魔法捜査官
喜多山 浪漫
第3話
『Grimoire(魔導書)』<11>
教室で発見した子供たちを無事に学園の外に送り出した僕たちは、残りの子供たちを救出すべく、速やかに行動に移すことにした。
息を潜ませ、そろりそろりと教室の扉を開けて廊下の様子を見る。先程までいた脳みそやら腸やらの形をした魔法生命体(ゴーレム)はいずこかへ消え去っている。
僕とアルペジオはお互いに目で同意してから、思い切って教室の外へ出る。
足音ひとつ立てず、呼吸の音すら漏らさずに、一歩、また一歩と次の教室の方向へと進む。平穏な日常では「廊下は走らない」というルールを無視して生徒たちが元気に駆け回っているであろう廊下を、ただ隣の教室へ歩いて移動するだけなのに異常なまでの精神的かつ肉体的疲労を要する。隣の教室との間には1階と3階につながる階段がある。そのせいで余計に移動に時間がかかる。
やっとの思いで隣の教室の扉が見えたところで、廊下の突き当り――左に曲がれば図書室のある方角から不意に黒い物体が現れた。
「「……!!」」
僕たちはほぼ同時に声にならない声を上げた。
触れれば即死。理不尽の権化。黒い死神CODEデスだ。
思わず反射的に僕たちは階段の踊り場に身を隠す。シンプルな構造の校舎内では身を隠す場所は限れられている。教室の中か、この階段の踊り場か。なるべく戦闘を避けたい僕たちにとっては圧倒的に不利な環境と言える。そこに現れたのがCODEデスだ。勘弁してほしい。
それでもCODEデスに発見されなかったのは不幸中の幸いだったと言える。もしこの場に子供たちがいたら、とっさに身を隠すことができずに追い回される羽目になっただろう。そして、いずれ体力の尽きた子供を守り切れずに僕たちも……。
いやいや。こんな最悪の仮定は精神衛生上このうえなく悪いし、何ら生産性がない。それに、このまま留まっていてはCODEデスに見つかるのも時間の問題。早急に移動するのが得策だ。
そのとき、僕はあることを思いついた。この状況を利用すれば、子供たちを救出するための捜索範囲を広げるチャンスになるのではないか……?
僕は慎重に切り出す。
「……アルペジオさん。ここは遠回りになりますが、いったん上の階か下の階を通って図書室を目指しませんか?」
「……なるほど。それは良い考えです。CODEデスに触れれば、LVに関係なく即死。そうなれば、被疑者の確保もできませんからね。多少遠回りになっても被疑者確保を最優先するためにはやむを得ない措置かと」
アルペジオは僕の意図を正しく理解してくれたようだ。やや芝居がかってはいるが、オラクルの先にいる管制官に黙認してもらうためには「あくまで僕たちは任務を達成するために仕方なく遠回りするのであって、決してわざと遠回りして別の階にいる子供たちの救出を優先するわけではないですよ」というポーズが必要なのだ。
とっさの思い付きではあるが、CODEデスの登場という最悪の事態を、子供たちの救出につなげる発想ができたのは我ながらナイスプレイだと思う。それが証拠にアルペジオも親指を立ててウインクしている。
そして、僕たちは上の階、下の階それぞれの様子を確認してから、魔法生命体(ゴーレム)の少なそうな階……結果として上の階から捜査することにした。
3階に避難した子供たちは少数だったようだ。魔法生命体(ゴーレム)を回避しながら、すべての教室、施設を見て回ったが救出できたのは4人。この分だと、残る2年B組の生徒は捜査途中の2階、または手つかずの1階のどこかに隠れているのだろう。
3階の捜査でも生徒を救出するたびに所轄の刑事たちが消防車の梯子で救助してくれた。あれほど的確に僕たちのいる場所に救援に駆け付けられたのは、おそらく……いや間違いなく裏で管制官が指示を出しているからだ。
子供の捜索を黙認してくれていることといい、何だかんだ言いながらも法の許す範囲において、管制官は僕たちの仕事をサポートしてくれている。そう思うと、現場にこそいないものの、彼女に対する仲間意識が芽生えてくる。
胸の奥に温かいものを感じながら再び階下の捜査に当たろうとしたとき、前向きな気持ちを踏みにじるかのように背後から何とも言えない不気味な音が聞こえてきた。
ぐちゅ。
ごしゃ。
ごりゅ、ごりゅ。
嫌な予感しかなかったが、それでも何が起きているのか確認したい衝動には勝てず振り向くと、人体の一部を模した虫たちが共食いをしていた。鳴き声ひとつ上げずに黙々と互いの肉を喰らい合う虫たちの姿は地獄絵図そのものだ。
うぷっ。
正視に耐えられない光景に吐き気をもよおす。これ以上、この場に留まることに意味はない。どうせ今夜、悪夢としてもう一度見ることになるのだから。それも生きて帰れればの話だが。
僕はそそくさと階段を下りようとする。すると――
「お待ちください、捜査官殿」
逃避するようにその場を立ち去ろうとする僕の腕をつかんで、アルペジオが制止する。
「あれをご覧ください」
食事に夢中の魔法生命体(ゴーレム)に気取られぬよう、アルペジオがそっと耳元で囁く。
見たくないけど仕方なく見てみると、なんと共食いしていた虫たちからゆらゆらと赤い瘴気が立ち込めてゆくのが見えた。やがて虫たちは共食いしたまま一つの虫へと融合し、強すぎる魔力を赤くたぎらせた魔法生命体(ゴーレム)、すなわちCODEレッドへと変貌した。
「魔法生命体(ゴーレム)のレベルは術者である魔法使いのレベルに比例します。ですから覚醒したばかりと思われる小学2年生の子供が生み出した魔法生命体(ゴーレム)の中にCODEデスがいるなんておかしいと思っていたのです。しかし、これで謎が解けました。魔法生命体(ゴーレム)は共食いすることで、より強力に進化する。我々にとっては甚だ迷惑なことですが、これはすごい発見ですよ、捜査官殿。CODEレッド、CODEデス発生のメカニズムが解明されたわけですから」
このロクでもない状況下、アルペジオは興奮を隠そうともせず嬉々としている。場所が場所でなければ、うだつの上がらない学者が世紀の発見をした瞬間に見えなくもない。
「魔法生命体(ゴーレム)は共食いしてCODEレッドやCODEデスに進化する。その仮説が正しいとすれば、魔法生命体(ゴーレム)が発生してから時間が経過すればするほど、僕たちにとって不利な状況になりますよね?」
「ですね」
アルペジオがニコリと笑って同意する。
いやいや、笑っている場合じゃないですよ?
彼のことは信頼しているが、こういうところ……経験豊富であるがゆえの余裕なのか、修羅場をくぐり過ぎて神経が馬鹿になっているのか、いずれにしても場違いな感情表現だけは共感し難い。
しかし、とにかくだ。
のんびりしてはいられない。
僕たちはできるだけ子供たちの探索の手を緩めずにおきながらも、本城・ローリングサンダー組が待っているであろう図書室へ急行することにした。