魔法捜査官
喜多山 浪漫
第1話
『Serial killer(連続殺人鬼)』<13>
「捜査官殿。緊急事態発生です」
すでに僕たちの置かれた状況は緊急事態と言っていいはずなのに、この上どれほどの緊急事態が発生したというのか。
「あれをご覧ください。決して見つからないように、そ~っと、そ~っとですよ」
くどいぐらいに念を押されて見た先には、何やら黒い影が揺らめいていた。
何だ、あれは……?
「あれはCODEレッドとは比較にならないほど危険な存在です」
ということは、あれも怪物か。黒い影に見えていたのは、黒い瘴気だったようだ。
それにしても、CODEレッドですら撃退できる確率が30%程度だったのに、それを上回る危険な存在がうろついているなんて勘弁してほしい。
「アルペジオさん。僕たちの目的は被疑者の居場所を特定する手掛かりを見つけることですし、基本方針として戦わないことを選択していますから、このまま退散するのはやぶさかではないのですが、もし戦わざるを得ない状況に陥った場合はどうするんですか?」
「あの黒いやつに少しでも触れたら一発アウト、即死です。ですから、もし見つかってしまったら一目散に全力疾走で逃げてください」
「へ? 一発アウト? 即死? ……何ですか、それ?」
ここまで魔法捜査における様々な制約があることを教わってきたが、歴代最高に理不尽な答えが返ってきた。
触れられただけで即死だって? CODEレッドと違って戦うこともままならずに一発アウト? それはもはや無理ゲーではなく、クソゲーじゃないか。
「一応、念のために確認しておきますけど、即死っていうのは比喩であって、ダイブの魔法が解けるってことですよね?」
「いいえ、違います。リアルに死にます。ガチで死にます。遺体安置所にいる捜査官殿も私も二度と目覚めることはありません。我々魔法使いは、そんな確実な死を運ぶ存在である彼らのことを、畏怖の念を込めて黒い死神、CODEデスと呼んでいます」
「酷い! 無茶苦茶だ! そんなの聞いていません!」
僕は声を殺しながらも悲痛な叫びを上げずにはいられなかった。
「ええ、でしょうね。でも、お気の毒だとは思いますが、これも仕事です。できるだけ死なないように頑張るしかありません。さあ、こんな理不尽を終わらせたいのなら、早いところ手掛かりを見つけるとしましょう、捜査官殿」
この死に直面した状況すら慣れっこだと言わんばかりに、アルペジオが飄々と促してくる。
そんな彼に思うところはいろいろあれども、僕たちに死をもたらす存在がすぐ近くでうろちょろしている以上、ここでのんびりしているわけにはいかない。
退散するとしよう。そ~っと、そ~っと。
それからしばらく迷宮内の探索が続いた。
赤い怪物、黒い怪物がギリシャ神話に登場するミノタウロスのように生贄を求めて彷徨っていたものの、神経を研ぎ澄ませながら捜索を進めていたおかげで一度も見つからずに済んだ。
しかし、そのせいで精神的疲労が激しい。息が詰まる。ただ歩いているだけなのに、じわりと嫌な汗がへばりつく。たったの10分が1時間にも2時間にも感じられる。恐怖、緊張、焦り。精神がどんどんすり減っていく実感。
ダイブした際、被害者の記憶が保持できるのはあと2時間だとアルペジオが言っていたが、そんなタイムリミットがなくても、こんなところに2時間以上いたら健常な精神を保ってはいられない。
「捜査官殿、あれを――」
アルペジオの声で顔を上げてみると、奥のほうに大きな門のような肉の壁が目に入ってきた。
何と表現すればいいのだろう。グロテスクにも見えるし、卑猥にも見えるし、とにかくあの門の先にはロクでもないものが待っていることだけは直感的にわかった。
「おそらくあの中に我々が探している手掛かりがあるはずです」
「手掛かり……」
まさしく僕たちが求めてきたものではあるが、それは被害者の真鍋愛美が被疑者である時任暗児に遭遇してしまったときの記憶であり、彼女のあの無残な遺体を見れば何があったかのは想像に難くない。
あのグロテスクな肉の門の先には、真鍋愛美が死してなお隠し通したい記憶が封印されているのだ。
記憶透視魔法『ダイブ』による魔法捜査が超法規的な措置である理由は、魔法を神経質なまでに危険視する政府と世論を慮ってのことだけではなく、多分に倫理的な問題を含んでいるからだということがよく理解できた。司法解剖するのとは訳が違う。被害者の脳を通して被害者が見た光景をそのまま再生しようというのだ。人間の尊厳に関わる。
僕だって彼女が凌辱されている姿を見たいとは思わない。
けれども、被疑者は今のところ居場所の特定ができない猟奇的な魔法犯罪者、連続殺人鬼(シリアルキラー)だ。すでに新たな被害者も出ている。このまま放置しておけば被害者の数は増すばかりだろう。
これも被害者の、真鍋愛美という女性の無念を晴らすため――だなんて綺麗事で自分の行動を正当化するつもりはない。恨んでもらっていい。罵ってくれていい。それでも僕は警察官として、これ以上の悲劇を繰り返さないために、他人に絶対見られたくない記憶に土足で踏み入り、こじ開けねばならないのだ。