魔法捜査官

喜多山 浪漫

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魔法捜査官

喜多山 浪漫

第1話

『Serial killer(連続殺人鬼)』<8>

 被害者――真鍋愛美の記憶の中の世界は、まるで侵入者を拒むかのように複雑に入り組んでいた。それが彼女の元々の性質によるものなのか、時任暗児に凌辱された結果ゆがんでしまったのかは知る由もない。とにかくわかっているのは、捜査は困難を極めそうだという暗い見通しだけだ。


「捜査官殿、時間がありません。被害者が殺害されてからすでに46時間が経過しています。彼女の記憶をたどれるのは、あと2時間程度だと思ってください」


 あと2時間――

 つまり、遺体の記憶が保全されるのは48時間、2日間ということか。

 タイムリミットがあることは承知していたが、残されているのがたったの2時間とは、ただでさえ暗い見通しに更に暗雲が垂れ込め、絶望の様相を呈する。希望があるとするなら、結果はともかく2時間すればこの非現実的な現実から解放されることぐらいか。


「そんな顔しないでください。時間が残っているだけまだマシです。被害者のためにも、この2時間をチャンスだと思って頑張りましょう」


「わ、わかりました」


 そうだ。捜査官の僕が弱気になってどうする。

 僕は被害者の無念を晴らす手掛かりを見つけるために、ここにいるのだ。

 決意を新たに迷宮のような世界を手探りで捜査開始する。

 あたりはぬらぬらと不気味な光沢のある肉の壁で覆われており、人体――具体的には大腸の内部を歩いているような薄気味悪い想像をしてしまう。

 実際には僕もアルペジオも空調の利いた遺体安置所にいるはずなのに、生ぬるい空気、じめじめと粘りつくような湿気、更には何とも言えない生臭さまで体感できてしまうのは、何とかならないものだろうか。


「湿気や匂いまで感じるなんて……。これも魔法の力なんですか?」


「はい。原理はともかく、私たちの脳が現実だと認識している以上、五感のすべてが現実と同じように機能します」


「五感のすべて……」


「はい。視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚、すべてです。捜査官殿はこんな話をご存じですか? ある被験者に火にかざした熱々の鉄の棒を見せた後、目隠しをして冷たい鉄の棒を押し付けるとどうなるか……」


「どうなるんです?」


「火傷を負ったような痕ができるのです」


「まさか」


「いわゆるプラシーボ効果の一種です。信じる信じないは捜査官殿のご自由ですが、人間の思い込みの力は、時に恐るべき力を発揮することがあるのですよ」


 ここが警視庁や遺体安置所の中だったら与太話として笑い飛ばしていたかもしれない。

 しかし、この異質な空間で、今まさに五感で恐怖と緊張を感じている僕にとっては笑い話では済まされない。


「まさかとは思いますけれど、もしかして痛みなんかも感じたりします……?」


「お、さすがは捜査官殿。鋭いですね。ピンポーン、大正解です」


 アルペジオは満面の笑みだ。でも、僕は全然嬉しくない。


「ここは被害者の記憶の中の世界ですが、脳が現実として認識している以上、怪我をすれば痛いですし、致命傷を負えば死にます」


 死――

 あっさり言ってくれる。その死が自分の身に降りかかってくるのが怖くないのだろうか。 のほほんとした表情の魔法使いアルペジオだが、意外にも過去に数多くの修羅場をくぐり抜けてきた猛者なのかもしれない。……たぶん。いや、まったくそうは見えないけれど。


「おっと。ストップです、捜査官殿。どうやらトラブル発生です」


 トラブル?

 そういえば、管制官もそんなことを言っていたな。「なお、ダイブ中のトラブル発生を想定し、同じくLV5以下の魔法の使用を許可する」と、管制官の冷たい声が脳裏で再生される。

 あれだけ厳重に魔法の使用を規制していた法と、その執行者たる管制官が、たったLV5とはいえ自由な使用を許可するとは、いったいどんなトラブルか。


 もぞ。

 もぞもぞ。


 内臓の内壁のような地面から何かがあふれ出して蠢いている。人ではない。かと言って、僕の知っているいかなる生物とも異なる。それは異形の生物――まさに怪物と呼ぶに相応しいものだった。

 人間の手のような形をした怪物。

 いくつもの瞳を持つ大きな目玉の怪物。

 うねうねと動く卑猥で不快感しかない舌みたいな怪物。

 どれもこれも見るものの不安と恐怖を煽る姿かたちをしている。

 こんなのと戦えというのか? これは果たして警察の領域なのだろうか?

 まるでホラー映画に出てくるバケモノじゃないか。悪い冗談としか思えない。今夜、無事に眠れるとしても、見るのは悪夢で確定だ。


「悪夢ですね、これは……」


「ええ。しかし、捜査官殿。これは被害者が現実に見た光景が心象風景として再現されたものなのです」


 それはまた……。

 被害者・真鍋愛美が時任暗児に襲われたとき、彼女の目と心にはこのおぞましい怪物が見えていたということか。彼女がどれほど恐ろしい思いをしたか、察するに余りある。

 彼女はすでに亡くなっているし、この怪物どもを殲滅したところで彼女が生き返るわけでもない。けれども、彼女の記憶にはびこる悪夢を除去することができれば、ほんの少しでも早く彼女が救われるかもしれない。だとしたら、この蠢くものたちを一匹でも多く、一刻も早く排除しておきたい。


「グリムロック解除。魔法使いアルペジオ、戦闘モード。LV5以下の魔法の使用を許可します。ただちに敵を撃滅してください」