~~~~……!」


 こわばった身体を椅子に座ったまま思いっきり伸ばす。

 終わりがないと思われた報告書もコツコツ地道に我慢強く書き上げた結果、ようやく終わりが見えてきた。

 ちなみに魔法使いのアルペジオは書類作成には携わらない。任務がないときは彼の個室……と言えば聞こえはいいが、この地下5階にある分厚い鉄の壁に覆われた箱に監禁、もとい軟禁、いや待機しているのだ。

 地下5階の中であればある程度の自由は許されているものの、捜査官の中にも魔法使いを差別する者は悲しいことに多く、魔法使いは魔法使いで捜査官の顔なんて仕事以外では見たくもないと思っている。双方の見解が一致した結果、任務がない限り極力魔法使いは自室から外に出ないのが慣習となっているそうだ。

 そんな事情に憤りを覚えるが、それでもこの瞬間だけは書類地獄から解放されているアルペジオがほんの少しだけうらやましい。


 それにしても酷い事件だった。さすがにこのレベルの凄惨な事件は頻繁に起こらないと信じたい。しかし、僕をはじめとする庶民が知らなかっただけで、世界の至る所で想像を絶する魔法犯罪が日々発生している可能性だってある。

 できれば事件を後追いではなく未然に防ぎたいところだが、今の僕ではどうにもならない。せめて魔法犯罪の根絶に一石投じたいと考えて、報告書には連続殺人鬼(シリアルキラー)・時任暗児が何者か手によって強制覚醒者となったこと、それから施設で隔離されていたはずの時任の脱走を手助けした組織が存在する可能性を指摘しておいた。

 果たしてこの指摘を上層部が取り合ってくれるのか、はなはだ疑問ではあるが下っ端の僕には一縷の望みに賭けて上申するのがせいぜいだ。


 そんなことを考えながら、地下5階から階段を使って本庁1階のロビーへと向かう。

 書類仕事に一区切りついたので、たまには久しぶりに陽の光を浴びて、コーヒーの一杯ぐらい飲んでも罰は当たるまい。

 だが、そんな僕のささやかな楽しみさえも、背後からの咎めるような声に呼び止められ、強制的に中断されるのであった。


「ちょっと、キミ」


 振り向くと、そこには制服姿の女性警察官がいた。知り合いではない。同期にも上司にもこんなにも殺し屋のような鋭い眼光を向けてくる女性はいない。

 敵意というほどではないものの、好意的でもない。まるで値踏みするかのように足元から頭の先まで不躾な視線で僕を見る。失礼だと思うけど、はっきり言ってそれ以上に怖い。


「私が誰だかわかる?」


 わかりません。そう言ってすぐにその場を立ち去りたかったが、この冷たい声には聞き覚えがある。


「もしかして……、管制官ですか?」


 僕の答えに満足したように、にんまりと微笑む。しかし、鋭い眼光は僕をねめつけたままだ。早くも背中には冷や汗が浮かび上がる。気分はすでに蛇に睨まれた蛙の如し。連続殺人鬼(シリアルキラー)・時任暗児とはまた異なるプレッシャーが僕を襲う。


「そうよ。警視庁刑事部所属、魔法犯罪捜査係専任の管制官・轟響子(とどろき きょうこ)よ」


 意外だった。

 何が意外って、頭の中で想像していた鉄の女よりもずっと若かったからだ。

 制服の左胸に付いている階級章を見ると階級は警視。警部補の僕よりも2階級上だ。その2階級の差は単純な数字では表せないほどの格差がある。

 管制官は、警察組織においては課長や管理官、警察署においては署長・副署長と並ぶ権限を有する。今の僕では二階級特進でもしない限りは追いつけない遥か雲の上の存在である。


 黒いストレートのロングヘア。高級ブランドの眼鏡はこの人の場合、理性や知性以上に厳格さと冷徹さを強調している。その眼鏡の奥には少しつり上がった目と、相手を威圧する瞳が爛々と輝いている。一部の隙もなく着こなした制服姿からは否応なく人を従わせるオーラが漂っている。見た目の若さを除けば、想像していたオラクルの向こう側にいる鉄の女そのものだ。

 若くは見えるが階級から考えると、30代後半ぐらいか。どういう経歴の持ち主かは知らないが、男社会の警察組織の中で異例の出世と言えるだろう。しかも、魔法犯罪捜査係専属の管制官ともなればエリート中のエリート。順当にいけば女性初の警視総監だって狙える超出世コースだ。


「あの、僕に何か御用でしょうか……?」


 恐る恐る聞いてみる。


「生意気な新米捜査官の顔を見ておこうと思ってね」


 いきなりの先制パンチ。

 ボディーブローがずしんと胃の奥まで響く。背中に浮かんだ冷たい汗が脂汗に変わっていくのを感じる。


「……な、生意気、でしたか」


「ええ、生意気よ。捜査官のくせに管制官に口答えするなんてもってのほかだわ」


 捜査官のくせに、か。

 その言い回し一つで、現場で動く捜査官をどう捉えているのかが透けて見える。

 反論したい気持ちはあるが、管制官の権限は絶対だ。ここは大人しく頭を下げておくべきだろう。


「……申し訳ありませんでした」


「でも、時任暗児を生きたまま確保したことと、曲がりなりにも魔法使いアルペジオを使いこなしたことは評価してあげる」


 評価してあげる、ね。

 いくら年上とはいえ、いくら階級が上とはいえ、どこまで上から目線なんだ、この人は。


「使いこなしただなんて、そんな……。魔法使いも人間です。道具じゃありません」


「そうね、道具じゃない。けど、人間でもない。彼ら魔法使いは、意志を持った怪物よ。くれぐれも気を許すような真似をしないように。キミのような新米が一番危ないんだから」


 それは警告だった。

 魔法犯罪捜査係に配属される前に捜査一課長からも餞別代りにもらった「魔法使いは、怪物だ。決して気を許すな」という警告と同じだ。

 この管制官は職務を通じて魔法使いたちの怪物ぶりを幾度となく目の当たりにしてきたに違いない。口ぶりからすると、僕のような魔法犯罪捜査係の新米捜査官が犠牲になった過去を見てきたのかもしれない。


「怪物に近づきすぎて、キミ自身が怪物になる。……なんてことがないように注意してね」


 言うだけ言って、僕の返事を待つことなく管制官・轟響子女史は去っていった。

 その一挙手一投足に至るまでが鋼鉄製の機械のように見えるが、わざわざ嫌がらせを言うために僕のところへ来たわけでもあるまい。精神衛生面からも、彼女なりの優しさと受け取っておくのが無難だろう。


 怪物か……。

「僕たちが現場で生死の瀬戸際にいるときでも平然と冷酷な判断を下せるあなたも充分に怪物ですよ」と言い返すこともできたが、生意気だと釘を刺されたばかりなのに余計なことを言ってさらに心証を悪くすれば、いざ魔法の使用申請をしたときに拒絶されかねない。

 心まで機械で出来ていそうな彼女が感情に左右されて判断を誤るとも思えないが、組織に反発する不穏分子を捜査中の殉職を装って消すぐらいのことは顔色一つ変えずにやってのけそうだ。

 何より、僕たち現場の人間の命を握っているのは、間違いなく管制官である。

 触らぬ神に祟りなし。

 君子危うきに近寄らず。

 できるだけ余計なことは言わず、できるだけ近寄らないようにしよう。

 くわばらくわばら……。