魔法捜査官
喜多山 浪漫
第2話
『Monsters(怪物たち)』<15>
人体実験。
漢字にすれば、たったの四文字。字面だけ見れば何てことはないが、アルペジオが口にしたその言葉が意味するものは人が踏み入れてはならない領域、神への反逆行為である。
「ちょ、ちょいと待ってえな、アルペジオはん。あんさん、まさかあの映像(ビジョン)が戦時中におこなわれた人体実験やっちゅうんでっか?」
相変わらずミスターは間の抜けた大阪弁を流暢に操っているが、表情は深刻そのもの。褐色の額には玉になった脂汗がにじんでいる。かく言う僕も、さっきから喉の奥に何かが詰まったような違和感が取れずにいる。
「か、確証は……」
口が乾いて声がかすれる。ごくりと唾を飲み込むが、うまく喉を通らない。
「確証はあるんですか?」
僕の言葉にアルペジオが首を振る。
「いいえ、確証はありません。ただ、一見して医療従事者とわかる人間が、あのような行為を意味もなくおこなうとは、とても思えません。そこに意味を見いだすとするなら、考えたくもありせんが人体実験としか……」
アルペジオは最後まで言わずに再び口を閉ざした。
首を切り取られた少女。
四肢を切断されて首を吊られた老婆。
そして生きたままま皮を剥がれ、局部を切り取られた少年。
この残虐な行為がすべて人体実験のためだというのか?
医の道を志したはずの人間が、それとは正反対の行為をおこなう理由は確かにそれぐらいしか考えられない。
かつて先の大戦中に密かにおこなわれたという人体実験。代表的なものはナチス・ドイツの支配下で強制収容所において実施された人体実験だが、他の国でも大なり小なり医学発展の大義名分のもとに同様の残虐行為が実行されていたという。
現代においては医療倫理の原則に反する行為として固く禁じられているものの、独裁者が支配する非民主主義国家では今もなお人体実験まがいの研究がおこなわれているらしいし、一部のネットの住民たちは近年世界の在り方を激変させたウイルスの蔓延(パンデミック)は支配者層による壮大な人体実験だったのではないかという陰謀論を展開している。
かつてあったとされる人体実験がどこまで本当の話なのか僕には判断ができない。
けれども、少年の目を通して目で見た光景は忘れようもない。少年を無残に殺したのは医療に携わる者たちだった。
人を救うための医療を、人を殺すのに使うなんて許せない。だが、そんな小学生でもわかるような倫理の話は彼らとて百も承知だったはずだ。あれが人体実験だったとして、彼らにとっては倫理の壁を突き破ってでもやるべき意味のある行為だったのだ。
果たして人の命よりも重いものなんて、あるのだろうか。僕には到底理解できない。世間は魔法使いを怪物扱いするが、本当の怪物は人を人とも思わずに人体実験をやってのける彼らのほうだ。
「あれが人体実験だとして、A国の魔法使いが大泉外務大臣の命を狙うのはなぜでしょうか? 大泉外務大臣は確かまだ60代だったはず。終戦直前のことだったとしても、まだ生まれてもいません」
「ええ。それにもう一つ、おかしなことがあります」
「なんですか、それは?」
「A国の魔法使いが大泉外務大臣、あるいはその父親か祖父を恨んでいるとして、その場合、日本が戦時中におこなわれた人体実験に関わっていたことになります」
「ええ、そういうことになりますね」
「それのどこがおかしいっちゅうんでっか?」
「おかしいですよ。だって、日本が人体実験をおこなった事実なんてないのですから」
「へ? そうなんでっか? 旧日本軍ちゅうたら、テレビやら映画やらでは常に悪役みたいな扱いされてまっから、人体実験の一つや二つやっててもおかしないんとちゃいます?」
ミスターの反応に、アルペジオは目を閉じて首を振る。その表情は悔しさとも悲しみともつかない。
「それこそマスメディアの罪ですよ。戦後、二度と日本が反抗しないように戦争犯罪者の意識を植え付けるため、利害関係にある諸外国とそれに賛同する反日活動家が共謀して、ありもしない大虐殺や人体実験を史実だと捏造して拡散したのです」
珍しくアルペジオが憤っている。
僕も戦後にGHQがおこなった擦り込み教育のことは知っている。学生時代、教科書に掲載されている歴史があまりにも偏った自虐史観になっているような気がして、自分で調べてみたのだ。そこでプレスコードとWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)の存在を知り、戦後日本が徹底的に戦争犯罪者としての罪悪感を植え付けられたことにアルペジオと同様の憤りを感じた。
おおかたの日本人はミスターと同じように、旧日本軍はアジア各国で悪逆非道の限りを尽くしたと認識しているだろう。しかし、日本に戦争犯罪意識を刷り込むために大虐殺や人体実験を捏造する勢力まで存在していたとは。アルペジオは確信をもって発言しているようだが、何を根拠(エビデンス)に言っているのかが気になる。
「ま、まあまあ真偽のほどはともかくとしてやな、A国の魔法使いが人体実験の恨みから大泉外務大臣を殺害しようとしとるっちゅう筋読みは当たらずとも遠からずってとこやろ」
「そうですね。私も少々むきになってしまいました。申し訳ありません」
ぺこりと頭を下げた後、顔を上げたアルペジオの表情は、少し間の抜けた……けれどもどこか愛嬌のあって憎めない、いつもの僕の相棒に戻っていた。