魔法捜査官

喜多山 浪漫

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目次

魔法捜査官

喜多山 浪漫

第1話

『Serial killer(連続殺人鬼)』<6>

 被害者の父親から怒りの鉄拳を顔面に喰らったアルペジオは、先程から痛い痛いと情けない声を上げている。

 本当にこれが世間から怪物と恐れられる魔法使いなのだろうか?

 いずれ凶悪な魔法犯罪者と対峙したとき、この魔法使いだけが僕の武器となるわけだが、こんなのに命を預けることになるのか……。悪い冗談だ。


 アルペジオのあまりにも情けない姿が、あまりにも哀れになってきたため、僕は仕方なく本庁にいる管制官に魔法の使用許可を申請することにした。

 こんな弱っちい魔法使いでも初級の回復魔法ぐらいは使えるだろう。


「捜査官から管制官に連絡。魔法使いが捜査中に負傷しました。回復魔法の使用を許可願います」


「こちら管制官。モニターでは肉体の損傷・出血量ともに軽微と判断」


 断定的な口調――

 管制官との直通専用携帯端末、通称『オラクル』から聞こえたのは冷ややかな女の声だった。


「魔法の使用は許可できない。そのまま捜査を続行せよ」


「え? ちょ、ちょっと!?」


 食い下がろうとするも、プツリと一方的に通話を切られる。


「ははは。諦めてください、捜査官殿。いつものことですよ。管制官は現場を知りませんし、知る気もない。当然、死の危険にさらされることもない。至って冷徹に合理的に判断を下せるわけです」


 オラクル――神託とはよく言ったものだ。

 管制官は絶大な権限を有し、オラクルとグリムロックを介して得た情報を基に、捜査官への一方的な命令を下すのが原則。管制官への反論は許されない。

 僕が命を預けているのは、アルペジオという頼りない魔法使いではなく、見ず知らずの顔も知らない管制官であるという事実に、今更ながら鳥肌の立つ思いがした。


 次に僕たちが向かったのは遺体安置所だった。

 被害者遺族の佐藤家からは協力を得られず、どうしようかと空を見上げていたとき、天の助けか捜査本部からの連絡が入った。なんと別の被害者遺族が捜査協力を申し出てきたと言うのだ。


 当の被害者は同じく女性。地元企業で受付を務めていたそうだ。

 遺体安置所で落ち合った相手はその父親、真鍋昌司(まなべ しょうじ)。59歳。

 さきほどの被害者女性の父親とは打って変わって落ち着いてはいるものの、その瞳の奥からはやはり強い悲しみと仄暗い怒りを感じる。


 僕らがなぜ遺体安置所にいるのかというと、にわかには信じがたいことだが、死者から情報を得るためだ。

 『ダイブ』と呼ばれる魔法を使って死者の脳にアクセスし、死後、時間の経過とともに失われてゆく記憶の断片から犯罪の証拠を探し出すのである。

 これは魔法使いによる凶悪犯罪に対してのみ適用される超法規的措置であり、法的にも倫理的にも通常の犯罪においては、いかなる事情があろうとも認められていない魔法捜査だ。


 目の前には被害者――真鍋愛美の遺体が横たわっている。僕は手を合わせてから、遺体を覆っている白い布をそっと胸元のあたりまでめくった。

 被疑者である時任暗児の過去の犯罪歴から、遺体の損傷はある程度覚悟していたが、これは――


 その凄惨な姿に声も出ない。目も、鼻も、口も、耳も、どれ一つとして原型をとどめていないのだ。とても見られた姿ではない。僕らの隣で目を背け、怒りで肩を震わせている父親の心境たるや、いかばかりか。

 「魔法使いは、危険な怪物だ」と断じた捜査一課長の言葉が再び頭をよぎった。

 この悲運な女性の無念を晴らすためにも立ち止まっているわけにはいかない。こうしている間にも彼女の記憶は死とともに失われてゆくのだからなおさらだ。


「捜査官から管制官に連絡。これから被害者の脳にアクセスします。魔法の使用を許可願います」


「了解。魔法使用者・魔法使いアルペジオ。魔法使用制限解除LV5。記憶透視魔法『ダイブ』の使用を許可する」


 事前に捜査本部からの要請があったためか、今度は意外にもすんなりと魔法の使用許可が下りた。


「なお、ダイブ中のトラブル発生を想定し、同じくLV5以下の魔法の使用を許可する」


「え? ダイブ中のトラブルって何ですか?」


 嫌な予感がする。

 不幸にして、こういう予感は大抵当たるものだ。


「そういえば、あなた。初任務だったわね。詳しくは魔法使いアルペジオから聞きなさい」


 それだけ告げると、管制官はまたしても一方的に通話を打ち切った。

 おいおい、投げっぱなしですか。

 どうしていいかわからず、アルペジオを見る。


「……どうなってるんですか、これ?」


「ははは。これもまた、いつものことですよ。さあさあ、そんなことよりも早いとこダイブしちゃいましょう。事件解決のカギを握っているのは、この気の毒な娘さんの記憶なのですから」


「わ、わかりました。で、僕は何をすればいいですか?」


「何も。捜査官殿は、ただ目を閉じていてください」


 目を閉じる……?

 思わず身構えて警戒してしまう。

 この目の前にいる魔法使いが、いかにもひ弱で頼りないとはいえ、魔法使いは魔法使い。怪物は怪物なのだ。

 果たして、言われるがまま目を閉じてしまってもよいものだろうか?


 ……いや。自分の身を案じている場合ではない。こうしている間にも新たな被害者が出るかもしれないのだ。

 僕は覚悟を決めて目を閉じた。


「……いいですよ。いつでも始めてください」


「あ、もう大丈夫です。目を開けてください」


「へ……?」


 恐る恐る目を開けると、そこは――

 むせかえるような湿気に満ちた空間。生物の腸内を連想させる粘膜に覆われた赤黒い壁。映画や漫画でしか見たことのない異空間、とでも言えばいいのだろうか。

 眼前に広がる異様な風景に、僕はしばし言葉を失った……。